「何となく店の前は通っていたのだけど」、その日Aさんは、初めてカフェに入ってみた。ガラス越しに店員らしき男性と数名の客が見えたので、コーヒーでも飲んでみようかと思ったのだ。注文したコーヒーを手に、店員が「初めていらっしゃいましたよね?」と話しかけ、「このカフェではいろいろなイベントをやっているんですよ」と6月のカフェカレンダーを差し出した。

 閉店まで何となく話し込んでしまったAさんはこの日、店の前を通り過ぎようとしたBさんと出会う事になる。身体をくの字に曲げて、つんのめりそうに歩いていた80歳前後の女性を見て「あら、あの人大丈夫かしら」と思わず椅子から立ち上った。気が付いたら店員がドアを開けて、「疲れただろうから一休みしてから行ったら?」と女性に声をかけていた。店員に腕を支えられながら入って来た女性はBさん。入るなり「何か食べるものはあるのかい?」と言った。Aさんはついさっき、店にあった最後のパンを買ったのを思い出し、とっさに「私のこれ、あげるわ」と言うと、「いや、奥さん悪いわよ」とBさん。「じゃあ、一緒に食べましょう」。

 

 

 それからBさんは、パンを食べながら、一方的にひたすら話し始めた。自分は毎日行くところがあって忙しい、札幌にも行く(ここは札幌)、昔は華道を教えていた・・・・・相槌を打っていた店員に、ふいに「あんたも華道やっていたのかい」。「いや、私はやっていないのですがね・・」と答えるが、Bさんは「若いのに珍しいね」と、店員をすっかり華道をやる男にしてしまった。外が暗くなり始めたので、Aさんが「暗くなる前に」と、Bさんの終わらない話を切り上げて、一緒に店を出て反対方向にそれぞれ帰って行った。

 

 数日後、AさんはBさんのことが何となく気になって、再びカフェを訪れた。そこで店員から、「Bさんは認知症のある人かもしれないです」と話を聞かされた。Aさんが「実は私も叔母のことが気になっているんです」と打ち明けると、「僕たちの周りには普通に認知症の人がいますよ」と店員は言った。「カフェには認知症の人や家族が訪れていて、お客さんでもあり、時にはボランティアやイベントに参加する人だったりします。ここは認知症の事を知る場所でもあるんです。」

 翌週Aさんは、カフェカレンダーに載っていた『認知症サポーター養成講座』を受けた。その後、叔母から電話があった時には“認知症の人との心得”を思い出しながら話してみた。いや、叔母の話を聴いていたのだ。いつもは1時間以上続く叔母の話が、今回はたったの15分で終わった。それなのに「あなたと話せて、とても心が落ち着いたわ」と言われたそうだ。「あなたは、もう立派な認知症サポーターですね」と店員に言われたAさんは、もっと認知症の事を勉強してみたいと思った。そのことを店員に話すと、カフェで新たな勉強会が誕生することになった。