6/28(土)に救急車で運ばれた父。
ストレッチャーに向かって歩いて救急隊員の指示に従って寝そべっていたので、このときはそこまで大変な状況とは思っていませんでした。
CCUという重篤な心臓疾患を抱えている患者が入る集中治療室へ入院しました。
6/29(日)。
病院から何時でもいいから来てほしいと電話がありました。
昨日歩いている父をみたので「月曜日に行こうと思っていてそのときじゃダメでしょうか?」と聞いたら「なるべく早く来てください」と言われました。
母と病院近くに住む下の姉が主治医からの説明を聞きにでかけました。
お昼ごろ病院にいる姉から電話が来て
・ひどい肺炎で両方の肺が真っ白
・ウイルス性肺炎じゃないから投薬しても効果がなく自力回復しか望みがないこと
・人工呼吸器装着に同意したこと
・早くて今日の午後、長くても1週間ぐらいしか持たなそう
ということを教えてくれました。
「来れる人は早く病院来て」
と連絡が来て、慌てて娘の支度をして近所に住む父の弟のおじさんに声をかけて急いで病院に行きました。
CCUに到着して父の顔をみることができました。
単身赴任先にいる旦那さん以外、家族全員集まれました。
その後、待合場所で家族会議。
・ECMOはつけないこと
・もしものときに連絡する人
などを決めました。
長いながーい1日。
病院から帰宅して母と2人で「もしも、あのとき」という話をしました。
こういう話ってしても意味ないけど
・もしも病院を早く変えるように言っていたら
・あのときもっと早く救急車を呼んでいたら
この2つがメインで話してたけど、今更です。
その後、、、、
上司に状況説明をして、知り合いの葬儀屋さんと相談して、など慌ただしく7月が始まりました。
お見舞いに行った家族からは「父が声に反応した」「指先が動いた」と毎日報告がありました。
しばらくして、、、父が目をあけました。
人工呼吸器も取れました。
両方の肺が真っ白だったのが少し影があるかも?ぐらいの状態にまで回復していました。
CCUに運ばれて1週間後に一般病棟に移れました。
心配していた食事やお手洗いも自分でできるから退院後の介護の心配もなさそう。
回復が早かったからか、少しのリハビリで元の生活に戻れると言われて理学療法士さんと病室前の廊下を行ったり来たりしていました。
そうして7/10。
ようやく家に自分の足で歩いて帰ってくることができました。
「早ければ今日の午後」と呼ばれて父と対面した6/29。
眠っている父の頭や顔をなでながらたくさん泣きました。
もっと優しくしてればよかった
もっと美味しいものを食べさせてあげればよかった
もっと父と話をしていればよかった
たくさんの「もっと◯◯」が頭の中を駆け巡ったけど、幸いそれをこれから実現することができそうです