私は小学生でこの病気を発症してから、色々な事を諦めてきた。
そうせざるを得なかった、という方が正しいかも知れない。
小学3年生くらいの頃、仲の良かったお友達と、放課後、こんな話をしていた。
『大きくなったら、子供は何人欲しい?』
私は当時、小さい子が苦手で、子供が欲しいと思ったことは無かったが、お友達の話を聞いていたら、自分も、
「おかあさん」 「ママ」
と、呼ばれてみたくなった。
私はずっと、親を反面教師にしてきたので、自分が大人になって、好きな人が出来て、結婚して、子供が生まれたら、その子供に恥じないような母親になるのが夢だった。
美味しい料理を作ってあげたくて、小学生の頃から料理の勉強をした。
女の子だったら、髪の毛を可愛く結んであげたかった。
でも、私は母親にはなってはいけない人間。
私が精神障害者なのは、変えられない事実。
きちんとした子育てをしてあげられない。
だから私はもう、その夢は捨てた。
惨めになるだけだから…。
人生の可能性が狭くなってしまうのは、もう仕方のないことなのでしょう。
悔しいですが、夢だった介護士を続けられている事だけ。
たったそれだけが、今の私の、救いとなっています。
この夢を掴むこと、手放さなかったことだけでも、とても大変なことだったのですから