『百姓レボリューション』がアマゾンの経済・社会小説部門でベストセラー1位を記録したことを記念して百レボ現象を考える。
前回の記事はこちら。
では、新たな大変動時代が訪れていると思われる今後数年間をどう生きればいいのか。
それは人によると思う。
個々によって生き方は千差万別で、変化の対応の仕方も多様であっていいと思う。
『百レボ』で描かれているようなライフスタイルを希望するのなら、それは全くオーケーだと思う。
自然農、もしくは有機農で自給自足型のコミュニティをつくっていく。
コミュニティといっても形態はまちまちで、いわゆるエコビレッジのようなものから、ローカルネットワークのような地域内でネットワークを組み、ゆるくつながっていくものまでいろいろあるだろう。
そしてもちろん、それを選択しなくても構わない。
ひとつ言っておきたいのは、『百レボ』ではあくまでもひとつの未来の可能性を描いたに過ぎない。あの時点で複数の未来が予測できたが、その中で、貨幣経済が完全に崩壊し、石油が一切入ってこなくなり、政府機能も途絶えるという究極の状況をあえて設定として選んだ。そのほうが小説として面白いからだ。ただ、経済が半分廃れ、石油や他の動力源も完全にはなくならず、政府も続いているという未来も起こりえたし、実際に起きたのは後者だ。なので、現状では多くの場面で『百レボ』のようにはならない。自然農が主流になったのは肥料が手に入らないという設定だったからで、すべて手作業というのも動力が使えないという設定だったからだ。また、すべてが人口が大幅に減ったという設定で構築されていて、今のように1億人以上もいる状況では対応策が大きく変わってくる。
今現在の食料危機に対応するには、自給自足型のコミュニティだけではきびしいだろう。1億人以上の人口を賄うには、農業全体をどうするかということを真剣に考える必要がある。
執筆当時の2010年ごろは、僕の農業に関する知識や経験も限定的だった。自然農や有機農だけで、一般的な農業、いわゆる慣行農業というものや、JAの役割を含めた各農村地域でどのような農業が営まれているかまでは詳しく知らなかった。そのことも、物語で描かれている農業のあり方が限定的である理由だ。また、人口が大幅に減り、農地もすべて自由に使えるという設定で、すべてを一から作り上げることができた。
今のようにすでにある農地を引き継ぐ、各地域に入り込んで農業をする場合、地域とのつながりなど、さらなる課題が出てくる。
もっと危機的な状況になったとしても、1億人全員が自給自足的な暮らしに移行することはまず考えられないので、そうなると、自給自足は成立しなくなり、他の人のぶんまでつくる農家が必要になってくる。そうなると、ある程度の規模で機械を使った農業を継続していく方法を考える必要がある。
つまり、自給的な小規模な農をする人たちだけでなく、大規模な生産者を減らさず、どう増やしていくか。
生産者、消費者、地方自治体が協力して方法を考えていかなければ。
幸い、ここのところのオーガニック給食の活動で生産者、行政などと対話を重ねたので、その辺の理解は以前よりずっと深まった。そうそう、日野町では10月から試験的にオーガニック給食が始まることになった。まずはひとつの小学校だけでの実施だが、月一で計38回の有機米の提供ということなので、悪くないスタートだ。
学校給食に提供するとなると、そこそこの規模が必要になり、当然機械で行う。稲作の場合、夏の除草が一番大変になるので、機械除草のノウハウが鍵になってくる。これは同時に、有機農で新規就農したい人のモデルケースにもなりうると思う。
今までの半農半Xはどちらかというと小規模な自給農で手作業というイメージが強かったが、そこに新たな形態が含まれないと、今増え続けている耕作放棄地を引き継ぐことはできないだろう。
その上で今、より現実的だと思うのは、『自然派バイオハッキング』で紹介した里山都会構想だ。人口分布を高度成長期以前の状態に戻すこと。つまり、田舎から都市への人口の移動を逆にすること。
大都市から田舎への大々的な人口移動が必要で、そのためには田舎暮らしが主流にならなければならず、主流になるためにはもう少し裾野が広がったほうがいい。半農半X、スローライフと言われるようなライフスタイルだけでなく、より多形態の田舎暮らしが普及したほうがいいと思う。
そこで、不可欠なのはITを利用した仕事の仕方で、田舎で暮らしながらリモートで仕事をするというライフスタイルの普及。その時、そうしたハイテク的なことはGAFAMの世界であり、あちら側だと全面的に拒否してしまうと難しくなる。
ゼロか100かと考えるのではなく(考えてもいいけれど)、使えるものは使うというスタンスのほうが選択肢が広がり、いろいろなことがやりやすくなる。
例えば、僕はアマゾンのKDPというプラットフォームを利用して本を出版し、販売している。あのアマゾンで思う人もいるだろうが、KDPというプラットフォームは多くの個人に出版の機会を提供している。KDPがなければ、ごく一部の作家のみが本を出版できるという従来の状況が続いていただろうし、大手出版社、取次、書店という流通システムの枠組みがすべてをコントロールしていただろう。
YouTubeもそうだ。グーグル社のプラットフォームでやはりGAFAMの一部。しかし、どれだけの無名の個人がYouTubeを通して表現の機会を得ただろうか。YouTubeがなければ未だに既存のマスメディアが社会を牛耳っていたことだろう。
すべてが白、黒に分かれているわけではない。
むしろ、そうした世界をすべて拒否し、自分は田舎で独立して自給自足することを多くの人が選択した場合、かえってあちら側にとって都合がよくなるということもありうる。
これは、軍需産業に資金提供している銀行に預金すべきでないという議論に似ている。ポリシーとしては素晴らしいが、効力を見た場合、多額の資金を持っている人ならともかく、そうでない人の場合、その人が口座を閉鎖しても銀行にとっては全く影響がない。
僕らが仮に数万人規模でアマゾンやグーグルを使わなくなっても、その何倍もの規模で新たな利用者が誕生している今、そこで得るメリットより、情報発信の機会を失うというデメリットのほうが上回る気がする。
もちろん、疑問を持つことはいいことで、GAFAMを含む巨大企業集団の言いなりにならないということも必要は必要だが。
まあ、この辺はすべてそれぞれの選択肢に寄る。『百レボ』で小野寺隆が言っていたシステムに依存するということは、それに巻き込まれやすくなることも事実で、そうした誘惑に弱い人は、システムから独立したコミュニティ、あるいは独立した個人の生活を選ぶことは充分ありだと思う。
特にワクチンパスポートのようなものができた場合、既存の職場には勤められないという人も出てくるだろうし、そうなると百姓ビレッジのようなエコビレッジ兼勤務先のような場所があると防波堤になる。
子供たちにフリースクールがあるなら、大人にもフリーカンパニーがあってもいい。
人によって生き方が変わってくると言ったが、年齢によってできることが変わってくるし、得意、不得意によってもできることは変わってくる。
僕がなぜ農的暮らしに力を入れなくなったかは、まさにそれが理由だ。農的暮らしを始めたのが40代後半で、50代半ばほどで限界を感じた。
ひとつは自然農でやったのだが全くうまくいかず、ほとんど収穫できなかった。もちろん、やり方が間違っていたというのもあるのだが、ひとつは土の問題だった。自然農では土づくりに時間がかかるとも聞いていたし。ところが僕には時間的猶予があまりなかった。
もうひとつは、もともと不器用で、農業を含め、大工仕事や道具使いなどが苦手だった。紐を結ぶことなどは最悪だった。はっきり言って向いていないと悟ったのだ。普通の人の3倍は作業に時間がかかった。
僕のような人間が農に関わっていることの意味が見いだせなかった。5年以上やって進展が見えないということはそうなのだ。
残りの人生をどう生きたいかを真剣に考えなおした。そこでたどり着いたのが前から好きだった執筆業だった。
大変動を、単にサバイバルとして捉えるのではなく、ひとつの周期の最終段階にあると捉えた場合、意味合いが変わってくる。どんな過去性を送ってきたかでも、できることは変わってくる。
自分の集大成として農的暮らしをするのが使命なのかと考えた時、答えは違った。
今まではよかった。農的暮らしという経験が必要だった。この経験が自分のミッションに役立っているわけだし、だからこそ『百レボ』も書けたのだ。農的暮らしがあったおかげで、生きがいダイエットや自然派バイオハッキングを編み出すことができた。
農的暮らしの役割はここで一旦終了し、これからは本業に専念したいと思っている。
もうひとつ本業だと感じているのが英語での情報発信で、日本人にはできる人が少ないので、日本の里山文化やスピリチュアリティを英語で海外に向けて発信することが集大成としてのミッションだと感じている。
だから、
それでも、家庭菜園レベルの農的暮らしは続けているし、生活の基盤は里山にある。
もちろん、都市での生活を選ぶことも構わないと思っている。
『自然派バイオハッキング』では、農山村移住、地方都市移住、大都市郊外移住の3つの選択肢を提案している。
そうそう、健康でいることも重要。感染症予防だけでなく様々な病気の予防にもなるので、自然派バイオハッキングは多くの人に勧めたい。
健康というのは身体的にだけでなく、ボディ、マインド、スピリット、プラネットに働きかけるので、まさにこの大変動時代を生き抜く上で役立つ。
実は、GAFAMの話をしたが、シリコンバレー発のテクノロジー文化が小野寺隆がシステムと呼ぶものとリンクすることはまんざら嘘ではないと思っている。
まんざらね。ゼロか100じゃなくて、ある部分は、ある程度は。
そして、自然派バイオハッキングはそれに対抗するために作り出したのだ。
納豆もそう。Natto Unleashedは解き放たれた納豆という意味だが、納豆菌を解き放ったのも、それが理由。
帝国の逆襲ではなく、菌たちの逆襲、あるいは菌たちの帰還か。
まあ、いずれにしても、まだ読んでいない人は『百レボ』3部作を読んでもらいたい。その上で、今の自分にどのような生き方が相応しいかを考えるといい。きっと何かヒントが見つかると思う。
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