【ファミコンでゲーム】
みどりちゃん「いっけー!パワースパイク!!」
麦ちゃん 「あーっ!!その技つかわないでよー」
童子さんの家にファミコンを持ち込んで遊んでいる麦ちゃんとみどりちゃんです。
ビーチバレーゲームをしているようですが、ボタン連打で強烈なスパイクが打ち出せるようになっていて、力技で相手を倒すことができるようです。
【ファミコンの父、上村雅之氏】
1983年に任天堂から発売された家庭用ビデオゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」です。
上のイラストは1986年に発売されたカートリッジスロットとディスクドライブを搭載したシャープのツインファミコンです。
先日ファミコンの生みの親、任天堂の技術者で大学教授でもあった上村雅之氏が亡くなったというニュースが流れました。
ファミコン以前にも任天堂はじめエポック社、海外ではビデオゲームの老舗のアタリ社がカートリッジを交換することで何種類ものビデオゲームが楽しめる家庭用ゲーム機がありましたが、ファミコンはそれまでの家庭用ビデオゲーム機よりもはるかに美しいカラーグラフィックと高い処理能力を持つことで、世界的な大ヒット商品になりました。
また、発売されるゲームソフトには任天堂の厳しい審査があったため、いわゆるクソゲーの粗製濫造を防ぐことができ、ハズレをつかまされて泣く子がいなかったことも高い人気につながりました。
【シャープのツインファミコン】
3D-CADのSketchUpで作成したツインファミコンです。
ゲームカートリッジは実在のゲームではありません。
ファミコン開発者の上村氏は元々はシャープの技術者で、製造したトランジスタや光センサーなどを玩具に使ってもらおうと任天堂にも商品を提案していて、ライオンの頭の模型の額にライフルを撃つと「ガオー!!」とライオンが叫ぶ光線銃ゲームや、マイコンを使った初期の家庭用ビデオゲームなどが任天堂より発売されました。
上村氏はその後、任天堂にスカウトされ、任天堂で液晶パネルを使った携帯ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」(1980年)を開発し、そのマイコンや液晶パネルがシャープから任天堂に供給されるという、Win-Winの関係を築いていきました。
ファミコン自体はリコーが製造していたモステクノロジー6502互換CPUが採用されたのですが、当時シャープはゲーム&ウォッチの液晶パネルやマイコンの生産に追われていて、それ以上の負荷をかけられないという判断があったようです。
任天堂公認のファミコン内蔵テレビC1や、このツインファミコンが唯一シャープから発売されたのは、この辺りの理由が大きいのでしょう。
ファミコンの成功で、セガ(後に撤退)やNEC(後に撤退)、ソニーも家庭用ビデオゲーム機に進出し、今でもこの家庭用ビデオゲーム機に関しては日本では少なくなってしまったトップシェアを誇る製品群になっています。
判官びいきをしたがる私は、ファミコンではなくメガドライブ(セガ)に手を出してしまったんですよね(;´Д`)
いや、後悔はしていませんが、ゲームのラインナップは同じモトローラの16ビットCPUを搭載したパソコンのX68000と被るものが多かったし、何よりもドラクエをファミコンでプレイしていたら、人生も変わったかもしれませんね(;^_^A