人間の一生というものは確かに夢物語でもあろうが、それはまた、完結している現実、現象でもあるものである。

 

 自己の人生において、様々な理念が現象へと流転し、実現成就してゆくのである。様々な内なる魂の理念の側面が、様々に顕われて、輝いてゆくのである。


 たとえ、一見、何も輝いていないように見える時でさえ、何かを磨き、吸収し、蓄えているのである。このように、人生経験は何一つ無駄にならないものである。その中において出会う真理は、まさしく一期一会なのである。


 たとえ一つの事柄であっても、決して偶然には起こらないのであり、そこに、天の摂理、人の摂理、縁の摂理、地の摂理が働いてゆく。

 

 自然と人為と理法(真理)は、それぞれに多様で、一糸乱れぬように、それぞれの方の人生に応えを返してゆくのである。


 自らの問いが「因」となって、思索が「果」となり、心の種子が「因」となって、その「果」が文章となり、それが人に影響して人間関係が出来、個人が成り、家が成り、地域社会が成り、国家が成り、世界が成り、歴史が成ってゆくのである。


 故に、人生におけるあらゆる事柄を一つ一つ修めてゆくべきである。「格物致知」(『大学』)すべきである。こうして修められ、得られた叡智は、自然に自己を照らし、他者を照らし、世の中をも照らしてゆくことであろう。


 人生に、世界に、歴史に、無駄なものは、本来一つもないのである。一つ一つが無限の意味を持っているのであり、吾々に問いを投げかけているものなのである。


 あなたの念じてきたその思いの積み重ねが、周囲の世界に展開しているのである。今まであなたが味わい、吸収してきた思想が、あなたの心身を形成し、人生を創り、世界を創っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)
 


 東西文化文明の根源において、政治運営の上にも、経済運営の上にも、教育運営の上にも、家庭運営の上にも、道徳倫理上の真理が置かれなければならないということは、人為以前の自然法であり、人間の良心、理性に共通の自然法であります。


 道徳倫理上の真理としての自然法が、同時に、個人の生活の上にも真理であり、社会生活の上にも真理であるというようなものが数多くあるのであります。

 

 このような道徳倫理の法則を探究し、応用し、実践してゆけば、より自然法に適った、価値のある国家運営、学校運営、会社運営、家庭運営が成されてゆくのであります。


 それは当然ながら、個人における経営においても、人生の真理が必要であるのであります。このような人生上の真理が数多く発見出来てゆき、それに則って善く生きることが出来れば、より一層、各自の人生は発展繁栄してゆくし、大調和を実現してゆくのであります。


 それはまた、地域社会、国家、世界においても、様々な真理を発見し、積み重ね、真理(道)に則った運営をしてゆけば、より一層、発展繁栄し、大調和の姿を顕わしてゆくのであります。


 このように、真理というものは、様々な角度から究められ、応用され、実現実践されてゆくべき道徳的法則であるといえるのであります。

 

 人生上、社会上の真理が様々に発見され、応用され、実践されればされる程、より豊かな人生、世界を創ってゆくことが出来るのであります。

 

 (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 


 


 様々なものすべてに意味があり、その意味の奥に、本質的真理があるのである。そのような本質的真理というものを発見してゆくのが、哲学的営みである。


 故に、この地上のありとしあらゆるものは、哲学という営みによって意味を発見され、さらに、本質的真理へと高められてゆくものであるのである。


 このように、人生にどんな意味があるのかということを発見することが、哲学的営みである。

 

 哲学がなければ、人生とは、あたかも無意味なものであるかの如く認識されるかもしれな い。実際にそういう方もおられるであろう。


 しかし、私は、人生のすべてのものの中に、深い意味、深い真理を発見せざるを得ないのである。

 

 何故ならば、深く生きれば生きる程、私達の人生は、その本質的な意味を顕わし、響かせて下さるものであるからである。


 確かに、人生には、悲しみも苦しみもあろう。孤独も憂いもあろう。生老病死を始めとした苦悩もあることであろう。


 しかし、どのようなものの中にも意味を発見し、真理を発見してゆくことによって、人生のすべてを、哲学的な認識の力によって真理へと昇華し、達観することは出来るのではないだろうか。


 このように、あらゆるものの中に真理を発見する度ごとに、現象は真理となり、我々の生命は法そのものとなってゆくのである。


 故に、様々なものに意味を発見しながら、一つでも多くの発見を積み重ねてゆけばよいのである。

 

 人生の意義とは、このような真理の発見の量と質にあるといってもよいかもしれない。


 このようにして発見された真理は、永遠の生命を持つものである。その時に、我々の人生は、生命は、はかない現象的な存在から、永遠不滅の真理となって昇華されてゆくのである。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)