私にとっての2011年 |  とある尼さんの誰にも言わないお話
去年、2011年は

周知の通り

日本人にとって

特別な年になりました。




もちろん

東北住まいの私も例に洩れず。


東日本の震災については

言わずもがな



私的なところでも

心身ともに
負担の大きな出来事が続いた
一年でもありました。








まず

旧正月を迎えるあたりに

何十年ぶりか

人生2度目のインフルエンザにやられ、

細胞がいっぺんに

総入れ換えされたような

経験をさせられました。


健康の有り難さ

命の尊さを

改めて思い知らされました。






それが収まったところでの震災。



そして

そのショックもままらないうちに

檀家さんで
痛ましいご不幸がありました。

30才前の青年でした。

仕事のうえでの事故でしたが

歎き悲しむご遺族の姿に

かける言葉が見つからず

ただただ、
彼らの言葉に
頷く事しか出来ませんでした。



その時

涙を浮かべて
流された家族の事を語る

宮城の避難所の女性の顔が
思いうかびました。








それから

身内での不幸が続きました。


まず

従姉妹の子供が25才で亡くなりました。

急な病でした。

前日まで何事もなかった彼は

朝には鬼籍の人になっていました。


従姉妹夫婦が

前の月に息子さんを亡くした
喪主家のご夫婦と
そっくり重なりました。


そして被災地の方々も。


若い息子を
送り出さなければならない
親の苦しみを

再び目の前にして

私も涙を堪える事が出来ませんでした。


従姉妹の旦那さんは

声を殺して
男泣きをしていました。



お坊さんとして

泣くまいと覚悟して
従姉妹のもとに訪れたつもりでしたが

かないませんでした。







そうしているうちに

その従姉妹の母親である
伯母が亡くなりました。


伯母は

長い病との闘いを終え
静かに旅立ちました。


その旅立ちは

愛娘である従姉妹の息子を

追いかけて逝った様でした。

大変愛情深い伯母でありました。






そして年末

お坊さんの青年会でご一緒した

若い副住職が急逝なされました。

彼もまだ

30前。


従姉妹の息子と同じ病が原因でした。


ご両親であるご住職夫妻は
大変気丈に振る舞っておられましたが

その胸中
いかばかりかと拝察いたします。




その間も

信じようとしていた人に

どうしても
気持ちが通じないのだと

思い知らされたり



己の未熟さに

翻弄される出来事が起こりました。









こうして


全て

先の檀家さんや

従姉妹夫妻や

被災地の諸々が重なり

自分の中でリンクして



何とも

【無常】を感じずには

いられない一年でした。






わかった風なことは

一切言わせて頂けない

【現実】




これまでに

人の苦しみが

己の苦しみと

このような同調(シンクロ)を

感じた経験はありませんでした。





無論

実際の体験をした方々には

及びもつかない

私ごときの感傷です。





しかし


説明のつかない

疲労感

無力感に襲われ続けた事は


紛れも無い事実でした。




何とか

この
不安定さを

拭い去りたい。







ふと

約2500年前


お釈迦が
王家の身分をも棄て

出家しようと決意した時の
心情は

こういったものなのかと

思いました。




恐れ多い事ですが…










人は

何ゆえに生まれ

苦しみながらも

生きるのか




巡る因果の輪の中で


苦しみから逃れられない世界で



真の幸せとは何か。



己とは何か。



命の姿とはどうあるべきか。




今までわかった様なつもりでいたことを



考えて

考え続け


それが

頭から離れない

一年でありました。








告白してしまえば


やっと今になって

ここに書く事が出来ました。



私の中の傷は

思ったより深いようで

言葉にしようとしても

なかなか形になりませんでした。





ここに書いた事も

全ては表現出来ておりません。





ですが

小学生の作文の様でも

もう書かずには

いられないと思いました。




愚痴とも

ナルシシズムの極致ともつかない文章を


みっともなくても。