人間の一生というものは確かに夢物語でもあろうが、それはまた、完結している現実、現象でもあるものである。
自己の人生において、様々な理念が現象へと流転し、実現成就してゆくのである。様々な内なる魂の理念の側面が、様々に顕われて、輝いてゆくのである。
たとえ、一見、何も輝いていないように見える時でさえ、何かを磨き、吸収し、蓄えているのである。このように、人生経験は何一つ無駄にならないものである。その中において出会う真理は、まさしく一期一会なのである。
たとえ一つの事柄であっても、決して偶然には起こらないのであり、そこに、天の摂理、人の摂理、縁の摂理、地の摂理が働いてゆく。
自然と人為と理法(真理)は、それぞれに多様で、一糸乱れぬように、それぞれの方の人生に応えを返してゆくのである。
自らの問いが「因」となって、思索が「果」となり、心の種子が「因」となって、その「果」が文章となり、それが人に影響して人間関係が出来、個人が成り、家が成り、地域社会が成り、国家が成り、世界が成り、歴史が成ってゆくのである。
故に、人生におけるあらゆる事柄を一つ一つ修めてゆくべきである。「格物致知」(『大学』)すべきである。こうして修められ、得られた叡智は、自然に自己を照らし、他者を照らし、世の中をも照らしてゆくことであろう。
人生に、世界に、歴史に、無駄なものは、本来一つもないのである。一つ一つが無限の意味を持っているのであり、吾々に問いを投げかけているものなのである。
あなたの念じてきたその思いの積み重ねが、周囲の世界に展開しているのである。今まであなたが味わい、吸収してきた思想が、あなたの心身を形成し、人生を創り、世界を創っているのである。
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)