人間が詩文を愛するということは、魂の調べというものが人間自身の魂の内に実在するためであろう。
詩歌を愛する時、私達は心を慰められる。そして、生きている充実をそこに見出す。そして、詩歌によって、人生そのものが昇華されてゆくのである。
また、哲学においても、そこにその方の人生が言葉の中に結晶化されて、永遠の生命を持つものとなり、その哲学自体によって、人生そのものを達観し、昇華してゆくのである。
故に、詩歌や哲学に見出されるものは、昇華されたその方の生命の息吹であるということが云える。人間は、詩歌や哲学思想の中に、過去の普遍的自己を発見する。そして、それを魂の糧として、永遠の生命を輝かせて、深き味わいのあるものへと成しゆくのである。
人は、思索してゆく限り、達観しつつも、かつ迷うものである。しかしながら、迷いがありながらも、学びつづけ、思索しつづける限り、魂は、向上発展してゆき、限りなく止揚されてゆくのである。
深く切なる自分自身に対する問いかけは、必ず、自分自身への応えとして返ってゆく。そして、その応えが、自分自身にとって、かけがえのない詩歌となり、哲学思想となってゆくのである。
このように、人は、問いつづけてゆけば、必ずや、無限無数の答えが見つかり、それを土台として、さらに前へ進んでゆくことが出来るのである。
人間は、時に、今までの自分自身の人生や実績に対して自信が持てなくなったりすることもあるけれども、過去の自分が遺してきた詩歌や哲学をつぶさに見直してみれば、自分が今まで歩んできた道に、確固とした自己信頼を取り戻してゆくものなのである。
このように、自分自身が、日々、学び、思索しつづけているということ自体が光の営みであり、希望そのものなのである。
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)