今回(2025/7/21)、遭難救助を目撃しました。

見た限りの一部始終です。

 

 

北アルプス、南岳から見る北穂高岳(黒い台形状のピーク)。南岳は 3033m、北穂高岳は 3190m で、ほぼ変わらず。この日の目的地は北穂高岳山頂にある北穂高小屋。朝、槍沢小屋からここまで上がって来た。これから標高差で 250m 下って 350m 登り返すという、登山ではあまりやりたくないパターンを実践することになる。

 

 

南岳を出発してほんの 10 分ほどしてヘリが飛来する。救難用のヘリで、遭難者でもいるのかと思ったけど、ホバリングしていた時間はあったものの短く、あっちへ行ったりこっちへ来たりしている。

出発から1時間くらいして最初の休憩をとっている間に霧に巻かれ、ヘリの音もしなくなった。レスキュー活動はできない状況だ。単なるパトロールだったのか?

 

 

こんな岩場にも花は咲いていて、今の時期はこの紫色のイワギキョウが良く咲いている。

 

 

登りにかかる。ここが一番難しいところで「飛騨泣き」という名前がついている。

矢印のとおりに進む。登路には鎖や鉄杭が設置されている。

真っ直ぐ上まで登るわけではなく、手前の矢印から少し降り、それから直上して、2つ目の矢印の上から首のあたりを右に回り込むようにして進む。

 

 

こんなプレートが真ん中あたりのトラバースを始めるところに設置されている。

上の写真の3つ目の矢印の上。

 

 

ところが、ちょうど抜けた辺りで雷鳴が轟いて雨が降り始める。

で、レインウェアの上衣だけを着て続行。もうあと 30 分くらいで小屋に着くはずだ。

と、岩場を回り込んだところで揃いのウェアを着た4人の若者と遭遇。

一瞬で、救助中だということはわかった。さっきのヘリはこれだったのか。

ただ、遭難者に身体的なダメージはなさそうだった。滑落ではないよう。

 

 

ボディハーネスを遭難者に装着させて、4人が交代で担いでいるようだった。

でも、一人が担げるのはほんの 10 分で高差だと 30m くらい。

それに、担ぐ人員を交代するのにとても時間がかかっているようだった。

彼らは僕より 30 分ほど遅れて小屋に到着した。遭難者は今夜、この小屋に収容するようだ。

 

 

この日の北穂高小屋の夕食。豚の生姜焼き。

遭難者は滑落ではなく、高山病(持病もあるようだけど)だったらしい。いずれにしても、体調不良による行動不能ということだった。

ヘリは、最初は急峻な岩場のため、それから霧がかかったために、ピックアップできなかったらしい。

 

翌朝、常念岳の左横から朝日が昇った。ドンピカではなく、三ケ月形の光輪が認められて美しかった。

雲海の右後方は浅間山。

 

 

ここの定番写真。奥はもちろん、槍ヶ岳。

僕は北穂高小屋は三度目だけど、この写真は撮っていないような。つまり、晴れなかったということか。

槍の手前の稜線が落ちかかるところが南岳。

 

 

ここのトイレは大と小を分けている。お尻を拭くペーパーも便器には捨てない(これは焼却でしょう)。

こういうふうに分別してから処理する方が一緒くたにするより都合が良いらしい。

 

 

で、準備 OK で、歩き始めると、先で救助隊員にストップさせられる。

ヘリで遭難者をピックアップするので、ローターの風が吹くから、待機してくれとのことだった。

東から飛来し、ピックアップする尾根の上を一旦通り過ぎ、前穂高の上を回って、富士山の左を行く。

 

 

ヘリの機内から一人の隊員が下降し、遭難者と一緒になってワイヤーで引き上げられていった。

二人は向かい合った姿勢でいる。右が遭難者。

 

 

涸沢の小屋で立ったままアイスクリームを頬張る救助隊員。僕を追い抜いて降って行った。

彼らは涸沢に常駐しているらしい。

 

 

映画じゃあるまいし一人で遭難者を救命できるはずもない。そんな活動自体が危険だ。今回も4人のチームワークで成し遂げたことです。

 

この年、大キレット周辺では遭難が多かった。遭難はいつか必ず起きることで、自分の身にも起きないとは限らない。どのレベルの登山者であっても事故は起こり得るのだ。その時の自力でのリカバリが重要なのだが、他力による救助を当てにして登ってはならない、というだけだ。でも、助力というのは大切なことだろう。「山に登るな」ではないのだから