【PC-9801と一太郎】
「イエーイ!!
童子ちゃんグッジョブ!!おかげで昔のファイルが読み込めるぜ」
「私もMS-DOSなんて初めて使ったから自信はなかったけど、なんとか立ち上がりましたよ、このPC」
「DJさん、何で20年も前のワープロの文書が必要だったんですか?」
「モンフチ電機知財部の黒鳥さんが、ボクが昔書いた論文を引用したいっていうんだ」
「DJさん、ほんとは帝都大の経済学部を出てピーマン・ブラザーズに勤めてたエリートなのよね」
「なのに何で
きな姉のとこでアルバイトなんてしてるのよ、もったいないわ」
「ボクは
きなこさんの商才を高く評価してるんだ、猫だけどボクにとっては大先生だよ」
「(…インチキ商売ばかりしてるのに、きな姉は)」
「そうだ、君たちにお礼をしなくちゃ。素敵なディナーでもどうかな?」
「やったー!!」
【国民機とまで呼ばれたNECパーソナルコンピュータPC-9801】
1982年に初代機が発売された、日本で最も普及したパソコンのNEC PC-9801シリーズです。
日本初の16ビットPCと思われている方も多いかもしれませんが、三菱電機のマルチ16が日本初の16ビットPCです。
しかしマルチ16がビジネス用として発売され、しかも高価だったため、個人ユーザーにも手が届く価格で発売されたPC-9801にあっという間にシェアを奪われてしまいました。
翌年の1983年にはNECとパソコンのシェアを二分していたシャープが、マウスを使用でき、マルチウィンドウ・フルビットマップディスプレイを実現した16ビットPC[MZ-5500]を発売しましたが、PC業界での1年の遅れは致命的で、その後、高性能16ビットPC[FM-16β]を発売した富士通もとうとうNECの牙城を崩すことはできず、NECはその後約15年にわたるPC-9801黄金時代を築いていきます。
【NEC PC-9801RX】
1988年に発売されたPC-9801RXです。Sketchupで描いていますが、私はNECのPCはあまり使ったことがないのでカタログ等は手元になく、寸法は大まかなものになっています。
PC-9801はIBMが発売したIBM PCをお手本にしたような、いたって平凡なハードウェアの16ビットPCでした。
グラフィックもサウンドも貧弱で、高速処理のできる16ビットCPUと当時としては大容量のメモリを搭載していたことくらいしか特筆するものはなく、その後32ビット化しても過去のソフト資産の継承のために、グラフィックも高解像化されず、ただ速いだけのつまらないマシンにしか私には思えませんでした。
もちろんハイパー98シリーズや16ビットマルチメディア機PC-88VAのように当時の最先端の技術を搭載した尖ったマシンもNECはリリースしたのですが、保守的な日本のユーザーは、みんなが使っているからという理由だけで平々凡々なPC-9801を選んでいました。
PC-9801シリーズが15年にわたり目立った進化を遂げられなかったのは、実はユーザーがそれを妨げたというのも一つの理由だと思います。
PC-9801の黄金時代は、電子立国日本の衰退のきっかけを作った一因ではないかとさえ思います。
ところでPC-9801シリーズはいくつものキラーアプリがPC-9801専用に発売されたことで、その地位を盤石なものにしましたが、特に功績が大きかったアプリにジャストシステムが開発した日本語ワードプロセッサ[一太郎]の存在があります。
PCで実務に耐える初めての日本語ワードプロセッサアプリの一太郎は、優れたかな漢字変換システムATOK(エイトック)を搭載していて、当時シャープのPCを使っていた私も、これに関してはうらやましく思っていました。
Windows時代に入り、メーカーを問わずどのPCでも同じアプリが使えるようになると、それまでPC-9801専用のソフトを使いたいがためにPC-9801を購入していたユーザーが、「安さ」「機能の高さ」「デザインのよさ」など、自分の目的にあった他のメーカーのPCを使い始めるようになりました。
アメリカのコンパック(後にヒューレット・パッカードに吸収)が安価で高性能なWPCを、同じくアメリカのゲートウェイ2000は拡張性が高いPCを、ソニーはデザインの優れたPCを次々と発売し、PC-9801の黄金期はWindows95の登場で終焉を迎えました。
しかし、日本語という言語を取り扱うアプリはやはり日本人でなくては作ることができず、ジャストシステムの一太郎とATOKは日本でのWindows用定番アプリとして高い人気を維持していました。
私もWindows XPの頃までATOKを使い続けていたのですが…(次回に続く)