これは私の日記ブログなので育児だけでなく日々起こることも書きます。
先日、父が亡くなりました。
去年から入退院を繰り返し、年末からはずっと病院。
元々動脈硬化が進んでいて心臓血管部分から血液が漏れたり、動脈瘤ができたり、最後の方は薬や内視鏡手術で体の負担と緩和とのバランスをとりながらの入院生活でした。
週末にいつもみたいにLINEのビデオ通話して、その翌日に容態が急変。
「またね、バイバイ」が最後。
病院に駆けつけると父はICUでたくさんの管に繋がれて翌朝息を引き取りました。
入院する半年ほど前まで、父は40年ほど地元の小学生向け少年スポーツクラブのお手伝いをしていたのとラジオ体操や銭湯にも通っていたり、朝の旗振りなども行っていたりしたのでお通夜には160人ほどの参列者が来てくれました。
スポーツクラブの新しいユニフォームを着てみせにきてくれた子、中学校や高校の制服の子、スーツを着たまだ幼さの残る顔立ちの子。
スポーツクラブで父と関わりのあった子達がたくさん来てくれました。
きっと彼らにとって初めてのお葬式。
何人か泣いていた子たちもいて、やんちゃな子たちでよく父に怒られていた子たちだとあとでチームの監督が教えてくれました。
厳しくも愛情をもって接していた父の気持ちが伝わっていたようで嬉しい気持ちになりました。
近所の方や他チームの監督たちや関係者、ラジオ体操仲間など大人もたくさんきてくれました。
遺影の父はちょっと照れくさそうなはにかんだ笑顔。
供花を15基と多く頂いたので、告別式ではたくさんのお花を棺に詰めることができました。
あの世への途中でお腹が空かないようにと父が大好きだったどら焼きと干し柿を手に握らせた母。
「大好きだったよ」と母の口から初めて聞いた父への愛の言葉。
なんだやっぱり大好きだったんだ。
往復2時間の距離でも週に2回父の入院先に通った母。
75歳の母は帰ってくると疲れてぐったりしてたけど、「今日は顔色良かった」「今日はご飯全部食べれた」「美容師資格持った職員の人に髪の毛切ってもらったの」とか父の様子を嬉しそうに話してくれてました。
もう病院に行くことはない。
いつ帰って来れるか心配することもない。
少しずつ「⚪︎⚪︎することがない」の繰り返しで亡くなったことを実感していくのかもしれない。
お経を詠んだお坊さんは人の命を朝露に例えていました。
人の一生は儚い朝露のよう。
でも朝露はきらめいたり、朝露があることで周囲に潤いを与える。
そんなような話をしていました。
半年の入院生活で日々リハビリに励んで家に帰ることを目指した父。
あぁ家の階段登るの手伝いたかった
新しい杖渡したかった
母の手料理も私の手料理も食べさせたかった
父は厳しい頑固親父だったけど、優しくて大好きでした。
今、葬儀が終わってしばらく経ちます。
納骨まであと少しの時間、毎朝父の位牌にお線香を上げて「おはよう」をいう。
この時間は亡くなったことを実感するとともに、最後に父と過ごす時間なのかもしれない。
あと少し。大切な時間です。