かの鈴木大拙の云われるが如く、「霊性」の観点は必要である。彼自身が自己自身の体験を基にして哲学体系をつづられているが、様々な悟りの言霊が日本語でつづられているので、それらを深く味わっていくことが大切であると思う。
仏教哲学を理解する上でも、鈴木大拙のような観点は必要であり、「霊性の永遠性」というものを前提にした仏教理論、仏教哲学、仏教解釈でなければならぬと思うのである。その意味で、鈴木大拙から学ぶものは多いといえよう。一宗一派を超えて、人々の魂に訴えかけられるものが多いといえよう。
このように、仏教というものは、本来、「霊性」の観点が充分に入っている体系であるととらえるのが本来のあり方なのである。
西田幾多郎の良き理解者として、また、親友として、鈴木大拙のような方がおられたということは、日本文化を世界的に開闢する上でも欠くことの出来ない観点であり、仏教的精神の理解の上でも大切な視点であろうと思われる。
鈴木大拙のような解脱の心をもっていれば、自然に周囲の方も解脱してゆくであろうと思われるが、このような哲学者が居たということを一つの指標にしていただきたいのである。それは、教養の面からも、精神的理解の面からもそうである。
鈴木大拙は、一人の妙好人をも見逃さず、一人の禅道者をも見逃さず、その精神の奥儀を理解し、人々に解釈しえたではないか。
この鈴木大拙にしても、また、西田幾多郎にしても、一宗一派を超えた文化創造者として、宗教界、思想界、哲学界に影響を与えつづけておられるのである。
故に、代表的日本人として、改めて、鈴木大拙を深く学んでゆくことも有意義であると思う。そして、彼を一つの指標として、他の様々なものを計ってゆくこともまた肝要であると思うのである。
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)