文学的に道を創り、様々な人生において経験出来る美的世界、芸術的世界というものを広げてゆくことも、自らの人生観、世界観を広く磨いてゆく上で大切なことである。


 確かに、哲学も文学であり、思想も文学であるが、詩や音楽や短歌や俳句や小説や戯曲などの文学の世界は、本来、もっと広いものである。

 

 このような文学の中に、数多くの魂を生かすことが出来るのである。例えば、詩的世界であっても、その詩想をもっと広げてゆけば、無限の美的世界を看取してゆくことが出来るのである。


 故に、人生の到る所に、詩情を発見してゆこうではないか。そして、美的世界を開拓してゆこうではないか。美的理念、美的イデアを顕現してゆこうではないか。


 美しく生きることも、大切な人生の要素であり、世界的日本人、教養人の大道である。

 

 どれだけ美や芸術に心がけて生きることが出来たかということも、自己の魂の器を測る上で、非常に重要な要素の一つであるのである。


 故に、様々な文学理念に触れていただきたいし、様々な芸術理念を調べ、分析し、総合して、自らの美学を確立していっていただきたいと思う。


 一人一人が固有の美学をもっている方が自然である。故に、全ての方が、自己固有の美学をもって世界を観、自己固有の美学をもって、人生の意味を創造していっていただきたいと思う。


 日々これ、美の創造である。ミューズは常に全ての人の側に居るのである。ムーサの女神は、常に側に居るのである。

 

 様々な文学上の土台を積み重ねてゆけば、人生は、真に拓けてゆくであろう。

 

 

 

 

 

 

 

   by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)
 


 人生には、世界には、到る所に、美が、美のイデアが顕われているのである。故に、自らの人生において、そのような様々な美を発見し、美を創造してゆくこと、芸術を創造してゆくこともまた、人々への大いなる愛の実践となってゆくのである。


 例えば、歌を創るのであるならば、歌を通して、その歌境を上げて、磨いてゆくことも大切である。また、詩を創るのであるならば、詩を通して、その詩境を上げ、磨いてゆくことも大切である。これは、絵画においても画境を、小説においても心境を、境地を上げ、磨いてゆくことが大切なのである。


 故に、それぞれの分野において、一芸を通して自己の心境を磨き、魂を磨き、精神を磨きながら、そのことによって、自らが人々に魂の糧を与え、心の糧を与え、精神の糧を与えているのであるということを忘れてはならない。


 このように、歌を通して磨かれた歌境を通して人々を導いているのが、真なる歌人達の使命であるのである。

 

 天皇家の方々も御詠歌を創られるであろう。また、かの和泉式部であっても、歌によって自由自在に雨を降らせることが出来たという。

 

 まさしく、歌は、芸術は、天地を動かす秘法なのである。真に言霊のある歌は、人々の心を動かし、天地をも動かしてゆくのである。


 確かに、技術力の向上、鑑賞眼の向上もさることながら、己が心境を上げ、磨いてゆくことを通して、自らに出来る芸術を様々に創造してゆきながら、人々に善き感化を与えてゆくことが大切なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

   by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)
 


 カントの「永遠普遍の道徳法則」とは、宗教的な表現をすれば、人間の内に宿っている所の神性仏性のようなものととらえることも出来るであろう。しかし、さらに厳密に思索すれば、それは「内在する真理そのもの」のことであり、「内在する法そのもの」のことであるともいえるのであろう。


 このような「永遠普遍の道徳法則」とは、文字通り、本来、普遍であるから、狭義における宗教の枠には入らないと同時に、それはまた、自由自在に入るともいえるものであろう。


 しかしながら、カント哲学の特徴とは、その道徳法則(真理)というものが、知性的実在、叡智的存在であるとした所にあるのではないかと思われる。とするならば、感性的存在というものの本質とは、一体、何なのであろうか。


 そもそも、「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六官によって認識される「色・聲・香・味・觸・法」という対象、そして、「眼界から意識界」にいたる感覚界など、それらは、本来、空であり、無いものなのである。それは、かの『般若心経』に、「空中には、色もなく、受想行識もなく、眼耳鼻舌身意もなく、色聲香味觸法もなく、眼界、意識界もなく」とある通りである。


 故に、物質は本来ない。肉体は本来ないのである。真にあるのは、空相としての、不生不滅、不垢不浄、不増不減の実相的生命だけである。すなわち、法身だけである。それは即ち、カントのいう所の「永遠普遍の道徳法則」だけであると、こういう解釈も出来ようと思う。


 このように、「永遠普遍の道徳法則」を、永遠普遍の真理であり、永遠普遍の法身であると大悟する時期、そこから、叡智の大系、叡智の実成が、すなわち、真なる法そのものが生まれてゆくのである。

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)