れいわ新選組の代表選が行われている。自民党の代表選は非常につまらなく一切観ていなかったが、こちらは面白い。そもそも一党だけの代表選にあそこまでメディアが騒ぐのはどうかしている。いつものことだが。

 

だったら他の政党の代表選も取り上げるべき。そして、実際に面白い。候補者が面白いのだ。

 

・衆院議員の八幡愛氏(38) ・衆院議員の阪口直人氏(62) ・党ボランティアの青柳光亮氏(49) ・高校生の篠原一騎氏(18) ・参院議員の山本太郎氏(51)

 

正直言って今回山本太郎は落選するのではないかと思えるほど、他の候補者がすごい。

 

その中でも僕が注目したのは3人。

八幡愛さん

阪口直人さん

篠原一騎さん

 

八幡さんはトークがうまく、れいわの顔になった場合、メディア露出などでかなり期待できそう。実際彼女は様々な所に出演している。ネットメディアだが、れいわ応援団以外のメディアに出ることで、全く違う層に広まっていくので、これは今後のれいわの展開を考えた上で重要。リハックにでさえも声がかかれば出ると言っている。

 

坂口直人さんは政策的に一番いいと思った。話し方も落ち着いていていい。

 

一番インパクトがあったのは、高校生の篠原一騎さん。

 

宇都宮出身なので親近感がある。栃木にいた時は勤務地が宇都宮だった。

 

18歳には思えないとてもしっかりした口調。さすがN高だけある。そう、今話題のN高。

 

彼が代表になったら半端ない。話題性としては抜群でそれこそメディアから取材が殺到するだろう。広報的に考えてこれは非常に有効だ。ただ若いというだけでなく、ほんとうに自分の考えをしっかり持っていて、それをスムーズに表現できているので、代表にならなかったとしても、今後注目される存在になるだろう。

 

僕は、今回は山本太郎さんから変わってもいいと思っている。代表から降りたところで、彼の色は出続けるし、なんだかんだいいながられいわ=山本太郎というイメージはそう簡単には消えない。

 

そこにプラスアルファして新しい顔が生まれるからだ。

 

絶対に、れいわにとってプラスになる。もっと幅広い層に広まっていく流れができる。

 

【LIVE】第2回れいわ代表選 候補者街宣!(2025年12月3日)

 

 

息子が日野祭にハマッたのは小学生5年生頃だっただろうか。祭囃子の保存会に入りお囃子の練習を始めてから数年後のこと。5月の日野祭りが終わると、日野町ではどこでも祭囃子は聞かなくなる。しかし、我が家では違った。BGMとしてYouTubeでジャズ等を流すのが定例だったのが、それが祭囃子に変わり、6月になっても、7月になっても終わらなかった。

「いい加減にこれどうにかならないの?」と言っても息子は譲らない。

「日野祭りは年に一回しかないからいいの。その時だけだからみんな盛り上がれるの」と言っても、

「毎日が祭りや」と切り返してくる。

そんなカッコイイ台詞を言われても、毎日この同じお囃子を聞かされるのは勘弁してくれ。オーガニック系に流れるのなら何となく親の影響かと思うが、祭りというのは僕も全く予想していなかった変化球だ。いや、別に悪いとは言わないよ。伝統文化を守るというのは決して悪いことではない。とはいえ、そこは僕の興味の範囲にはなく、どう思ったらいいのかわからなかった。

 

結局、BGMは一年間変わらなかった。翌年の日野祭りまで我が家では毎日祭囃子が流れた。やれやれ。

 

小学校6年生の時、町内で開かれた青少年意見発表会に出場し、何と日野祭りについての熱意を語った。大人たちからは大喝采が沸き起こった。あらゆる伝統文化が失われつつある中、それを継承したいという少年が現れたのだから。教育長からも感激の言葉が聞かされた。

 

ちょっと待ってくれ。みんな勝手に盛り上がらないでくれ。相手はたかが12歳。いつまで続くかわからない。祭りの継承には賛否両論あり、維持していく上で様々な負担が強いられることも事実で、継承=善でもないのだ。

 

ただ、そんなことは12歳の子にはわからない。だから下手な期待は持たずに、淡々と遠くから見守るぐらいのほうがいい。彼が大人になった段階でどう考えるかまで。

 

そして、おそらく中学に行ったら別のことに興味が移っている。僕はそう思っていた。今までだって、サッカー選手、ユーチューバー、料理人、たこ焼き屋と何度も変わってきているのだから。

 

そんな息子も中2になった。祭りへの興味は褪せていない。当時はお囃子の練習も月に2回、鐘だけだったのが、さらにもう1回篠笛の練習も入った。今でも祭囃子は家の中で響き渡っているが、YouTubeのではなく、直の篠笛演奏。

 

将来は日野祭りを広めたいという。

「それは仕事にならないよ」

ということでいろいろ話し合った。その結果、日野祭りを軸に、日本文化全体を体験してもらうインバウンド・ツーリズム、YouTubeやインスタグラム等での英語での情報発信(これだったら僕のサポート範囲内だし)、祭囃子をさらにクリエイティブに広げた音楽活動(実は息子は合唱部に入っていて2年連続NHKコンクールの滋賀県大会で優勝を果たしている)などのアイデアが出てきた。

 

まあ、いずれにしても、最終的にどの道に進むかはまだ先の話。

 

土曜日の夜、たまたま博士ちゃんというテレビ番組を観る機会があった。すると、何と祭りオタクの中学2年生が出てくるではないか。青森県弘前市でねぷた祭りに夢中になっている博士ちゃん。9歳の時にねぷた博士ちゃんとして出演し、その5年後を追ったドキュメント。9歳の時点ですでにねぷたの絵師としてデビューしていて、部屋はねぷた絵で埋め尽くされていた。壁はすべて、そして天井にまで。息子の完全に上を行くオタクぶり。今では篠笛も吹き、何と横笛の全国コンクールで優勝している。しかも、14歳にして自らねぷた祭りの会を立ち上げ同世代の若者が集まっている。

 

息子の目は完全にくぎ付けになった。

 

響樂會(きょうらくかい)というその団体では、京都と兵庫でイベントを予定しているようで、テレビではその会議の様子も映し出された。

 

「京都に来るんだって、いつだろ」ということで調べてみると、なんと11月21日から23日だという。

「今やん」

 

ということで、翌日の日曜日に京都に行くことになった。まあ、どうせたくさん人が来るんだろうし、例え話せたとしてもほんの1、2分だろう。

 

もっとも、今までも様々な引き寄せが働いたことはあった。喜多朗さんに会いたいと思った日の晩に富士山で喜多朗さんにお会いすることができたり、たまたま立ち寄ったシューマッハー・カレッジでばったりサティシュ・クマールさんに出会い、そのままカレッジ内を直々案内していただいたり。

 

ただ、今回働いたのは僕の引き寄せではなく、息子のだ。そもそも僕は祭りになど興味がないのだから。

 

会場に到着するや否やねぷた博士ちゃんこと菊池虎太郎君に紹介され、その後も息子はかなり話す機会に恵まれ、インスタでアドレスまで交換した。その後、主催者から打ち上げに誘われ、虎太郎君とさらにじっくり話すこととなった。テレビで見たその翌日に、友達になってしまうとは。

 

やれやれ。これでまた刺激されると、祭り熱は当分止まないだろうな。

 

 

『This Japanese Jogging Technique Will Make You 10 Years Younger』という動画が『NEW Japanese Walking Technique 4x Better Than 10,000 Steps』を超えてバズり動画になった。現時点では両方とも23K viewだが、『This Japanese Jogging Technique Will Make You 10 Years Younger』が24Kに達するのは時間の問題だろう。パフォーマンス倍率という動画のチャンネル内での成功率を観る指標では、52xで、『NEW Japanese Walking Technique 4x Better Than 10,000 Steps』の46xを超えている。これは、チャンネル内の平均的な動画に比べて、それぞれ52倍、46倍優れていることを意味している。

 

23000回は一般的にはそんなにすごい数字ではないが、僕のチェンネル内の平均が300から500回なので、チャンネル内ではすごく。ここ一年では最高だ。それ以前には99000回、80000回、50000回などを記録したものがあるが、最近ずっと伸び悩んでいたので、久しぶりのバズり動画と言える。

 

ところが、これの面白いところは、単に動画がバズったという話だけではない。Japanese Jogging Techniqueというジョギング法自体が流行るかもしれないからだ。つまり、僕の編み出したジョギング法が流行ってしまうかもしれないということ。

 

もともと、Japanese Walking Techiniqueというものが流行っていた。信州大学が開発したインターバル速歩のことだが、日本のウォーキング技法として今実践者が世界中で増えている。その流行を生み出したのがTikTokでバズったこと。その後YouTubeにも広がり、多くの人がJapanese Walking、もしくはJapanese Walking Techiniqueというキーワードを使って動画をアップした。内容はほぼ一緒で、コピーのコピーのそのまたコピーといった具合に似たような動画が次々に出てきた。

 

僕がそのことに気づいたのはブームが始まって数か月経った時だった。通常なら遅い。ただ、僕はインターバル速歩について1年前に取り上げていた。『Forget 4x4! This Workout from Nagano May Be BETTER for Over 60s』しかも、かなり詳しく僕なりのテイストで。そこで、その動画を作り直す意味で、新たに動画をつくった。『NEW Japanese Walking Technique 4x Better Than 10,000 Steps』というタイトルは、パフォーマンス倍率36xの『NEW Japanese Walking Technique 2x Better Than 10,000 Steps』になぞった形だ。もちろん、中身は僕のオリジナル。

 

これが当たった。

 

そこでその後も関連動画をつくり続けたが、バズったのは最初の1本だけだった。そこで、そろそろ別のテーマに移ろうと思った時、締めくくりに自分の有酸素運動法を紹介しようと思った。インターバル速歩は簡単で60歳以上の人に向いたとても優れた運動法だと思う。だからこそ紹介し続けた。しかし、自分自身はどうかというとそれを実践していない。より最適な方法を知っているからだ。長寿菌と呼ばれる酪酸菌を確実に増やし、72時間断食に匹敵するレベルでオートファジーを活性化し、筋トレ効果も骨への効果もさらに高い、僕の知る限り最高の有酸素運動法だ。高強度インターバル・トレーニングよりもいい。

 

ゾーン2ジョギングとインターバル速歩を組み合わせたもの。全5キロのうち、最初の2.5キロはゾーン2レベルでジョギングする。ゾーン2というのは最大心拍数の60%から70%で、走りながらも会話が多少はできる程度。楽にはできない。できることなら話したくはない。ただ、話そうと思えば話すことが可能というレベル。

 

後半の2.5キロはウォーキングとジョギングのインターバル。約3分ずつ、ゾーン1レベルのウォーキングとゾーン2レベルのジョギングを交互に行う。僕の場合5キロで約45分かかる。それを週3回行う。月、水、金と間に休息日を設けて。そして、1回だけは60分行う。僕の場合約7キロだ。

 

60分する理由は、それが72時間断食と同レベルのオートファジー活性をすると言われているからだ。

 

一定のペースでのジョギングと、インターバル・ジョギングに分けているのは、それぞれのメリットを掛け合わすことができるからだ。

 

そして後ろ向きジョギングと後ろ向きウォーキングを100メートルから200メートル含める。こうすることで膝への負担を軽減できるそうだ。また、いいバランス・トレーニングになる。

 

インターバル速歩の原理を応用しているので、Japanese Walking TechniqueならずJapanese Jogging Techniqueと呼んだのだ。

 

そして、中身も徹底的に練ってうまく作り上げた。

 

それが功を奏したのか、ヒットしたのだ。

 

パフォーマンス倍率が52xまでいったのが嬉しい。コメント数がジャパニーズ・ウォーキング動画よりも多いのも影響しているのだろう。僕自身が36xの動画を参考にしたように、誰かが真似て同様の動画をつくるかもしれない。おそらくタイトルをそのままコピーしてつくってくるだろう。でもそうなるとこの方法に言及しなければならず、僕の名前も言及することになる。Japanese walking関連の動画もみな信州大学で開発されたIWT(Interval Walking Training)と言及している。

 

もちろん、インターバル速歩ほどは普及しないと思う。より複雑な方法なので。ただ、効能が半端ないので、コアな人たちの間では広まるだろう。僕自身がここ数年かけて、様々な要素を調べながらたどり着いたもので、これ以上のものが見当たらない。あったら実践している。

 

コアな層に広まるだけで充分だ。Japanese Jogging Techniqueが入り口となり、Ikigai Bio-Hacking自体が広まっていくのだから。

 

This Japanese Jogging Technique Will Make You 10 Years Younger

 

 

 

 

 

8月15日になると必ず話題になるのが靖国神社。誰々は参拝し、誰々はしなかったなど。では、そもそも論として、参拝した人たちはみな神道を信じているのだろうか。

 

今日は巷の議論とは全く別の角度から神社について考察してみたい。

 

いや、どうしようかと思ったのだが。かなりタブーになる話だから。文化的にも、スピリチュアルという観点からも、たくさん反論が来るかもしれない。でも、非常に大事な話で、日本が生き残るためには避けては通れない話。今までこの話を誰も取り上げなかったのが不思議だ。でも、その理由もわかる。だからこそ、誰かが取り上げなければ。そして、これまた不思議な偶然なのだけれど、これを書くうえで必要な体験がもたらされた。

 

よりによって、2025年の今年、世界が変わろうとしているこのタイミングで、氏子総代の役が当たるなんて。

 

■神社は里山の中心だ

■自治会の仕事の半分は神社関係

■神社と稲作

■信仰の自由はあってないようなもの

■神社は神社庁の配下にある巨大な組織宗教だ

■神社がなくなったら過疎化は弱まる

■農業にはAIが使われるようになるのか

■神社解体こそがディープステートの陰謀?

■僕は必ずしも神社がなくなったほうがいいと思っているわけではない

■日本を守るための交換条件とは

■なぜ神社とお寺の2つがあるのか

■2025年8月15日から新しい時代が始まった

 

■神社は里山の中心だ

田舎に来るまで神社がここまで日々の生活に関与しているなど全く知らなかった。自分の氏神様がどの神社かも知らずに育ち、神社といえば一年に一度初詣に行くだけの場所だった。

 

ところが、農村集落では、各集落に神社があり、そこが集落の氏神となっている。集落の住民はみなそこの氏子であり、神社を管理し、守っている。例えば僕の住んでいる集落では、元旦祭、春の大祭、秋の大祭という年3回大きな祭り(祭りというのは神道儀式のこと)があり、毎月1日には月次祭がある。神社は決して年に一度初詣に行くだけの場所ではなく、一年を通しての関りがある。祭りの開催は集落の住人で行い、準備から片付けまですべてを担当する。持ち回りで役を担当していくのだが。氏子総代というのは氏子の代表で、そうしたことの一番の責任者だ。神社会計にも携わる。そう、神社はタダではない。祭りには神主さんに来てもらって祝詞を上げてもらうのだが、謝礼が発生する。毎月の月次祭もだ。建物が壊れた時には修繕もしなければならない。氏子たちで。場合によっては一軒百万などということもある。建物はどこも老朽化しているので、これはどこも差し迫った問題だ。つまり、神社を維持するには労力とお金がかかる。

 

■自治会の仕事の半分は神社関係

各集落には自治会があり、集落を維持するために様々な業務がある。祭りの前には必ず神社掃除があり、それ以外にも春の総出と夏の総出という集落全体の草刈りや掃除がある。他にも運動会、日待ち、地蔵盆などいろいろあるのだが、それらを取りまとめていく役員が毎年選ばれる。区長、副区長、公民館分館長、農業組合長、そして氏子総代の5役だ。ただでさえ年間いろいろやることがあるのに、役員になればさらに時間が拘束される。

 

ゆえに、誰も役員にはなりたがらない。とはいえ、人口が減少している今、該当者が少なくなっている。同じ人たちが数年に一度は何らかの役を受けて回していくのが現状だ。

 

実は、これ自体が人口減少の原因のひとつになっている。

 

そして、自治会の業務の半分が神社関係なのだ。

 

■神社と稲作

では、神社は何のためにあるのだ。もちろん、神社とは神道の聖域で、宗教的な様々な意味合いがあるのだろうが、祭り等儀式の主な目的は豊作祈願だ。つまり、農村集落において神社の役割は豊作祈願をする場所で、昔はみなが農家だったので、集落の中心的な場所としてみなされていた。

 

ところが近年農家の数は減り、我が集落でも非農家の数のほうが農家よりも多い。もちろん、氏子は農家、非農家に関わらず全員なるので、非農家も神社を守っていく。

 

当然、何のためにやっているのだという疑問は生じてくる。豊作祈願? そもそも、これって効果あるの? なら、なぜ不作の年があるのだ。祈願は毎年同じようにやっているのになぜ効かないのかと。科学的な根拠はどこにもない。科学的根拠などもともとなかったが、昔(今役員をやっているアラ還世代の親の時代)は信仰があったから科学などどうでもよかった。しかし、僕らの世代にはそこまでの信仰心はないし、これだけの労力とお金を費やすとなると、それなりの科学的根拠を求めるようになってくる。そのお金があったら肥料等に費やしたほうが効果的ではないかとか。

 

■信仰の自由はあってないようなもの

もし、信じていなかったどうなるだろう。ここで生まれた人は自動的に氏子になるので、人生のある段階で自分で選んで神道を信仰するようになったわけではない。親がそうだったから、家がそうだったから、必然的にそうなっただけだ。神道の考え方に納得がいくので自分から進んで信じるようになったわけではない。

 

中には、人生のある段階で自分で選んで宗教を信じるようになった人たちもいる。通常別の宗教だ。創価学会員など。そういう人たちの中には神社行事には携わらないことを選択している人たちもいる。

 

憲法で保障されているので、もちろん神社行事を強制することはできない。

 

日本国憲法第二十条
1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 

僕自身、実のところ、家ということでいえばキリスト教だ。父親がクリスチャンだったので。ただ、5歳の時に父が亡くなり、母親はクリスチャンではなかったので、そのまま我が家は無宗教になった。僕は現在、自分なりに信じているものがあるが、それはキリスト教でも、神道でも、仏教でもない。つまり、神道を信仰しているわけではない。が、別に神道を否定しているわけでもない。なので、集落の役として誰かがやらなければならなかったことだし、いい経験にもなると思い、引き受けた。

 

ただ、これが宗教である以上、信じるのか信じないのかははっきりさせたほうがいいと思う。氏子の一人一人が。ただ伝統だから、しきたりだからという理由で意味もわからないのにやるのはおかしな話だ。

 

2025年は真実が明るみになる年だと聞いている。建前でなく本音で生き、自分の信じる道を生きるように多くの人が転換する時だと。

 

僕としては、半年関わった段階で、神道を信じるかどうかと聞かれれば信じないほうを選ぶだろう。それは、神道のすべてを信じないということではない。神社はいわゆるレイラインと言われるようなパワースポットに建てられているのかもしれないし、祝詞などには意味のあるものもあるかもしれない。ただ、細かい儀式や作法を形式通りにやらなければならないということについては、僕がこれまで探求してきたスピリチュアリティとは異なるものだ。

 

■神社は神社庁の配下にある巨大な組織宗教だ

氏子総代を務め、少しずつ神社の組織がどういうものなのかわかってきた。自分たちの神社は神主も誰もいない小さな神社だが、神主のいるより大きな神社の管轄にあり、その神社は滋賀県神社庁の管轄にあり、滋賀県神社庁は神社本庁の管轄にある。全国8万社ある巨大な組織の一員だ。組織には様々な規則があり、それらはいつの間にか決まっていて、我々のような一氏子集団はただそれに従うだけだ。月次祭をやめたい、それ以外の儀式を簡素化したいと思っても、集落で勝手に決められることではない。あるいは、決められることなのか。

 

戦前は国家神道だったが、今では形上、民間になっている。ただ、これだけ全国規模で展開していて、しきたりの多くは戦前から続いてきている。神社本庁は日本会議の主要メンバーであると言われている。日本会議といえば安倍晋三をはじめとする自民党政治家との関係が取りざたされているが、ここが政教分離におけるグレーゾーンだ。統一教会があれだけ問題視されたのに、なぜ誰も神社本庁について騒がないのか。

 

■神社がなくなったら過疎化は弱まる

自治会の仕事の半分が神社関係だと言ったが、仮に神社がなくなった場合、自治会の仕事はかなり簡素化される。過疎化の原因は他にもいろいろあるが、リモートワークなどが普及してきた今、都市を離れて田舎で暮らそうと思えばハードルはかなり下がった。自治会が唯一の足かせだとしたら、それが簡素化されることで、移住を決意する人は増えるはず。また、地元の若者で、留まる人も増えるだろう。

 

地方の過疎化問題は日本国という国の深刻な問題で、農業人口が減り、食料自給率が下がっている原因でもある。食料自給率を上げるには、農村地域の人口を増やす、少なくとも高度成長期以前の状態に戻す必要があり、自治会の問題は死活問題だ。伝統のどうのこうのと言っていられない。このまま行ったのでは消滅する。10年後なのか、20年後なのかはわからないが、いずれは維持できなくなる。先送りにすれば先送りにするほど修復が困難になる。

 

■農業にはAIが使われるようになるのか

人口を元に戻すといっても、必ずしも昔の共同体を復活させると言っているわけではない。これからの農業は、より少人数で、ある程度集約された大規模農業になるだろう。機械化され、AIなどを駆使し、ところどころ水耕栽培やハウス栽培も導入したもの。これには賛否あるだろうが、現実的に考えて従来の集落農業には限界が来ている。例えば異常気象ひとつとっても、露地栽培だけでやっていくのはかなり無理がある。平野部なのか中山間地域なのかによって状況は異なるが、農業人口が元に戻ることは考えにくいので、必然的に規模は変わってくると思う。つまり、人口が戻ったとしても、従来型の集落共同体の形は変わることになるだろう。

 

そうなると、そもそも論として、集落の中心に神社があってという形もなさなくなるのではないか。もちろん、それでも神社が必要だと思う人たちがいて、集落のみながそれを望むのなら、そうすればいい。ただ、それをする上でも、一度ゼロにし、新たに作り直したほうがいいのではないか。ただ意味も分からずだらだら続けるのではなく、神道という宗教を信じるのか、信じないのかを各自が決められる機会を設けること。信じたとしても、家にある神棚で拝むだけではダメなのか、なぜ、神社という場所が必要なのかをもう一度考えてみるといい。

 

■神社解体こそがディープステートの陰謀?

こういうことを言うと、おまえはディープステートの手先なのかと思う人もいることだろう。神道こそ日本の魂で、日本人の力の根源だと。それを解体することで日本人の底力は弱まり、彼らにとっては好都合だと。その可能性はゼロでないと僕も思う。

 

では、日本のスピリチュアリティを壊そうとしているのはGHQやディープステートだけなのだろうか。僕には、組織宗教としての神社庁神道が、本来の霊性から日本人を遠ざけているようにも思える。

 

全国の様々な場所で多くの人がいやいや神社維持に携わっていることが集合的にどのような波動を生み出しているか。彼らが自由になり、自分が心の底から信じられることに意識を向けられるようになったら、魂にどのような変化が訪れるか。

 

■僕は必ずしも神社がなくなったほうがいいと思っているわけではない

僕だって、文化という観点では神社はあったほうがいいと思うし、神社と鎮守の森というのは日本の里山の原風景だ。スピリチュアルという観点でも神社があることでいいことはたくさんある。しかし、信仰は強制されるものではない。もちろん、誰も強制されてはいない。でも、暗黙の了解で半ば強制的になっている。結局のところ、スピリチュアリティというのは個人的なものだと思う。それが国家的なものになったり地域的なものになったりして、その構成員に半ば強制されるような状態が健全ではないと思っているだけだ。

 

神道は多神教であり、ある意味自然に即したものだと思う。しかし、聖域の場所から、建造物の建て方、祈りの作法や捧げものの捧げ方まできめ細かい決まりがあり、それが正解とされている。上から示されているもので、個々が自分でたどり着いた結論ではない。例えば神様に礼をする時は90度と決まっているが、ここには確実に上下関係が存在している。

 

■日本を守るための交換条件とは

日本を守るというスローガンは最近政治家がよく使う。国防に対しては方法論で意見が分かれるだろうが、多くの人が一致しているのは食料自給率を上げること。いざ戦争となった時、食料の輸出をストップされたらそれで終わりだからだ。実際、第2次世界大戦中、連合国は戦略としてドイツへの食料の輸出をストップした。

 

本気で食料自給率を上げようと思ったら、時代に即したものに変えなければならない。しかし、その時足かせになっているのが伝統を守ろうとする気持ち。そして、不思議なことに、日本を守ろうという人に限って伝統も守ろうとする。いや、これは保守、リベラル関係なく、伝統は守らなければならないという考えは根強く残っている。しかし、その2つは両立できない。すべては交換条件で、あることを始めたら、あることをやめなければならない。両方やろうというのは欲張りだ。欲張りというより、どっちつかずになり、結局両方とも崩壊する。

 

神社そのものに問題があるというより、昔からのしきたりを続けていることに問題がある。明らかに時代に即していないとわかりつつも変えられない仕組み。組織が大きすぎて変えられない。同じことがあらゆる分野の日本社会で起きていて、そこを変えないともう社会がもたなくなってきている。これは決して田舎だけの問題ではない。

 

食料自給率を上げるうえでも経済を成長させるうえでも、今日本で一番必要なことは、あらゆる仕組みを時代に即したものにアップデートすることだ。ここまで非科学的な国は世界的に見ても少ない。伝統にしがみついていることこそが日本を弱体化させているとは思わないのだろうか。

 

■なぜ神社とお寺の2つがあるのか

こうした矛盾のひとつが神仏融合の文化。これこそが和の精神でありと、通常は肯定的に評価されている。異質のものを受け入れられるから日本人は平和的だと。仏教が入ってきた時、敵対することなく、受け入れたと。(実際には争いもあったが)その結果どうなったかというと、両方を信仰することになった。先ほど神社の行事を執り行う労力と出費の話をしたが、あそこにはお寺は含まれていない。僕は檀家ではないので、お寺のことはよくわからないから。でも、多くの家ではそこにお寺の行事が合わさる。費用も倍になる。建物が老朽化したら各家で修繕費を出し合うといったが、お寺も同じだ。時期が重なったらそれだけで家計を大きく圧迫する。自分の家の屋根を修復するお金がなくなる。

 

では、2つやることで効果は倍になるのだろうか。神社だけにお参りした時と、お寺でもお経を唱えた時と加護には差があるのだろうか。

 

いっそのこと、神道と仏教で争い、敗者がその地域から追い出されるという歴史だったほうが楽だったのではないだろうか。

 

もちろん、信じている人はいい。神道も仏教も信じているという人は。しかし、正直信じているかどうかわからないけれど、伝統だから守らなければならないという理由だけでやっている人にとっては負担が大きすぎる。

 

すべては交換条件だといったが、伝統を維持するための出費は、別の何かを削ることで生み出される。しわ寄せがいくのは子供たちだったりする。子供たちの教育費やいろいろなことを体験するための費用が削られるのだとしたら、日本の将来は誰が守っていくというのだ。

 

なぜ、神仏融合が起きたのかわからない。古いものを手放すことができない性質がそうさせてしまったのだとしたら。実際、集落の行事には、新しいものが始まっても、古いものもそのまま残っていたりすることがよくある。

 

縮小、簡素化はできても廃止にはできない。廃止にしてしまうと何か大切なものが壊されてしまうという強迫観念がどこかで働いている。

 

■2025年8月15日から新しい時代が始まった

2025年8月15日から新しい時代が始まったという人もいる。それについては何とも言えないが、今回こうして思い切って氏子総代としての経験を書いたのは、日本人の精神性の中心にあるからこそ、逆にこれについてしっかり考えることが必要だと思ったから。正解はない。解体することがいいかどうか僕にはわからない。では、観光資源はどうなるのだという意見も出てくるだろう。すべての儀式を廃止にするのではなく、月次祭だけ廃止にするという考え方もある。それも含めてみなで考え、話し合うことが大事だ。日本人としてどうしていきたいのか。そしてこれは必ずしも国として統一しなければならない問題でもないと思う。地域ごとに異なる選択をしてもいいのではないだろうか。

参院選長かったな。3週間は少し長すぎるんじゃないかな。しかもこの暑さの中で。

 

ということで一応総括をしておこう。総括というか、主に今後に向けた僕の個人的な提案であるが。

 

■数人分の働きができる人たちが当選

■消費税廃止に向けて動きはじめる

■参政党バッシングは続く

■れいわの支持を広げるには

■オーガニック左翼

■オーガニックの背後にあるスピリチュアル

■必ずしもスピリチュアルを語れという意味ではない

■対話を増やす

 

数人分の働きができる人たちが当選

自分が投票した人が当選したので、僕としてはまず嬉しい。選挙区のほうは叶わなかったけど。

 

奥田ふみよさんが国会に行ってくれることでれいわ新選組のパワーが倍増すると思っている。長谷川ういこさんが通らなかったのは非常に残念なのだが、僕はれいわのこの獲得議席数はある程度予想していて、そうなってくると目立つ人というのがポイントになってくる。1人で数人分もの存在感を見せられる人。

 

伊勢崎さんが当選したことも大きい。戦争に向かいはじめている新たな政党構成図の中で、少数派としてそれに立ち向かう時に1人で百万馬力を出せる人は国会で貴重だ。

 

木村さんの当選も本当によかった。今回は特定枠でなく当選したわけなので、その意味は大きい。

 

3議席。2議席から1議席増やしたことになり、結果としては伸ばした。ただ、多くの人が4,5席は期待していたと思うので、そこから見ると伸び悩んでしまった感じがする。

 

それでも1人で数人分の存在感をアピールすることができる人たちが入ったことで、実際にはより多くの議席を獲得したのと同じような効果も期待できるだろう。

 

消費税廃止に向けて動きはじめる

参政党の大躍進について落ち込んでいる人は多くいると思うが、ここは切り替えて、前に向かっていく必要があると思う。所詮参議院であり、衆議院ではないのだ。参政党の掲げた政策がすぐに導入されることにはならない。そして、政策の中には導入されたほうがいいものもあるだろう。参政党も消費税廃止を積極財政で目指している。れいわがその一点で協力すれば、他の野党と交渉する上で有利になる。国債発行について詰められると神谷さんはスムーズに答えられなくなる。ならばれいわが代わりに説明してあげればいいのだ。

 

立憲は食品だけでなく全体的な消費税減税について話し合いのテーブルに乗る考えを示した。

 

れいわができるのは東京選挙区で当選したさや氏と対話すること。さや氏は三橋TVで司会を務めてきていて、三橋さんとタッグを組んでいる。参政党から当選したのだが、三橋TVの視聴者からの支持も多く得ている。そして、彼らが望んでいることは積極財政と消費税の廃止なのだ。三橋氏もその点でれいわには親和的だ。神谷さんにとって消費税は最重要事項ではないかもしれないが、さや・三橋タッグにとっては最重要事項。

 

東京選挙区で2位当選したというのは、参政党の中でも強い影響力を持つ。しかも当確がすぐ出た。

 

あと、これはれいわが関与すべきかどうかは別にして、僕が個人的に進むといいと思っている参政党の政策は、パンデミック条約に反対というもの。

 

参政党バッシングは続く

参政党バッシングは今後も続いていくと思う。でも、れいわの支持者はあまりそれに関与しないほうがいいと思う。バッシングが続く理由は、SNS上のトレンド・ネタになってしまっているから。選挙が終わると政治系ユーチューブ・チャンネルの再生回数は減る。なので彼らとしては何としてでも選挙ネタを持続させたい。兵庫県知事選が終わった後も斉藤バッシングが続いたのにはそうした要素があったと思う。参政党や神谷氏には斉藤氏以上のスキャンダルが出てきているので、それらがほっておかれることはまずないだろう。それに多くの人が選挙結果に不満を感じている。そのやるせない感情を満たすのに最高のコンテンツとなるからだ。

 

それはほっておいても勝手に起きる。だから自分たちは何もする必要がないし、しないほうがいい。バッシングをすればするほど反動を呼ぶ。選挙中は過熱するのは仕方がないと言えても、終わってからもいつまでもやっているのは印象を下げるだけで、支持を広げる効果はない。

 

れいわの支持を広げるには

では、どうすればれいわの支持が広がるかだが、ひとつは、まず消費税廃止、もしくは減税をできるだけ早く実現させること。そしてそのためには参政党と組むことも考えること。組むというのは、あくまでもその1点においてであり、他の政策で反対なものに関しては異を唱え続けてかまわない。すべてを100かゼロで判断するのではなく、是々非々で進められることが政治家の力量であり、結果的に国民のためになるのだ。

 

今回の結果は歓迎するものの、本来ならもう少し伸ばせたという部分があったのは事実だと思う。そこに真摯に向き合うことも必要。

 

要因はいろいろあったと思うのだが、僕の個人的印象で言うと、あるいは僕のような支持層に対してのアプローチで言うとひとつ言えることがある。

 

その答えは三宅洋平氏にある。彼は最終日無所属連合の応援演説に入った。都知事選の時もうつみんの応援演説に入ったので、不思議なことではない。ただ、あの時はれいわ新選組は出ていなかった。しかし、今回はれいわが出ているのにもかかわらずだ。

 

三宅洋平といえば、2013年と2016年の参院選で山本太郎とタッグを組み、選挙フェスを繰り広げた。あれで政治に興味を持った人も多くいたと思う。市民に政治参加を呼び掛けた最初の草の根ムーブメントだった。2022年の参院選でも、三宅洋平は当時のツイッターで(これもギリギリ最後になってだが)れいわの支持を表明したのだ。

 

では、今回、なぜ、れいわでなく、無所属連合だったのか。

 

この理由を突き詰めて考えることが、支持を広げることの鍵になると、僕は個人的に思っている。

 

僕にはその理由が何となくわかる。僕も同じように考えているからだ。それでも、僕は今回れいわを選び、無所属連合は選ばなかった。でも、根底には同じようなモヤモヤ感があったことは事実だ。

 

これは一言では表せない。もっと深い要素がある。深いがゆえに、ここを理解することで支持が爆発的に広がると思っている。

 

オーガニック左翼

一言で言うと、2022年の参政党の台頭に対して三宅洋平が放った一言がヒントだ。

「オーガニック右翼」

 

つまり、僕らが望んでいるのはオーガニック左翼の誕生。

 

別に左翼でなくてもいい。実は、右、左はどうでもいいのだ。1%対99%の戦いで、99%の市民側に立てるかどうかなのだ。そして、残念ながらオーガニック右翼は、多くの部分で市民側に立っているように思えない。だから、多くの人は別の選択肢を求めている。

 

反グローバルもそう。もちろん、れいわは反グロだ。ただ、その部分が思ったほどれいわを知らない人たちには伝わっていない。反ワクがそのいい例。山本太郎はワクチンを打っていないし、ワクチン接種で被害を受けた人たちの救済には熱心だ。ただ、ワクチンの裏にある医療利権の闇について、うつみんほど強く追及していない。ちなみに、無所属連合というのはみなが政策が一緒というわけではないので、これはあくまでもうつみん個人の話になるだろうが。ただ、支持者の多くがそこで支持している部分は大きいと思う。

 

別に陰謀論の話をしろと言っているのではない。科学的に、医学的に新型コロナワクチンについてきちんと調べてみればいい。そうすれば、コロナ禍のあの対応が異常であり、人権侵害であったことがわかるはず。僕自身、ワクチンに関してのスタンスはれいわとあまり変わらない。受けたい人は受ければいい。受けたくない人は受けなければいい。そして、どちらの自由も保証され、その選択によって非難されることがない。ただし、各自がその判断をする上で、正確な情報を得ていることがすべての前提にある。メリットとデメリットがきちんと共有され、その医学的な理解のもとで選べるという態勢が整っていること。そして、残念ながらその態勢は整っていなかった。(重症化対策としてワクチン接種以外の選択肢が多くあったことも含めて)

 

医療利権の闇は陰謀論でも何でもなく、少し調べればわかること。これは軍需産業や経団連を敵視するのと同じぐらい敵視しなければならない問題なので、そこへの追求の甘さが、本気で99%を1%から守ろうとしているのかへの疑念になってしまった。

 

これは共産党もそう。というかこの部分では共産党のほうがより多く信頼を失ったことだろう。

 

実は、反ワクとオーガニックはつながっていて、自然に沿って暮らしたいと思う人の多くが自然食、オーガニック農業、自然医療を好み、そこを政策に組み込んでいる参政党、無所属連合、よしりんの日本誠真会などに流れた。参政党の躍進を日本人ファーストだけで捉えると読み間違える。

 

オーガニックの背後にあるスピリチュアル

そして、その背後にはスピリチュアル・ムーブメントがある。スピリチュアル系には様々な人がいて一括りにはできないのだが、多くの人たちがトランプ流陰謀論にはまったのは事実で、スピ系インフルエンサーの何人かがCPACという、アメリカの共和党をはじめとする保守主義の活動家や政治家が出席する年に1度のスピーチ討論会、の日本での開催時に出席している。

 

全体的に保守に取り込まれてしまっている感はあると思う。

 

僕の中では、真にスピリチュアルを追求していくと必ずしもそうならないのだが。特に今年氏子総代をやり、日本における神社庁や神社の仕組みがわかってきたのだが、知れば知るほど、逆だと思う。

 

厳密には逆でもないのだが、少なくとも一旦は伝統の枠を離れなければ。

 

いずれにしてもこの層を支持につけられていないのはもったいない。なぜなら、れいわは彼らの選択肢に充分なりえると思うから。

 

必ずしもスピリチュアルを語れという意味ではない

かといってスピリチュアルを語れという意味でもない。愛や命を語ればいいのであって、それは科学をベースにしても全くかまわない。

 

あとは、希望とビジョン。未来に向けたビジョン。人の心を掴むにはそのビジョンがワクワクするものでなければならない。理屈ではなく、心に響く高揚感。

 

全体的にれいわの街宣はムービング・アウェイ・フロム型だと思う。つまり、つらい現実から逃れたいのなら、れいわを応援したほうがいいと、焦点が痛みに向けられている。そこをムービング・トワーズ型に切り替えたほうがいいと思う。れいわを応援することでこうした明るい未来がやってくるというもの。喜びに焦点を向けるのだ。

 

人間には2パターンあって、ムービング・トワーズ型とムービング・アウェイ・フロム型。喜びに向かうことでモチベーションが上がるタイプと、痛みから逃れるためにモチベーションが上がるタイプ。

 

だから、30年の不況や、貧困の話をするのはかまわない。でも、残りの半分を、ではどうやって喜びに到達するのか、あるいは、どのような喜びが待ち受けているかに触れないと、半分の人たちはついてこない。つらい現実なんて聞きたくないのだ。それよりも希望を聞きたい。夢に浸りたいのだ。だからハッピーエンドの映画に多くの人が感動する。

 

つまり、スピリチュアルでなくてもいいので、心に響く愛と希望とビジョンの話を増やすことで、雰囲気が大きく変わると思う。すでにバックグランドにはいい音楽が流れている。そこをビジョンにつなげないのはもったいない。

 

対話を増やす

スピリチュアルだけに留まらず、幅を広げていくことは衆院選で2桁狙うには不可欠。例えば先ほどのCPACには財務省解体デモ参加者なども行っている。つまり、かなりの層がその界隈にいて、保守という理由だけで無視するのはもったいない。自民党の強いところは理念にこだわらず誰とでも話ができること。そういう人たちと関わると自分までもが悪に染まってしまうというのが左派の典型的な態度だが、なぜその逆を考えようとしないのだろうか。取り込もうとかそういうことでなく、純粋に対話して、わかりあうこと。そうすることで相手側も考えが変わるかもしれない。あるいはお互いに第3の道に気づくかもしれない。

 

街宣に来てくれる人たちだけを相手にするのではなく、こちらから出向いて様々な層の人たちと交流していくことも必要だと思う。支持者の一人一人がいろいろな人たちと対話し、なぜそれぞれがその考えに至ったのかなどを理解し合う。結局のところみな世の中をよくしたいと思っているはずなので。

 

もちろん、これらはすべて1支持者としての意見に過ぎないが。

 

 

 

今外国人についての対応が話題になっているようだが、外国人といったら僕の専門分野と言ってもいい。海外で約6年外国人として生活し、日本でも人生の大半を外国人と接してきた。日本語教師時代には千人以上に教えているし、英会話講師時代は同僚が常に外国人だった。カウチサーフィングなどで外国人旅行者を受け入れたこともあるし、今現在は英語で動画配信を行っているので、対象者は外国人だ。もっとも、彼らはみな本国に住んでいるので外国人と呼ぶのは不適切だろう。

 

■海外に行くとみな愛国者になる

■イギリスで一切差別を受けなかった

■日本は移民大国向きではない

■日本人の性格に問題がある

■日本人同化教育が必要

■インバウンドツーリズムではコミュニケーションをきちんと取る

■ヘイトスピーチを見て思うこと

■アジア人は協力してアジア人の地位を上げていこう

 

海外に行くとみな愛国者になる

海外帰りだと欧米かぶれのように見られがちだが、実はかえって愛国心が芽生える。特に欧米に住むと、世界は欧米を中心に回っていて日本人、いや東洋人全体は下流市民のように見られている現実に直面するからだ。サッカーの試合で熱狂的に日本を応援したのも、大谷の活躍を誰よりも嬉しがるのも、ハリウッドでジェット・リーなどのアジア系俳優がブレイクしたことを大喜びしたのも、それが僕らアジア人のイメージを上げるからだ。

 

イギリスで一切差別を受けなかった

とはいえ、僕は海外で特にひどい目にあったわけではない。特にイギリスに行った時オーストラリアでの1年を経ての後だったので英語が話せるようになっていて、意思疎通がスムーズにできた。そうなると深い話もできて、自分の価値観と似たような人たちと友達になっていく。リベラルな価値観を持つ人が必然的に集まってきて、彼らは一般のイギリス人に比べると東洋人に対する対応が全然違う。人種的偏見を持たず、東洋人だろうが黒人だろうが、アラブ系だろうが、インド系だろうが平等に接する。

 

もしそうした人たちと友達になっていなかったら、僕の経験は全く違ったものになっただろう。現に帰国後、ごく普通の外国人に多く会ったのだが、全体的に日本人を下に見ていた。日本にいるにもかかわらずだ。

 

この辺の詳細は『味噌汁ロマンス』に書いてある。

https://www.amazon.co.jp/%E5%91%B3%E5%99%8C%E6%B1%81%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9-%E4%BC%AF%E5%AE%AE%E5%B9%B8%E6%98%8E/dp/499106483X

 

日本は移民大国向きではない

大量の移民を受け入れているアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツなどと比べると、日本は同じ道を歩むのはきびしいと思う。そうした国々ではみな自国民が強く、支配権を持っているからだ。彼らが第1級市民であり、移民者、外国人は2級市民であることが文化全体に表れている。その国の言語をマスターし、文化的にもその国のものと同化すればするほど仲間と見なされる。

 

ところが、日本の場合、日本人はそこまで強くない。世界基準でいえば、欧米人が第1級市民であるので、日本においても、彼らのほうが偉いかのような雰囲気がある。つまり、本来ならば第1級市民である自国民がコントロールするところ、日本人は欧米人をコントロールできないのだ。日本の警察でさえ、体格のいい外国人の暴動が起きた時、取り押さえられるかは疑問だ。

 

唯一日本人が威張っているのは、中国人や韓国人など、他のアジア人に対して。非欧米人であっても、アフリカ系黒人や、アラブ系、インド系などに対しては遠慮がある。

 

日本人の性格に問題がある

そこに加えて、日本人は性格的におとなしい。自己主張ができず、イエス、ノーをはっきり言えない。ところが、世界の大半の地域では、イエス、ノーをはっきり言う文化で、何でも言語化する。暗黙の了解でわかってくれることなどない。

 

この性格は移民者や外国人を統制するには向かない。

 

かといって、日本人のこの性格を変えてほしいとも思わない。これは日本人の持つ良さであり、これがなくなってしまえば希少性も失われてしまう。

 

長年単一民族国家で来たことで養われた性格。

 

それを保ちたいのであれば、移民大国にはならないほうがいいだろう。

 

個人的にはなってほしいのだが。そのほうが国際的になって面白い。でも、それは英語もでき海外経験もある人間だから思うのであって、大半の日本人には日本人だけのほうが住みやすいだろう。

 

国の政策として移民を受け入れるかどうかには、もっと幅広い議論が必要だと思う。

 

日本人同化教育が必要

それでも移民を受け入れるというのなら、日本語教育を徹底させ、日本語と日本文化を身に着けてもらうことが重要だ。日本式のコミュニケーションの取り方という部分も含めて。日本文化に興味を持って日本に来る人も増えているので、そうした条件でも受け入れて日本に住みたいと思う外国人はたくさんいると思う。

 

インバウンドツーリズムではコミュニケーションをきちんと取る

かといってインバウンドツーリズムは避けられない。主要産業のひとつになりつつある。もちろん、ここを主要産業にしてしまえば発展途上国の仲間入りという意見もある。製造業などもともとの日本の経済力を強化していくことは重要だろう。ただ、これも見方による。日本に旅行者が訪れているのは確かに物価が安いから。かつて日本人が東南アジアに行ったのと同じ理由だろう。でも、同時に日本文化に興味を持っている人も多くいる。今世界的に日本ブームが起きている。なら、それを利用して、かつてアメリカがそうしたように日本文化を世界に輸出し、それをインバウンドツーリズムとリンクさせるという方法もある。日本を訪れた人たちに日本文化を持ち帰ってもらうのだ。

 

実は、日本=製造業というイメージはあまりカッコイイものではない。やはりソフトを売らなければ。人間はそこに感情移入する。アメリカの成長は他ならずハリウッド映画を輸出することで世界中がアメリカに感情移入したことによると思っている。旅行者には、帰国後も日本の漫画、アニメ、映画、小説、音楽、食、健康・長寿法の消費者になってもらうように、ツアーをデザインする。

 

そう考えた時に(山本太郎の真似ではありません。笑)、移民を受け入れる受け入れないにかかわらず、インバウンドは避けて通れない。ならば、どう向き合うか。

 

渋谷辺りで路上に座り込む外国人旅行者が不評を買っているようだが、これは必ずしも彼らだけが悪いのではなく、そうしたマナーをきちんと伝えていない側にも責任があると思う。日本に来たからには日本のマナーをきちんと教えることが重要。観光案内所などでそうしたパンフレットを配布したり、宿でも徹底する。一番いいのが、日本の旅情報を配信しているユーチューバーたちに依頼してそうした動画をつくってもらうこと。

 

いっそのこと、警官に外国人を雇い、母国語で旅行者にその辺のルールを伝えさせたほうが早い気もする。

 

あとは、日本人ひとり一人が彼らと接する時に、変に遠慮するのではなく、イエス、ノーをきちんと言えるようになることだろう。もともとの性格でないものになれというのは難しい話だが、仕事だと思えばいい。観光地では仕事として割り切って、双方に誤解が生まれないように意識的にコミュニケーションを取ること。もちろん、お客さんなので、礼儀はわきまえつつはっきりと。地元の人も観光客もハッピーになる環境を構築できれば持続可能な観光業になり、その地域は潤い続ける。

 

ヘイトスピーチを見て思うこと

ヘイトスピーチの対象は中国人や韓国人ばかり。なぜ欧米人に対して行わない。もちろん、誰に対しても行うべきではないが、結局弱い者いじめの枠を超えていない気がする。

 

しかも、みな一括りにして。あたかもその民族全員が何らかの陰謀に関わっているかのように。すべて自分の思い込みで。

 

〇〇人と言った瞬間に個性は無視される。その人の価値観、趣味、趣向はすべて無視され、人種で測られる。しかも、勝手な思い込みによるイメージで。

 

自分がされる側だったらどうかを一度考えてみるといい。

 

日本でも多くの人がトランプを支持したが、アメリカの日本人がどういう目にあっているか考えたことがあるだろうか。他にどれだけいいことをしたとしても、彼の差別的な発言は許されるべきではない。炎上狙い? 交渉のための駆け引き? ならば被害者が出ても構わないというのか。救世主? 冗談じゃない。光の存在は決して暴力的な手段を使わない。

 

アジア人は協力してアジア人の地位を上げていこう

僕は愛国者だと言ったが、日本人のことを考えれば考えるほど、アジア人全体がハッピーになれなければ、日本人も幸せになれないと思っている。欧米から見れば、中国人も韓国人も日本人も一緒なのだ。トランプが中国人を悪く言えば、怒りの矛先は日本人にも向けられる。ジェット・リーの活躍を喜んだのも、日本人も他のアジア人と一心同体だからだ。

 

イエス、ノーをはっきりさせる形で中国人たちとコミュニケーションを取ることは必要だが、彼らと敵対するのは愚かだ。それこそ、アジアで戦争を起こさせたい戦争屋の思う壺。

 

世界の中心の地位を欧米から奪還するために、アジア人同士は協力すべきだと思う。

 

そういう意味ではナショナリストではなく、リージョナリストだ。

 

実のところ、アジア人こそが日本文化の一番の消費者になってくれている。日本に対する憧れも持ってくれている。アジアで一大経済圏を確立させ、お互いに行き来したほうが、日本人としての誇りを失うことなく、国際社会を楽しめると思う。これからは欧米の代わりにアジアに目を向ける時。経済成長という面では、マレーシアやベトナム、タイなども急成長している。そことつながることで、日本は新たな経済発展の道を見つけることができるのではないだろうか。ウィン・ウィンの関係でお互いに成長できる道が。

 

これは、れいわ新選組や共産党が掲げる平和外交につながる。9条をひとつのシンボルとして、経済的に、文化的にアジアを豊かにしていく。

2025年参院選、台風の目はやはりれいわ新選組。

 

■なぜオールドメディアまでが参政党を(石丸現象の繰り返し?)

■第3の勢力を使ったリベラル潰しは常套手段

■参政党には絶対バックが

■れいわに集中しよう

 

なぜオールドメディアまでが参政党を(石丸現象の繰り返し?)

SNS上でもオールドメディアでも話題は参政党ばかり。

 

これっ、どこかで見たことある光景なんだけどな。

 

そう、昨年夏の都知事選で起きた石丸現象。

 

選挙の数週間前までは「小池対蓮舫」というのが一大見出しだったのだが、直前から突如現れた第3の勢力。最初はSNSが大盛り上がり。と言っても単なるSNSではなく、ホリエモンとか中田敦彦とか充分メディア的な影響力を持った人たちが騒ぎ、選挙中盤からはオールドメディアも取り上げはじめた。(つまり自然発生的ではなかった)

 

その結果、石丸伸二氏は蓮舫氏を抜き、次点になり、小池知事の再選となった。

 

結局蓮舫氏を負けさせるために出てきたんじゃないのと思った人はかなりいたけれど、もちろん真実はわからない。でも、その結果を歓迎した人たちは確実にいたわけで、そう疑われても仕方がないと言えば仕方がない。

 

石丸氏がそのように動いたと言っているんじゃないよ。その出現を利用した人たちがいたのではないかということ。

 

メディアは一瞬石丸氏を持ち上げ、一気に時の人となったと思ったら、すぐに大バッシングで、1ヶ月ほどでブームは去った。

 

使い捨ての駒?

 

もちろん、真実はわからない。でも、はっきりしているのは、結局勝ったのは小池知事で負けたのは蓮舫氏だ。その前の情勢(裏金問題自民党のステレス支援を受けていた小池氏はかなり苦戦が予想されていた)を大きく覆すものだった。

 

2025年参院選で注目を集めていたのは国民民主とれいわ新選組。昨年の衆院選からの流れで、半年かけて築き上げてきたものだ。国民民主はいくつかの失策で信用を失い、最後に残ったのはれいわ新選組のみとなった。

 

そんな中行われた都議選で大躍進した参政党に突如注目が集まった。

 

もちろん3議席獲得は快挙だし、1回ぐらいニュースで取り上げられるのは充分頷ける。とはいえ所詮都議会選挙と国政選挙は大違い。そこまで騒ぎ続ける必要があるのかと、僕は不思議でならなかった。

 

第3の勢力を使ったリベラル潰しは常套手段

というのも、都知事選での現象自体が初めてではなく、選挙のたびに似たようなことが起きてきていたから。保守が弱くなり、リベラルに逆転されそうになると、なぜか現れる第3の勢力。決まってリベラルでなく、政策的にはどちらかというと保守なのだ。ただ、既存の勢力とは違い、そこに真っ向から対抗するという立ち位置。

 

2022年の参院選では参政党がそのひとつだった。あの時は今ほど騒がれなかったけど、SNS上では結構騒がれ、れいわ支持層にも浸透しつつあった。あの時はもっと、オーガニックや反ワクなどを謳っていて、草の根的なイメージを持っていたから、なおさらだ。れいわの支持層とかぶっていた。

 

参政党には絶対バックが

キリストの幕屋が、日本会議が、統一教会が、幸福の科学がバックについているという噂はいくつかあるが、その中でも一番有効そうなのが最初の2団体。神谷氏が直接関わっていたそうなので。

 

なぜここまでオールデメディアが取り上げるのかが理解できない。だって自民党を脅かす勢力なんでしょ。なら自民党が何としても潰しにかかるんじゃないの。それとも自民党の中に参政党が躍進したほうが得する勢力がいるのだろうか。

 

旧安倍派とか。日本会議経由で?

 

文春は神谷氏のスキャンダルのネタを複数掴んでいるという。先日のスクープ以外に。選挙が終わった後でオールドメディアが一斉に叩き、党を崩壊させ、当選後の離党者たちは旧安倍派が吸収しようとでもいうのだろうか。あるいは彼らが参政党に入り込み、乗っ取りを謀る?

 

全国に擁立できる資金力はどこから? 疑問はいろいろある。

 

れいわに集中しよう

いずれにしても、踊らされてはいけない。とにかく今大事なのことは元に戻すこと。都議選前の状態に戻し、れいわを広げていくこと。メディアが何を言おうと、SNSがどう騒ごうと、れいわ新選組を広げていくこと。

 

れいわの動画をシェアする。動画にコメントする。いいねする。知り合いに話す。選挙までひたすらそれを続けること。

 

れいわに意識を向ける。それだけで集合的な潜在意識に与える影響は大きい。れいわは広がっている。消費税廃止に向けて一番積極的なのはれいわ。国会の中で一番茶番と立ち向かっているのもれいわ。人権を重視し、日本人も、外国人も、若者も、老人も大切にするのがれいわ。対話的な街宣をしているのもれいわ。本気でアメリカに盾突こうとしているのもれいわ。

 

京都選挙区の西郷みなこさんは半端ないよ。比例で出ている福岡の奥田ふみよさんには今度こそ国会に行ってもらいたい。広島選挙区の憲法博士はんどう大樹さんは話メチャメチャ面白いね。

 

【街宣LIVE】山本太郎代表・かばた健吾 大阪選挙区公認候補 #参院選2025 #比例はれいわ 2025年7月11日 大阪府・京橋駅連絡通路

 

 

YouTubeに騙された。

 

まさかと思っていたが、やはり、こういうことはあるのだな。

 

Youtubeを始めて15年ぐらい。今やっているThe Ikigai Diet Channelはまだ数年だが。

 

チャンネルを運営していると自分も他の動画をたくさん観るようになるのだが、クリエイターとしてその裏側も見えてくる。

 

はっきり言って洗脳プラットフォームだ。

 

意図的にではない。仕組みがそうさせてしまっている。

 

仕組みというか、そこに集まる人たちの心理によって自然発生的にそうなってしまっている。それは誰もコントロールできない。

 

目次

■高タンパク質論に騙された

■陰謀論に騙された

 

高タンパク質論に騙された

ひとつはタンパク質について。もうひとつは陰謀論と政治について。

 

まずはタンパク質の話。

 

最近、高タンパク質論が流行っている。体重1キロに対して0.8グラムというのが従来のRDA(奨励摂取量)だが、それでは少なすぎ、1.2グラムから1.6グラム必要、もしくは2.2グラムという説まである。

 

僕はもともと0.8グラムに基づいてタンパク質を摂っていた。と言っても別に測っていたわけではなかったが。ところが、YouTube上でこの新説に数多く触れるにつれ、だんだん1.6グラム説を受け入れていった。63歳という年齢と日々運動をしていることも考慮して。ところが、いろいろ調べた結果、僕の場合、1.2グラムで充分であるということに落ち着いてきた。その詳細は今日は触れないが、筋力強化に影響するのは9割が筋トレであり、タンパク質量は1割に過ぎないことがわかったことがひとつ。タンパク質量を増やすことのリスクもいろいろあることがわかったことがもうひとつ。

 

では、なぜ1.6グラム説を信じてしまったのか?

 

多くの専門家がそう言っていたから。観る動画観る動画に登場する専門家がみな口をそろえてそう言ったからだ。

 

では、なぜ、1.6グラム説はそんなに多いのか。

 

1、僕の観た動画はアルゴリズムの関係で必然的にそうなった。YouTubeでは、自分が興味のありそうな動画を次々と紹介するようになっている。つまり、この現象は自分のフィードだけで起きていることだけなのだが、なぜか世の専門家がみな1.6グラム説を唱えているかのような錯覚を覚える。(現に低タンパク質論を提唱する専門家の動画を観始めると、逆の現象が起きた)

 

2、1.6グラム説がトレンドとなり、そのトピックを扱うと再生回数が上がるので、似たような動画を配信するユーチューバーが次々に出てくる。そのいくつかは切り抜き動画だ。

 

3、プロテイン産業の影響。今は空前のプロテイン・ブーム。プロテイン・シェイクからプロテイン・バー、プロテイン・サンドイッチまである。同時に筋トレブームでもある。つまり、タンパク質たくさん摂ってマッチョになろうというのが流行っていて、それが健康・長寿の分野にも入り込んできている。莫大な資金が流れている。それに加担させられている科学者がたくさんいるのは全く驚くことではない。

 

陰謀論に騙された

では、陰謀論と政治で騙されたというのは。

 

2020年にトランプ救世主論の陰謀論がYouTube上で流行った時、僕は全く相手にしなかった。それは僕はすでに陰謀論には詳しく、その内容に信憑性が感じられなかったからだ。

 

陰謀論は1990年代半ばぐらいから講演会などで語っていた。たま出版系の会社が運営する講演会シリーズで。フリーメーソンからイルミナティ、宇宙人からヒトラーまでいろいろ話していた。自分が語るぐらい詳しかったから、逆に免疫ができていた。免疫のできていない人ほど、信じ込みやすい。

 

つまり、2020年の時点でその話題は全く新鮮でなく、どうせよくあるトンデモ説なのだろうと思っていたからだ。プロパガンダ合戦は民主党、共和党双方で行われ、CNNが嘘を流せば、FOXも嘘を流すという状態だった。実は、あるメーリングリストでトランプ支持論と反対論(必ずしもバイデン支持ではない)の大議論が繰り広げられ、トランプ支持側の出してきた情報源の大部分が信憑性に欠けたということも大きかった。

 

結局バイデンが勝ち(僕はどちらも支持していなかったので別に嬉しくもなかった)、コロナ政策でワクチンなどがより強化されるようになった。

 

それから少しずつバイデン政権のおかしさに気づいていった。バイデンだけならまだしも、カナダのリベラル政権だったジャスティン・トルドーや、ニュージーランドの労働党までが。

 

「ラディカル・レフト(急進左翼)の陰謀だ」というトランプの言葉に初めて耳を傾けた。

 

同時期にある左翼系ユーチューバーが陰謀論を語りはじめた。この人はヘレナ・ノーバーグ・ホッジさんが主宰したワールドローカリゼーション・デイの登壇者でもあったので、そこそこ信用していた。もともとはイギリスで労働党を支持していた人だ。彼の語る陰謀論はトランプ支持者によるものと近かった。とはいえ、彼はリベラルであり、スタンスはトランプ支持者とは大きく異なり、それが逆に好感を持つ理由となった。

 

彼のスタンスは、ラディカル・レフト(急進左翼)が問題なのではなく、バイデン政権をはじめとするリベラル政治勢力がグローバリストに乗っ取られてしまったというもの。

 

ちなみに、ラディカル・レフトとリベラルは同じではないが、ここではトランプ側の主張に合わせて同一視して語ることにする。(ていうかバイデンは全然レフトじゃないし。ただのウォール・ストリートの犬だ)

 

ところがその左翼系ユーチューバーも視聴者の半分が右翼系トランプ支持者で、だんだんそちら側の思想に影響されていく。後半ではトランプ支持者とほぼ変わらない主張をするようになっていく。

 

僕は最後までトランプ支持にはなれなかった(だって英語で直接彼のスピーチ聞くと言っていることがメチャクチャだったから)が、ラディカル・レフトによる陰謀が実際にあるのだという説は半分ぐらい受け入れられるようになっていった。

 

この時もそうした類の動画に多く触れるようになったからだ。単純接触効果で、触れれば触れるほどそれらが真実に感じられるようになっていく。

 

つまり、リベラル系政治勢力がグローバリストに取り込まれているということだけでなく、リベラリズムそのものが悪なのだという考え方。男女同権、LGBT、他人種、他文化への寛容、人権の尊重などを推進することで社会はどんどんグローバリストの望む方向に進んでいくという考え方。

 

その根拠は、未だにわからない。根拠はわからないのだが、そうした発言を数多く聞くことで、あたかもその通りだなどと思いはじめていく。

 

そこに根拠は関係ない。イメージなのだ。リベラル=危険、リベラル=グローバリストというイメージだけが先行して独り歩きしていく。

 

幸い、僕は完全にはその罠にはまらなかった。

 

リベラリズムの広がりによって、ここ数十年でどれだけ社会がよくなったかを体験しているからだ。パソコンの画面から離れ、自分の体験する世界へ意識を呼び戻すと、自分の体験とのギャップに気づく。

 

僕がイギリスで一切差別を受けず、多くの友達に恵まれたのは、他でもない彼らのリベラルな価値観のお陰だ。

 

僕が体験したリベラル文化とグローバリストの目指す独裁社会というものがどうしても結びつかないのだ。

 

思えば、こうした特定の思想や価値観を陰謀論と結びつけるのは初めてのことではない。以前はスピリチュアリズムがその標的だった。今、スピ系の多くがトランプ支持陰謀論にハマっているようだが、以前はニューエイジ・ムーブメントこそがそのターゲットだった。キリスト教徒の中には、ニューエイジこそが悪魔の運動であり、反キリストの運動だと信じる人たちがいた。

 

ニューエイジ・ムーブメントというのは、現在のスピリチュアル・ムーブメントのようなもので、ヨガ、瞑想、東洋思想、占星術などの文化を総称したもの。

 

こうした括りが危険なのはそれぞれを独立して捉えず、そこに含まれる動き全体を危険視してしまうこと。

 

トランプ政権においてRFK ジュニアのいくつかの政策は支持しているが、全体的には支持できないもののほうが多くなってきているというのが現時点でのトランプ政権への印象だ。だからといって、それ自体が悪だとは思わないし、すべてが悪いとも思わない。ひとつひとつの政策を別個に考えて見ていく必要があると思っている。

 

実際、同一視させてすべてを悪だと思い込ませることがグローバリストの真の狙いだと思う。左だろうが右だろうが、リベラルだろうが保守だろうが、ニューエイジだろうがキリスト教だろうが、彼らにとってはどうでもいい。多くの人が信じ込み誘導しやすくなればそれでいいのだ。たまたま、リベラル的価値観が社会に浸透し、優位に立ったから利用したに過ぎない。逆が起きれば今度はそっちに切り替える。

 

ていうかおまえ、グローバリスト=悪という論調をさっきからずっと続けているではないか。

 

まあ、それは今日のところは時間がかかるから置いておこう。

 

そう、グローバリスト=独裁者というのも、もちろん僕の思い込みである可能性は充分ある。

 

さて、そこで今日言いたいのはこういうこと。

 

リベラル=グローバリストと思い込まされてしまっている人たち、その根拠を一度考えてみるといい。男女同権、LGBT、他人種、他文化への寛容、人権の尊重それぞれの何が問題なのか、その根拠を考えてみるといい。

 

 

滋賀選挙区の候補予定者討論会を観た。7人立候補しているが、その中で参加したのは5人。ということで今日のブログではこの5人の話を聞いた上での比較分析になる。

 

【滋賀ニュース】2025参議院議員選挙 滋賀選挙区 立候補予定者 公開討論会|第569回(2025年6月25日)

 

 

滋賀選挙区に立候補したのは、届け出順にいずれも新人で
▼共産党で党滋賀県委員の佐藤耕平氏(43)
▼参政党で内装業の中田あい氏(46)
▼自民党で公明党が推薦する元滋賀県守山市長の宮本和宏氏(53)
▼国民民主党で立憲民主党県連が支持する元滋賀県職員の堀江明氏(38)
▼日本維新の会で元中日新聞記者の岡屋京佑氏(32)
▼NHK党で警備員の菅原良雄氏(47)
▼諸派で元小学校教諭の藤井隆一氏(60)

の7人。

 

そのうち一番下の2人以外が討論会に参加。

 

一気に世代交代

7人というのは過去最高の候補者数だが、若い人が多いのが印象的だった。しかもほとんど初めて見る顔ばかり。知っていたのは佐藤耕平さんだけ。

 

若いがゆえのフレッシュ感があり、今までの選挙と違い、各候補者は僕から見ても好印象だった。どうせ維新だろ、国民民主だろという偏見で観ても、それを覆すぐらいのさわやかさがあった。

 

おそらく個人的に会ったらみんないい人なのだと思う。

 

原発推進に反対は一人だけ

ただ、それぞれの政策を聞くと、だいぶ印象が変わってくる。原発推進にイエスかノーで答える質問に、佐藤さん以外は全員がイエスだった。

 

えっ?

 

時代は変わったものだ。昔はだいたい2つに分かれていた。あるいは、自民党でさえも、基本的にはノーだけどという言い方をしていた。

 

3.11の記憶が風化しているのだな。

 

あれから14年。

 

戦争体験者が戦後生まれの平和ボケを危惧していたことの気持ちがわかる。なるほど。体験していないって、こういうことなのか。

 

原発あったら絶対日本守れないからね。攻撃されたら終わりだし、事故がもう一度起きたらまた土地が汚染され、食料もつくれなくなる。食料自給率上げて国を守ると確か参政党の人と国民民主の人が言っていたけど、無理だ。しかも、滋賀県の場合若狭湾に原発銀座があって、あそこで事故が起きたら、避難する時間がない。シュミレーションしたことあるけど、8号線も1号線も渋滞し、間に合わない。土地だけじゃない。琵琶湖が汚染されたら関西の飲料水すべてに影響するというのに。

 

いや、事故が起きなくても、再稼働するということは、そのたびに核のゴミができていくわけで、その処理方法も確立していないのに、いったいどうするつもりなのだろう。イエスと答えた人は誰一人それに触れていなかった。

 

ていうか、非常に淡々と答えているのだ。あたかも他人事のように、頭で語っていて、あの恐怖を味わっていないというか。だから被災者の気持ちもわからない。

 

あんな人たちばかりが国会に行ったらこの国は終わりだ。この滋賀県で、あの答えは政治家としてありえない。

 

護憲も一人だけ

最後の国防の話でも佐藤さんが一番光っていた。ちなみに、憲法改正には自民、国民、維新が賛成で、参政党は改正ではなく創憲を主張していた。現憲法のままと答えたのは佐藤さんのみ。共産党は平和外交によって戦争ができない環境をつくっていく政策を掲げている。これはれいわと近い。

 

僕は、これからアジアの時代が始まると思っていて、アジアがまとまることが重要だと思っている。マレーシア、シンガポール辺りを拠点に世界に向けて情報発信できるようなプラットフォームの構想もある。対中国包囲網を他のアジア諸国と協力してつくっていく道もあり、対米従属がすべてではない。その時9条は平和のシンボルとしてうまく働くと思っている。

 

消費税も廃止を目指し、まずは5%の減税ということなので、この点も評価できる。

 

ということで、僕の中では、滋賀選挙区では佐藤さん一択。

都議選の躍進で今参政党が注目されている。参院選の台風の目はれいわから参政党に変わった、れいわから参政党に支持者が移行しているなどという噂もある。噂というのは宛にならず、特にネットではそのような噂を意図的に作り出すこともできる。ただ、僕の周りでも参政党を支持する声は若干聞こえてくる。そこで、2つの政党の違いを明確にしておこう。

 

目次

反ワクでオーガニックな政党
ぞくぞくと現れる参政党離脱者
反グローバリズムとリベラリズム
参政党は本当に反グローバリズムで日本人ファーストなのだろうか

 

反ワクでオーガニックな政党

2022年の参院選で登場した時も、僕の周りには参政党を支持する人が多くいた。理由ははっきりしている。反ワクとオーガニックを掲げていたからだ。当時反ワクを掲げていたのは参政党とごぼうの党ぐらいだったので、その意味では希少性が高かった。それでも僕は支持には回らなかった。他の政策に同意できなかったからだ。総合的に政策を見た時に、れいわ新選組のほうが賛同できる項目が多かった。結局参政党は1議席獲得した。反ワクを進めてくれるならそうした政党が国会に入ることは歓迎だった。

 

ぞくぞくと現れる参政党離脱者

ところが、その後参政党についての悪い噂をよく聞くようになる。離党する人が次々と出てきたのだ。5レンジャーと呼ばれていた創設メンバーの大多数も党を離れた。よしりんと呼ばれる吉野敏明氏は日本誠真会という政治団体を立ち上げた。離党者はなぜかアンチ参政党になっていく傾向があり、YouTube上には離党者による批判動画がたくさん上がっている。この人は直接参政党とは関係なかったが、都知事選に立候補していたうつみんこと内海聡氏の支持に吉野氏は回り、参政党内にいた反ワク勢力の多くもうつみん支持に回ったと見られる。そうした影響もあり、昨年の衆院選では参政党の勢いは2022年に比べるとかなり落ちたという印象だった。なので、今年になって再び勢いがついてきたのには正直驚いている。

 

反グローバリズムとリベラリズム

そんな中、面白い動画を観た。

『れいわ新選組は反グロ・リベラリズム政党でした…』

 

三橋貴明氏の動画なのだが、れいわ新選組は反グローバリズムでありながらリベラルだと解説している。そして、反グローバリズムを掲げている政党や政治家の多くが反リベラルなのでそこが珍しいと。

 

では、なぜ反グローバリズムを掲げている政党や政治家の多くが反リベラルなのか。

 

これはおそらく世界的な潮流の影響を受けているからだと思う。トランプ支持層がその一番いい例なのだが、反グローバリズムがナショナリズムに乗っ取られてしまった結果だ。2012年ごろからその兆しが見えはじめ、ローカリズム運動の中心にいたヘレナ・ノーバーグ・ホッジさんが同年滋賀に講演に来た時その懸念について話していた。

 

もともと反グローバリズムというのはリベラルもしくは中道左派ぐらいまでの専売特許だったのだ。僕らはみなグローバリズムに反対し、軍産複合体に反対し、モンサント等のアグリ・メジャーや製薬会社(軍産医複合体)に反対していた。

 

ところが、海外ではその兆しが2012年ごろから始まり、第一次トランプ政権の誕生と共に勢いをつけ、2020年のバイデン政権の誕生とその後の対コロナ政策を経て加速した。

 

僕を含め、多くの人がリベラリズムに幻滅した。米民主党政権のみならず、カナダのジャスティン・トルドー政権、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン政権なども、ワクチン推進など、グローバリスト的な政策を次々に打ち出したからだ。

 

ただ、ここで重要なのは、そうした政治家や政治勢力がグローバリストに取り込まれてしまっただけで、リベラリズムという思想的価値観が必ずしもそうさせたわけではないということだ。ここを見誤ってしまっている人が多くいるように感じる。ナショナリズム的な反グローバリズムによるプロパガンダが効いているからなのだろうが。

 

三橋貴明氏も反グローバリズムとリベラリズムはかみ合わないとかつては思っていたそうだし、今現在も同様の意見をよく聞く。

 

しかし、そんなことはない。むしろその逆だ。1%対99%の戦いというのは、個人の人権(自由と幸福を追求する権利)を守る戦いであって、人権ファーストにしているリベラリズムのほうが相性はいいと言ったほうがいい。

 

陰謀論ではCNNを代表とするリベラル側のプロパガンダばかり取り出されるが、プロパガンダは双方からある。

 

というかグローバリストにとって思想なんてどうでもいいのだ。利用できるのもなら保守だろうがリベラルだろうが左派だろうが何でも利用するというスタンスだ。バイデンも利用し、トランプも利用する。

 

そのことに気づいた人たち(あるいは最初から気づいていた)人たちも増えてきて、今海外では新しい潮流が生まれてきている。(新しいというかもともとあったものなのだが)

 

参政党は本当に反グローバリズムで日本人ファーストなのだろうか

ところが日本はいつも数年遅れているので、未だに多くの反グローバリストたちは反リベラル的なスタンスでいるようだ。

 

ただ、これはれいわにとってはチャンスだと思う。希少性がメチャメチャ高いからだ。反グローバルで反リベラルな動きは複数存在するが、反グローバルでリベラルな動きはおそらくれいわだけだからだ。おそらくというのは共産党の立ち位置がよくわからないから。政策的には反グローバルの部分もあればそうとは思いにくい部分もある。

 

ということは、自分は反グローバルだけど、ナショナリズム的な動きにはちょっとついていけないという人は、「れいわ、以外ある?」ということになる。

 

あと、純粋にリベラル系の人たちにとって、れいわは最後の砦だ。嘘だと思ったら参院選の勢力図を見てみるといい。れいわと共産党以外はほとんど保守。支持者にとってみれば自分の支持政党以外考えられないというのはもちろんわかるし、それを変えてもらいたいとまでは僕も思っていない。ただ、現実的に考えて、今の情勢を考えた時、どちらかがある程度大量に議席を取らないときびしい。もっとも選挙区ではれいわは候補者を擁立していない所のほうが多いので、そこは共産党が頑張ればいいと思うが。

 

ここからはれいわか参政党で迷っている人たちに。

 

反ワクで参政党を支持している人、反ワクならよしりんやうつみん系の動きが主流で参政党はあまり力を入れていない。先日神谷氏が大津でそう言っていた。オーガニック。これはどうなのかな。農業政策なられいわも掲げている。特にオーガニックということは強調していないが、日本の農業自給率を上げるという点ではれいわも熱心だ。内需を充実させるという部分全体について。

 

反グローバリズムで参政党を支持している人たち、参政党が掲げる創憲の中身をきちんと読んでみるといい。

 

 

 

正直、僕はこれを読んで参政党は反グローバリストではないと思った。

 

例えば第5条の2(国民は、子孫のために日本を守る義務を負う)

この具体的な意味がよくわからないが、義務という言葉が個人的には引っかかる。

 

解釈しだいでは、仮に日本で徴兵制が敷かれた時、自分の息子たちが戦争に駆り出される可能性があるのだ。支持者の多くは子育て世代だと聞く。つまり、その子たちが大きくなった時にまさに直面する問題なのだ。

 

憲法にこのような条文が書かれてしまえば、拒否することができなくなる。

 

というか、憲法ってそもそも権力を縛るものではなかったっけ。ところがこの創憲案では国民に義務が負わされているのだ。

 

他にも首をかしげる箇所が山のようにあるのだが、いちいちすべてを挙げるまでもない。詳しくはぜひとも自分で全文を読んでください。

 

日本国憲法がGHQによってつくられたものだから変えるべきだとかの議論があるのは知っている。GHQによって押し付けられたというのが本当なのかどうかは僕はよく知らない。ただ、僕が気にかけるのはその中身だ。その中身が国民の自由と幸福を守るものなのかどうか。

 

全体的にこの憲法案でいえるのは日本人ファーストではないということ。日本ファーストであるということ。日本国のほうが日本人ひとり一人よりも優先されている。

 

それはつまるところ、反グローバリズムでもないということだと僕は思う。少なくとも、僕がグローバリズムに反対しているのは、個人の自由と幸福を守るためだ。一部のエリート集団によって国、企業、メディア、そして一般市民たちがコントロールされる独裁社会に反対している。そのコントロールする側がグローバルエリートから日本政府に変わったところで、一般市民にとっては何も得にならない。

 

まあ、より正確に言うと、反支配ではないということ。一部の人たちが上から目線で物事を決め、市民に従わさせようとする構造そのものは、グローバリズムの構造と大差ない。

 

やはり、日本を守るではまずいのだ。人を守るが前提にあるべき。誰であろうとね。子供だろうが、大人だろうが、老人だろうが、女だろうが、男だろうが、何人であろうが。れいわ新選組は移民に反対しているが、その理由を聞くと、彼らがいかに人を大切にしているかがわかる。

 

山本太郎ブチギレ!れいわ“移民政策”のデマに拒絶宣言「自民党のせいだろ」