今年も残りあとわずか。


ということで毎年恒例の振り返り。


2014年の振り返り

http://ameblo.jp/column-takamiya/entry-11971395674.html

2013年の振り返り

http://ameblo.jp/column-takamiya/entry-11739730102.html

2012年の振り返り

http://ameblo.jp/column-takamiya/archive1-201212.html

2011年の振り返り

http://ameblo.jp/column-takamiya/entry-11119672643.html

2010年の振り返り

http://ameblo.jp/column-takamiya/archive1-201012.html

2009年の振り返り

http://ameblo.jp/column-takamiya/entry-10422541393.html

2008年の振り返り

http://ameblo.jp/column-takamiya/entry-10178783990.html


2015年もいろいろなことがあった年だ。


★近江日野商人の家に住む

まず、引っ越しをした。日野町熊野から車で10分ほど下に降りた仁本木という地域の築110年の古民家だ。ここは近江日野商人が住んでいた家でとても広く、門や塀までついている。今まで住んだ家の中で一番大きく、自分にとっては新世界だ。永住する家を見つけたという意味でも、家に対する愛着が生まれた。これからこの家をどうしていこう、それぞれの部屋、屋根裏、蔵、小屋、庭など、様々な構想が浮かぶ。この家で息子は育っていく。息子にとってはこれから多くの思い出ができていく。


修繕する個所はあまりなく、あるとすれば小屋のほうだった。小屋の屋根が傷んでいたので、瓦をはずしてポリカを張った。初めてする本格的な日曜大工で、これも新たな経験となった。屋根の修理については今月発売された「アネモネ」1月号にも書いた。


近江商人の家に住むことで、精神的にも気分が変わった。農民から商人への移行。ここ7年ほど半農半Xの生活を営み、意識の片隅には常に農があった。規模やできばえは別として意識の上では百姓を目指してやってきた感がある。しかし、今後は方向性を少し変えようと思っている。自分の年齢や不器用さから、今からこの分野で形をつくることが現実的でないことに気づいたからだ。それよりは、今までの人生で培ってきたスキルを活かして何かしたほうがいいと。近江商人は旅人で、行商人だった。つまり、様々な人たちとコミュニケーションを取ってきた。旅とコミュニケーションは長年僕が携わってきた分野だ。やはり世界とのコミュニケーションという分野で何かすることが一番向いている。江戸時代の近江商人は日本を旅したのだが、今は世界で、世界と日野をつなげる平成の近江商人の道を見つけたい。


もっとも、商いという分野が得意ではないので、ここは下手をすると百姓より向いていないかもしれない。(笑)


当面はここに人を連れてくることを考えている。そして、提供する物の中に農的暮らしがあるので、この暮らしもやめるつもりはない。


客人は増えている。なんだかんだいいながら我が家を訪れる人は増えていて、そのたびに御膳で食事を出したりして少しずつこの家の雰囲気を味わってもらっている。


★『百姓レボリューション』のブレイク

今年のハイライトは何だったかというと、やはり『百姓レボリューション』だろう。3が出て物語が完結したことが大きい。今注文してくる人はほとんど3巻まとめて注文してくる。物語全体を一気に読むことができる。3巻全体を通して見えてくる世界は、1巻だけとも、1,2巻だけとも違い、ひとつの叙事詩を作り上げた。


発端は、2月に東京の西村さんという人から3巻まとめて注文があったことだ。その後、西村さんからの紹介で多くの人が注文してきた。えっ、こんなにたくさん、というぐらい次から次へと注文が来て発送が追いつかないほどだった。今までのペースがゆっくりだっただけに、僕にとっては大混乱。小さな出版社だと本が急に売れた時慣れていないのでうまく対応できないという話は聞いたことがあったが、おそらく出版社の規模でいえばもっとも小さいZen・クエストにとっては予想以上だった。


しかもちょうどこの時期引っ越しをしていて、熊野の家の片づけや仁本木の家のそうじなどにも追われていた。


殺到している注文の中に星子さんという人からの注文もあった。そして、今度は星子さんの紹介で注文してくる人がどんどん出てきた。


その中に石井真さんという人がいて、今度はまこっちゃんの紹介で注文してくる人が出てきた。


いったいこの人たちのつながりはどうなっているんだ。


そうこうしているうちにゴールデンウィークがやってきて、星子さんがこまっちゃんという友人を連れて日野祭に訪ねてきた。彼らとのつながりが深まり、新たな百レボの動きが始まった。フェイスブックには読者のグループページができ、読者同士がいろいろ交流するようになっていった。9月には東京に行き、読者向けのトークイベントを開催するまでになった。そして11月には百レボ体験ツアーまで開催した。


『百姓レボリューション』は最初から自然の流れに任せることにしていて、僕はほとんどプロモーションらしきことをしてこなかった。ここまでしない人はいないのではないかというぐらい何もしなかった。そのまま消滅したとしてもそれも自然の流れだと、ほとんど執着がなかった。次のステップに移行しようと思っていたのだ。


だからここに来て広がりはじめたことに驚いている。流れはそう出たのか。


これではなかなか次のステップへ進めないではないか。(笑)


でも、やはり嬉しい。特に、新村ケンや小野寺隆たちが多くの人たちの話題になっていることが。自分の子供が成長して活躍しはじめたような気分だ。


読者からの感想を聞くのも嬉しい。特に3部作を通して伝えたかったことを組みとってもらえると、苦労して書いた甲斐があると感じる。なんだかんだ言いながら『百レボ』について話す時が一番楽しい。


★「アネモネ」の執筆

月刊誌アネモネの「タカミヤさんの里山便り」の連載も続いている。今年は丸々1年書き続けた。これもテーマ的にとても楽しんでいる。

滋賀のネットワーク

自然育児

琵琶湖の水源で暮らして

里山の春

古民家生活

空き家バンク

里山成功哲学

ローカルネットワーク発展中

棚田での米作り

自然田んぼの稲刈り

田舎暮らしと山歩き

屋根の補修の大工仕事に挑戦

 

こうして振り返ってみるといろいろ書いたものだ。毎月の締切にも何とか間に合っている。今のところ一度も遅れたことがない。


★育児

拓己は4才になった。動きも活発になって、最近は相手をするのにもかなりの体力を要する。でも一緒に取っ組み合いをしたり走りまわったりするのは楽しい。以前にも増して父親の役割が果たせる。


言葉もとても達者になってきた。語彙も増え、文法もかなり複雑なものが使えるようになってきた。しかし、英語はまだほとんど話さない。僕自身少し英語教育でなまけてきたからか。これはいけないと思い、朝と夕方はディズニーチャンネルを見せることにした。パッシブなリスニングはそこそこしていることになる。まあ、今話さなくても、将来話すようになった時、耳がきっと覚えていることだろう。来年はもう少し僕が積極的に関わって、英語でいろいろなことをやろうと思う。


今、彼との共通点は「スター・ウォーズ」。エピソード1~エピソード6まで一緒に観て、年明けには「フォースの覚醒」を観に行く予定。拓己はライトセイバーも持っている。僕が木刀を持ち、彼がライトセイバーでチャンバラをするのだ。


自然育児に関しても少しなまけてきているので、また軌道修正したい。自然に触れることは結構したのだが。森の遊び場にはよく行っているし、今年は登山も挑戦した。川でも泳ぎ、琵琶湖でも泳いだ。


★農

今まで借りていた畑はたまねぎ収穫後、栽培をやめ、年末に返した。庭の一画を畑にし、夏から使っている。夏野菜を少しと、冬野菜を少し。たまねぎも去年の4分の一ぐらい。まあ、ぼちぼちとやっていこうと思う。小屋を片づけたりするほうが優先なので、畑はできる範囲に留める。それに庭の管理もけっこうあって、夏場は草むしりが大変だ。木を切ったり、枯れ葉や枝を燃やしたり、トータルで考えると農作業っぽいことはたくさんやっているのだが。


★英会話コーチング

こちらも順調に進んでいる。セッションはまだマスターしたとはいえないが、ようやく自分なりの形ができつつある。英語勉強法についての本も書いている。今年中に書き終える予定でいたが、これは大幅に遅れてしまった。来年は電子書籍として出版し、英会話コーチングを確立させたい。ホームページ自体は、英語コーチングで検索しても英会話コーチングで検索してもトップページに出てくる。英語学習を専門にしたコーチがまだまだ少ないので、その気になれば、この分野で第一人者になれる。かなり高い確率でそうなれるだろう。そこにエネルギーを集中することさえできれば。これが一番の問題だ。


★外国人向けの民泊の準備

この準備はまだ少ししかできていない。カウチサーフィングのページはほぼできたが、ホームページの英語化はまだできていない。来年こそはZen・クエストの外国人向けのページをつくる。人を泊めることは結構したので、それ自体はいいリハーサルになっている。


★ローカルネットワーク

これも自然の流れに任せ、ほとんど力を入れていない。今年は何か大きく発展したこともなかったが、何とか続いている。ネットワークとして何かまとまった動きが起きているわけではないが、個別には、いろんなことが起きていて、メンバーの多くが所々で関わっている。ネットワークは苗床のような存在で、ここから成長した苗が別の畑に定植され、そこで活動するといった具合だ。それでいいのかもしれない。もともと人の輪ができていることが重要で、ネットワークという組織で何かをすることではない。個々のつながりがあり、時にはそれが集団ともなる臨機応変的な動きでいいのかもしれない。新たな移住者も現れ、前から日野に住んでいる別の移住者たちともつながりができ、来年はまた新しい流れになっていく気がする。


今年を総括すると、いろいろな意味で花開いた年だった。いいことがたくさん起きた。ただ、計画通り進まなかったのも事実で、この甘さがまだまだ目立つ。毎年同じことを繰り返し、いい加減に何とならないのか。来年こそはと思うのだが、去年もそうだった。これはこれで諦め、計画と飛び込んでくる案件をうまく両立させる方法を学んだほうがいいのか。これについてはもう少し考えたい。