私には、年子の妹がいる。

 

 

私が1歳2か月の時に、妹が生まれた。

 

 

私と妹は幼少期から、容姿も、性格も似ていなかった。

 

 

妹は私と違って、勉強が出来たり、下級生の面倒見がよく、先生からの受けも良かった。

 

 

「どうやったら、あんな良い子に育つんですか?」

 

 

と、保育園の先生に言われた、と、親は鼻高々だった。

 

 

一方の私は、発達特性が目立ち、何かにつけて劣っている子供だった。

 

 

 

母は私のことを、妹とこう呼んだ。

 

 

『お馬鹿な姉さん』

 

 

母と妹が二人で、コソコソと私のことをそう呼んで笑っている光景を見ては、ひどく落ち込んだ。

 

 

幼少期からそんな生活を送っていたものだから、妹は、私のことを

 

 

「馬鹿にしてもいい人」

 

 

だと思っている。

 

 

小さい頃から、母は、妹の目の前で見せしめるかのように、私を怒っていた。

 

 

そして妹に言うのだ。

 

 

「このお姉さんは本当にダメな子ね。どうして妹ちゃんのようにお利口さんになれないのかしら」

 

 

 

それを聞いた妹も、笑っていた。

 

 

 

こんな育ち方をした私たちは、当然、格差姉妹であり、不仲姉妹となってしまった。

 

 

もう、修復は不可能だろう。

 

 

関係を修復する努力自体、もう疲れてしまった。

 

 

まあ、仕方ないだろう。

 

 

姉妹とはいえ、別な生き物だ。

 

 

私には私の人生がある。

 

 

とはいえ、仲良し兄弟・姉妹は、いいなと思う。

 

 

 

それか、ひとりっ子がよかった。

 

 

 

家でも、学校でも馬鹿にされていた幼少期は、忘れたいのに、心に深く、深く残って、消えてはくれない。

 

 

 

お薬を飲んで、鬱の状態が激しくならないように調節しているが、どうにもならない時は、家で独り、ポロポロと涙をこぼしながらベッドに横になる。

 

 

でも、翌日には起き上がる。

 

 

そうやって、私は生きてきた。