KADOKAWA 2017
小さいころからの価値観や教育によって我慢を強いられたり、好き嫌いや得意不得意が単なる「わがまま」だとみんなが思い込んでいないか?
できて当然、当たり前と思うことも本当は凄いことではないのか?
そんなことを考えた。
毎日学校に通うこと
宿題を提出すること
忘れ物をしないこと
一回45分~50分の授業を静かに座って受ける事
その授業を朝から夕方まで6時間参加できること
給食を時間内に残さず食べる
などなど。
本当に当たり前に何の努力もせずにできる事なのだろうか?
定型発達と言われる人たちも
早起きするために、宿題をするために、忘れ物のないように
意識、無意識の工夫や努力をしているはずだ。
そして
発達障害という発達の凸凹が大きいと
努力だけでは難しかったり、意識して工夫したり、環境を整えたりしないと難しいこともある。
できていることは
色んなスキルや集中力を駆使してできる
当たり前なんかじゃない。有り難いことなのだと改めて考えなおした。
日本の社会、とりわけ、日本の義務教育は人間が社会参加していくためのスキルをちょっと軽視しているのではないかなあと思う。前述したように結構大変なことだと思う。
そして、授業態度の評価やノート評価、出席率などの「マルチタスク」を求め過ぎてはしないだろうか?もちろん、授業に熱心に真面目に取り組んで綺麗なノートがまとめられて毎日学校に行けることは素晴らしいことだ。
問題はそれらができないというだけで簡単に不適応の烙印が押されることだ。提出物や授業態度などの内申点ではなく、テストの点数だけで評価してくれた方が評価がよかったかもしれないと本の中でも述べられている。
岩野さんは中学校を長期欠席することになるが、その期間にご両親の仕事を手伝うことやスパイスの調合をしてカレーを作るなど様々なことに挑戦する。挑戦しながら何が苦手で何が得意なのか、好きなのか、嫌いなのかを自分で自覚し、コーヒー焙煎士としての働き方を自分自身で見つけることになる。
中学校時代に自分の得意不得意や好き嫌いが自覚できた、自覚できる体験をした岩野さんを私は羨ましく思う。学校に行くこと、いい学校に入る事、真面目に勉強することが「いいこと」だと信じ込んで好きも嫌いも苦手も得意も分からずに過ごした学生時代が悔やまれる。
今からでも遅くはない。自分の生き方を自分で決めることはこの中年女子にもできるはずだ。そしてそれは定型発達であろうが、発達障害であろうが誰にでも気づきとチャンスがあればできることだと思う。

