ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -5ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

『15歳のコーヒー屋さん 発達障害の僕ができることから僕にしかできないこと』 岩野響
KADOKAWA 2017

これは発達障害者のサクセスストーリーではない。一人の少年の葛藤や決断を通して生き方、暮らし方、働き方について多くの人が考えるきっかけになる1冊だ。



小さいころからの価値観や教育によって我慢を強いられたり、好き嫌いや得意不得意が単なる「わがまま」だとみんなが思い込んでいないか?
できて当然、当たり前と思うことも本当は凄いことではないのか?
そんなことを考えた。

毎日学校に通うこと
宿題を提出すること
忘れ物をしないこと
一回45分~50分の授業を静かに座って受ける事
その授業を朝から夕方まで6時間参加できること
給食を時間内に残さず食べる
などなど。

本当に当たり前に何の努力もせずにできる事なのだろうか?

定型発達と言われる人たちも
早起きするために、宿題をするために、忘れ物のないように
意識、無意識の工夫や努力をしているはずだ。
そして
発達障害という発達の凸凹が大きいと
努力だけでは難しかったり、意識して工夫したり、環境を整えたりしないと難しいこともある。

できていることは
色んなスキルや集中力を駆使してできる
当たり前なんかじゃない。有り難いことなのだと改めて考えなおした。

 日本の社会、とりわけ、日本の義務教育は人間が社会参加していくためのスキルをちょっと軽視しているのではないかなあと思う。前述したように結構大変なことだと思う。
そして、授業態度の評価やノート評価、出席率などの「マルチタスク」を求め過ぎてはしないだろうか?もちろん、授業に熱心に真面目に取り組んで綺麗なノートがまとめられて毎日学校に行けることは素晴らしいことだ。
 問題はそれらができないというだけで簡単に不適応の烙印が押されることだ。提出物や授業態度などの内申点ではなく、テストの点数だけで評価してくれた方が評価がよかったかもしれないと本の中でも述べられている。

 岩野さんは中学校を長期欠席することになるが、その期間にご両親の仕事を手伝うことやスパイスの調合をしてカレーを作るなど様々なことに挑戦する。挑戦しながら何が苦手で何が得意なのか、好きなのか、嫌いなのかを自分で自覚し、コーヒー焙煎士としての働き方を自分自身で見つけることになる。
 中学校時代に自分の得意不得意や好き嫌いが自覚できた、自覚できる体験をした岩野さんを私は羨ましく思う。学校に行くこと、いい学校に入る事、真面目に勉強することが「いいこと」だと信じ込んで好きも嫌いも苦手も得意も分からずに過ごした学生時代が悔やまれる。

 今からでも遅くはない。自分の生き方を自分で決めることはこの中年女子にもできるはずだ。そしてそれは定型発達であろうが、発達障害であろうが誰にでも気づきとチャンスがあればできることだと思う。



ギャンブル依存症の書籍を読んでの感想を書いてみました。
ズバリなタイトル

生まれた時から不幸だったのかと思わずにはいられない自分がいます。

そんな生い立ちなので今日のタイトル「黒歴史」も
生まれた時からなんだとも思えるのですが
それにしても、書き始めようと思うまでに随分と時間がかかったこの10歳以降のことは一番自分が認めたくない、見返したくない嫌な時期に当たる「黒歴史」なのかもしれません。

家庭の複雑さや居心地の悪さもさることながら
この頃の私は、今思うと本当に変な子ども、嫌な子どもだったなあと思います。
小学4年生の頃には
突然同級生の顔をひっぱたいてみたり
かと思えば父子家庭の家の子のお母さん探しをみんなで手伝おうよ言ってみたり
不登校の子がクラスにいることに関しても(自分が低学年の時には不登校だったくせに)
「あんな子いるの、クラスの恥です」と言って先生に注意されたり、
同級生との関係のバランスもひどく悪かった

5年生の時に妹が小学校に入学するのですが、
妹の担任に妹のことを
「私と違ってバカだから妹の宿題を手伝ってあげてます」
と、堂々と言ったりしていました。

もう、本当に書きたくないエピソードばかり。
もちろんクラスメイトに好かれているはずはなく、やり返されたり、悪口を言われたりもしていたのですが、あんまりそのことにも傷ついたようにも感じてなかった。だから学校も休まずに行っていた。
人の感情がよく分からないのは小さいころから続いているが、
幼稚園の頃の方がもっと自分の感情は自覚できていた。
この頃は人の感情を読み取ることが難しいだけでなく、自分の感情を感じることもとてもとても鈍くなっていたのかなあと思う。
今思い返すと恥じ入ることばかりだけれど、こういう風に鈍くならなければ生きていくのがもっと辛かったのかもしれない。

そんな学校での私の暴言、暴挙は学期末の懇談の時に母親が知ることになる。
私は当時はそんなに悪いことを言ったり、したとは思っていないので
懇談から帰ってきた母親には
「ちょっと、来なさい」
と、怖い顔をして仏壇の前に呼び出されるのがいつも突然の出来事に思えた。
「あんた、○○ちゃんを叩いたり、○○ちゃんのことを馬鹿にしたのかね?!」と聞かれても何について言われているのかさっぱり分からず、キョトンとしている私を見て母親はさらに怖い顔をして「なんでそんなひどいことをする!?」と叱るのです。
叱られているし、ダメなことだったんだというのは分かるのだが、「なぜ?」と聞かれても答えられない…。
ずっと黙っていると最後に必ず母親が言うセリフ。

「お母さん、恥ずかしかった。」

そうか、私は恥ずかしい子どもなんだ。
ボーっとそんなことを考えて説教をやり過ごしていた。
あまり反省もせずに。というかできずに。

これはスクールカウンセラーもスクールソーシャルワーカーもいなかった時代の話。
今だったら、当時の私みたいな子どもがクラスにいたら、当時とは少し違ったアプローチがされていたのかなあなんてことも相談業務を生業としている今の私は考える。

大人たちは家庭の闇を隠して生活しているけれども
闇が深ければ深いほど子どもを通してそれは染み出し、見え隠れする。

当時の我が家と私には大事なものが欠けていたように思う。
先日、こまりのところに福祉事業の話を聞きたいという輩がやってくる、という話を書きました。
結局何のアクセスもなく、なんだかなあとは思ったのですが…。
察するは伝わるではないわけで。

話してたらまあまあ分かりました。

自営業で農業をしているのだが
障害をもった知り合いも手伝ってくれてるし、
「社会貢献」で障害者も働けたらいいなあと思うし
人に聞いたら福祉の事業にすればいいという人もいるもんだから
一体どんな業界なんだ?!
と思った

というのがざっくりした話でした。

人に言われて障害者福祉事業(おそらくは就労支援)かい!
しかもうちは相談支援事業所やぞ(-_-;)
浅はかやなあ~
と思わなくもなかったのですが、
本当に何も分からなかったらしいので

雇用や職場体験実習は受け入れできるのか?
作業内容によっては就労支援事業所に業務委託できないか?
移行支援の実習は?
原材料の取引で就労支援事業所と連携、情報交換するとかは?
などなど
まずは福祉事業をする云々ではなく
ご自身の自営業の中で何ができるかを
考えてみてはどうでしょう??

とお話させていただきました。

あ~、そういう色んな方法あるんですね~と
ある程度納得されたようです。

つながるといいですね。ホントに。

で、よくよく聞いてみると
その農家さん、
こども食堂に野菜を寄付したりもしている。
十分に「社会貢献」できてますやん!

福祉じゃないと社会貢献じゃない
もしくは
福祉は社会貢献だ

という狭い考え方についついなってしまってないかなあ。

色々あって色々な形で社会貢献できているって
いいなあと思います。

ソーシャルワーカーこまりです。

私は
お説教とお節介が大嫌いだけれど

私のしている仕事は
もしかすると
対話による少々のお説教と手加減したお節介、なのかもしれない。

最近そんな風に思う。

なんでお説教とお節介が大嫌いか、というと

こちらの都合やペースを無視されるからなんだと思う。

誰にも助けてもらいたくないとか
関わってほしくないとか
助けなんかいらない
そう思っているわけではなく

困っていることを聞いてもらいたい
どうしたいか自分で考えたい
そのうえで何を手助けしてもらいたいかを
自分で決めたい

そう強く強く思っているのは私。

小さいころから
自分の好みや考え方を
親や周囲の大人に話しても
無視されたり
否定されることが多かったので
余計そう思うのかもしれない

否定されてもされても
それでも自分を生きたいと
思い続けた結果が

お説教とお節介大嫌い
なんだと思う。

意思のある自分の人生を
少し誇りに思う。

そして
お説教やお節介を
「手加減できる」
ということは
援助職をしているうえでは
強みにおもっておこう。
『やめられない ギャンブル地獄からの生還』
帚木蓬生 集英社
正直読むのが苦しかったし、残念な事実を突きつけられた。

特に前半。
病的ギャンブラーたちの体験談がこれでもかこれでもかと続く。
痛い…。

当事者も家族もほぼ全員が
『結婚したらやめられると思った』
『子どもができたらやめられると思った』
そう語る。
けれども結婚や出産というライフイベントでギャンブルは止まらない。

私の父親もそうだったんだ。
結婚すれば
子どもができれば

私は
ギャンブルの抑止のために
生まれさせられたのか…

そんな風にも思えた。
やっぱり存在を望まれて生まれてきたのではない。
私が生まれても止まらないギャンブル
みんなが不幸の中で生まれてきた
生まれたときから不幸。

そんなことを考えて痛かった。


だからこそ思う。
ギャンブル依存には治療が必要だと。

子どもや配偶者の誕生日を忘れ
結婚指輪を質に入れ
生命保険を解約し
ギャンブルのための資金に変える
暮らしも
性格も変わる。

どんどんと
人間らしい思考から遠ざかっていく。

こんな悲しい病気はないなあ。

自分の出生を嘆いてもみたけど

12のステップにもあるように
そんな家庭に生まれたのも

自分ではどうしようもできないことで
ハイヤーパワーや神にゆだねるしかないことなんだろうな。

生まれさせられたのではなくて
生まれたんだ。
そう思えるように

私もまた
まだまだ回復の途上にある
家族なのだと
実感しました。

これから回復しようと決めた人に
読んでほしいなあと
思います。

と、ここまでは当事者としての読書感想文ですが、
ここからはちょっと対人援助職としても考えたことを書きます。

昨今、生活困窮者自立支援制度というものがスタートして
経済的に困窮している人への支援が制度としても開始されました。

この生活困窮者支援に引っかかってくる人の中には病的ギャンブラーも少なからず存在するのではないでしょうか?
その制度に関わっている人や
ファイナンシャルプランナーの方にも私はぜひ読んでいただきたいなあと思います。

説教では絶対改善されません。
家計相談だけでは病的ギャンブラーの世帯は救えません。

まさに
治療が必要なのです。

相談援助職は
えてして目の前の相談者を
自分でなんとかしてやろう、と思うものです。
私も援助職の端くれですのでそういう気持ちが心の隅に必ずあります。

ギャンブルに限らず
アルコールも薬物もその他の物質、嗜癖
依存症は
相談援助だけではどうにもならないことの方が多いです。

分からないまま説教とお節介を繰り返して
事態をこじらす前に
依存症への知識や理解のある機関、専門職につなぐ

生活困窮者自立支援制度に関わっている人は
そのことを頭の片隅に置いておいても邪魔にはならないと思います。