和水町内田に所在する町指定有形文化財の

内田五輪塔群です。

 

 九州自動車道で熊本から福岡方面に行く際、菊水ICを越えて菊池川を渡るとすぐ左に見える小山の中腹にあります。この小山が中世の内田宮山城跡(未指定)で、その主郭の一段下の郭に置かれています。

 本来、五輪塔群は城の北側にあったそうですが、高速道路の建設に伴い現在の場所に移設されたそうです。

 この五輪塔群はどれも16世紀代の石造物ですが、その中核をなす大永2年(1522年)銘の五輪塔はこの時期のものとしては県内では一番大きいのではないでしょうか。とにかくおっきいです。そして保存状態も良好です。

 この五輪塔群へは、麓の赤子宮から山道を登ります。山道を登るためのロープが設置してあるくらい急な道ですので訪れる際はご注意ください。

 

中央が大永2年銘五輪塔。とにかくデカいです!空・風輪も大きい!火輪の軒口が厚い!軒反りが強い!そして、水輪は算盤玉形をしています。どのパーツも大きいですが、刻まれている梵字は小さく、鎌倉時代とか古い時代のものに比べるとどことなく頼りない感じ。まさしく16世紀代の特徴がよく出ている五輪塔ですね。

 

大きな空・風輪。一石で造られています。どちらの梵字も小さいです。

 

大きな火輪。ここにも小さな梵字が。

 

水輪は算盤玉形。他よりもやや大きめの梵字が月輪の中に刻まれています。

 

地輪です。梵字「ア」を中心にして、たくさん文字が書かれています。ここには34人分の名前が刻まれていて、自らの供養を目的とした逆修供養塔であることが分かります。五輪塔が所在する内田宮山城主であった内田氏一族(菊池氏家臣→龍造寺氏家臣)のものと思われます。一番左に「大永二天」の銘が刻まれています。

 

「大永二天」部分の拡大写真。右には「妙金禅尼」などの人物名が刻まれています。

 

 

 

大永2年五輪塔の左隣に板碑や五輪塔があります。

 

 

五輪塔の地輪。どちらも永正10年(1513年)銘で、この五輪塔群の中では一番古いです。

 

2対の板碑。どちらも天文8年(1539年)です。

 

※写真は2020年4月撮影