【火星のシスターウルフ】
火星の移民都市にプリティ帝国軍がプリティ・ハンティングに襲来した!!
SOSを受信したキャプテン・ジョーとシスターウルフはすぐさま火星に降り立った。
【ロボも登場です】
新たに超AIロボ「パック」がメンバーに加わったシスターウルフ隊。
プリティ将軍を倒す日まで、戦え!!シスターウルフ。
猫山ケーブルテレビで日曜夜7:00より大好評放送中(←そんなテレビ局ないですからね(^_^;)
【テレビが家庭の主役だった頃】
円谷特撮の中でもマイナーなスター・ウルフネタで3回引っ張りましたが、こちらでは同級生たちがみんな見ていました。
それはなぜか…当時は新潟には民放が新潟放送(BSN)と新潟総合テレビ(NST)の2局しかなくて、おのずと皆、同じ番組を見ていたからです。
昭和40年から50年初頭の頃までは、テレビが1台しかない家が多く、家族で1台のテレビで番組を見ていた家庭が多かったと思います。
テレビこそが娯楽の王様で、家で最も偉大な家電製品でした。
地方では民放局もせいぜい2局程度しかないため、同じ番組を見ている人ばかりで、それだけにテレビ番組の話題で花を咲かせることができました。
昭和50年以降カラーテレビが安価になり、また小型のテレビ受信機も出回るようになり、一部屋に一台の時代になってもまだテレビが娯楽の王様でした。
【多チャンネル化とインターネットの登場がテレビを過去のものにした】
平成に入ると衛星放送やケーブルテレビのサービスが始まり、さらにレンタルビデオ店の登場で、いつでも好きな番組や映像コンテンツを見ることができるようになりました。
そうなると、学校や職場ではテレビ番組の話題は減っていき、共通の話題はプロスポーツや大ヒット映画などに変わっていきました。
テレビの使われ方も変わっていき、ゲーム機やパソコンの表示装置として使われることが多くなり、ますますテレビ番組の話で皆が盛り上がる場面は見られなくなっていきました。
決定的なのはインターネットの登場で、私もPCの画面を見ている時間の方がTV番組を見ている時間より圧倒的に多くなっています。
趣味や嗜好が多様化していくことになりましたが、ネットは距離の制約を超えて同好の士が集まって共通の話題を楽しむことができ、それはそれでよい時代になったとは思います。
【1台のテレビを家族で囲んでいた時代】
だけど今にして思うと、そのような時代がとても懐かしくあたたかく感じます。
学校に行っても同じ話題で楽しむことができ、今よりも得られる情報量が圧倒的に少なかった分、想像力を働かせることができたように思います。
そんな事を書くようになったのは、それだけ昔の時代の人間になってしまったということなのでしょうね。
それにしても[みんなの絵文字]と顔文字機能がなくなったことで、文章が多い記事がなんかさびしくなってしまったように感じますね…。