順縁/逆縁 2 |  とある尼さんの誰にも言わないお話

…コホ





ですからね。




こうやって時間をおいて


その時を振り返ってみると



よくわかるんです。







ああ、また



観音様がお姿を現して



教えてくだすったな~




…なーんて。





私ののびしろを


お示し下すったって。







目の前の事象(ヒト)に



かっとなったり



傷ついたりして



振り回されてると感じた時





その


私の目の前の事象(もの・ひと)は



私にまた新たな



学びを与えて下さる。






自分が



「こんなもんかな」



って甘んじているところに






「まだ



あなたが知らない


こんな気づきもたくさんあるんだよ!」



って…







…いや、



なんで観音様かっていったら




観音様って


三十三現のお姿をとられると


いわれてますからね。






あっ、


ちなみに




三十三現といっても


本当に33種類っていう意味でなくて






無限(仏教では3は無限を表す数字)のお姿で




私たちの目の前に現れ




教え導いて下さる存在


 


ということ。












わたしはたまたま


ブッディストですので




「観音」という表現をつかいましたが






神道のかたは


「神様」でもいいですし






大陸聖書系のかたは


「天使」でもよろしいかと。。。








(正確に考えちゃうと


まったく話が


そりあわなくなってしまいますので


ま、その辺はよしなに…)





















きっと、



自分が知らず知らず



その学びを求めているから



その自分の目の前に



その事象は起こる。





この世界は




偶然という名の必然で溢れている



…私はそう思います。








世界は



まず「自分」とぃう(意識)がなければ



始まらない。





自分がない世界というのは



在り得ないわけで。








「わたし」という意識が



世界を形作っているといっても



過言ではないと思うのですよ。






ですから


わたしがここでいう



「観音様」というのも



自分の意識の一部を指します。








極端にいえば



この世の事象すべてが己そのもの



ってかんじでしょうか。


(なんか電波っぽいか…?)








この世はね~、




お釈迦様のお言葉を借りれば




すべからく


縁(えにし)なのですよ~。











ま、



私は大学で



哲学も宗教学も



学んだことがないので



かなり自己流な言い分です。




coma的解釈として流してくだされ。













いつも自分に言い聞かせているのは





“自分にとって



「順縁」だけが



自分を形作るものではない



「逆縁」もまた然り”



ってこと。








別の角度からいえば



「ものは取り様」ってことですかね。






「逆縁」をどう自分の成長に生かすか。



ただ捨て置くだけではね。



…もったいないというか。










~「順縁」「逆縁」ともに良縁~




先生が教えてくれたのは、



この言葉でよかったっけかなあ。。。










良いことも悪いことも



この身に起こったことすべて



自分の実にするかしないかは



自分次第ってことで。













考えてみたら




当たり前のことなんですけどね。








【世の中無駄なものなんてない!】




って、


よくいわれてますやん!


(なんでシンスケ…)













まっっ、






結局



何がいいたかったかというと





私はまだまだ出来る子よ~♪





ってことでしょうか*




ほほほほ~~~***









なにもこれは

ワタクシに限ったことでは

ありません。



皆さまお一人お一人にも

感じていただきたいなあ

と思うのです。




…いや

マジで。