今夜の猫たちです。
【昔流行った日本語ワープロ?】
「きなこさん、それはワープロですか?」
「これ?これはパソコンよ」
「プリンタがついてるからワープロじゃないの?」
「35年も昔の機械だけど、日本初のノートPCよ。当時はラップトップPCって言われてたけど」
【現在のノートPCの始祖、シャープPC-5000と現在のノートPC Lenovo ideapad310】
左側にある、ぶ厚くて小さなモノクロディスプレイがついているPCが、1983年に発売された16ビットポータブルコンピュータ、シャープPC-5000です。
現在主流のクラムシェル(二枚貝)型ノートPCの基本形を作ったのは、1982年に発売されたアメリカのGrid compass computer(グリッド・コンパスコンピュータ)です。
それ以前も持ち運びのできるパソコンはあったのですが、ブラウン管ディスプレイを内蔵して、大きさも肩掛けのクーラーボックスほどもあり、とても外に持ち出して使うようなシロモノではありませんでしたが、グリッド社のコンパスコンピュータは、当時登場したばかりの平面ディスプレイ(シャープ製無機ELディスプレイ)を搭載し、ディスプレイをパタンと閉じれば百科事典くらいの大きさになり、頑張れば持ち歩けるほどにまで小型化が実現されました。
【Sketchupで描いたPC-5000】
その翌年の1983年にシャープが日本初のポータブルコンピュータPC-5000を発売しました。
こちらは低消費電力の当時としては高精細度(640×64ドット)の白黒液晶ディスプレイを搭載していて、内蔵された鉛蓄電池(車のバッテリーと同じものです)で、電源のない屋外でも6時間の長時間稼働ができました。
インテルの16ビットCPU 8088を搭載し、メモリは128KB。MS-DOSとマイクロソフトBASICをROMで内蔵していました。重量はわずか(!)4.5kgで、猫砂よりもずっと軽いです(^-^)b
特徴的なのは外部記憶に磁気バブルメモリ(上の絵の本体右側にある青いカートリッジ)を使用していて、今でいうSDメモリーカードのように、そこにデータやプログラムを保存することができました。
記憶容量は64KBまたは128KBでした。
今は64GB、128GBのSDカードがありますから、実に100万分の1の記憶容量でしかありません。
別売の熱転写プリンタを内蔵することができ、日本語ワープロとしても使えるようになっていました。
PC-5000の販売価格は35万円、プリンタや磁気バブルメモリをそろえると50万円という高価な製品でしたが、当時はようやく日本語ワープロが100万円を切って、いよいよ個人でもワープロが使える時代に突入と騒がれた頃なので、本格的な日本語ワープロが使えるというだけでも50万円という価格は破格だったと思います。
私はこのPC-5000は実際に使用する機会がありました。
液晶ディスプレイの高精細さと、日本語ワープロ機能の優秀さに驚きましたが、パソコンとして見ると、
カラーグラフィックは使えないし画面は小さいし高価だしで、興味をそそられるものではありませんでした。
ですが、世界中に輸出されたPC-5000は、各国のエグゼクティブに愛用されていたようで、今でもYoutubeなどで稼働している姿を見ることができます。
真のノートPCと呼ばれる製品は1989年に東芝から発売されたDynabook J-3100SSだと思います。
この間わずか6年。1980年代のPCの進化は今から見ても目覚ましいものがあったと感じます。
きなこ
「遅かったわね、もうガトランティス艦隊は殲滅したわよ」
思いっきりぶっ放してスッキリとした顔の
きなこ艦長です・°・(ノД`)・°・
銀ちゃん
「早く
きなちゃんがブシャーしたとこをきれいにしてよ!」
仕事が終わって帰ってくると、一番最初にするのがブシャーの後始末です(´・ω・`)
楓
「おとんも大変なりねー」
「お前が言うな―
」
ぐら兄と
びわ坊
「お客さん、整髪料をたっぷりつけてハンサムにしてあげますよー」
今夜もぐら兄をベロンベロンと舐めまわす
びわです。
びわ
「今度はおとんをハンサムにしてあげなきゃ」
「いや、遠慮します!」
びわは私が寝ているときに顔を舐めまわしてくるので困ります(;´▽`A``