詩人の真なる生命というものは、決して、言葉の修辞学だけではないのである。その詩人が受け取るインスピレーションが高度で良質であればある程、詩人による「預言」というものは、ありうるのである。


 一般的に、一流の詩人は学者よりも霊格が高いと云われるが、それは、一流の詩人となれば、高次元のインスピレーションを受ける預言者的な方が多いからである。故に、一流の詩人となるということは、人類にとっても、非常に貴い聖なる使命なのである。


 かの聖書の多くは詩編で綴られている。詩編という形で神の御言葉が臨んでいるのである。


 同じように、ゲーテの本質も、預言者的詩人である。シラーの本質も、預言者的詩人である。シェークスピアの本質も、預言者的詩人である。

 

 吾々は、改めて、一流の真なる詩人は、単なる学者の方よりも霊格が高いことが多いということを忘れないでおくことにしよう。


 真なる詩歌集とは、それはまさしく、ミューズ(詩神)達による天使の活動なのである。このように、詩人として詩を創るということも、歌人として歌を創るということも、人々に愛を創造してゆく天使の活動なのである。


 詩人も歌人も、大切な文化創造の使命、光の使命を謳っているのである。たとえ、それが恋愛を謳ったものであっても、詩人や歌人の作品は、万人に感化を及ぼすものであるのである。故に、詩的な芸術作品を大切にするという道も、大道としてあるのである。


 このように、詩歌を通じて光を掲げるという使命の下に、詩人でありつづけるということは、人類にとっても、非常に大切な聖なる営みなのである。

 

 

 

 

 

 

   by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)
 


 随筆やコラムや小説などの文学における芸術性というものは、一体、どこにその本質が観られるのであろうか。


 まずは、何よりも、その作家の批判眼、批評眼の質に求められるであろうと憶う。

 

 何をどのように批判、批評するかということは、その作家の視点によって異なるものだけではなくて、その作家の心情、心境のレベルによっても変わるものであり、そこには、感性的叙述もあれば、単なる知識的叙述もあり、また、理性の美しさを表現したものもあるのである。


 この理性的叙述における芸術性というものは、基本的に「理念の美」に基づくものである。

 

 こうした「理念の美」というものは、一朝一夕には築けないものであり、本当の古典文学というものには、そこに、この「理念の美」を顕したものが多いのである。


 例えば、ゲーテの随筆集であっても、その根本にあるのは、感性的叙述を通した、その背後にある所の「理念の美」の表現なのである。「イデアの美」の地上への投影顕現なのである。


 また、マルクス・アウレリウスの『自省録』も、ルソーの『告白』や『エミール』であっても、同様に、その核心は「理念の美」であって、思索の美しさが、そこに表現されているのである。


 ゲーテは、ルソーやカントやヘーゲルの哲学精神を継承して、それを文学を通じて表現することによって、文学というものを「理念の芸術」へと高めたのである。


 一口に文学といっても、文学における美しさというもの、芸術性、文学性というものには、確かに段階があるのである。それを綴った作家の精神性の違いによって、その文学の芸術性、文学性には段階があるものなのである。


 このように、文学というものは、単に美を追求しただけのものではないのであり、そこに、その作家が到達しえた独自の深い人生観や世界観を表現するものでもあるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

   by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 


 


 ゲーテが著した『イタリア紀行』の最後は、マルクス・アウレリウスの騎馬像で終わっている。それは、このマルクス・アウレリウスの精神こそが古典精神の結晶であり、倫理的にも最高位の実在精神だからである。


 また、かのエマソンもアメリカのアウレリウスと呼ばれることも多い。それだけ、マルクス・アウレリウスの『自省録』が、時代を超越した倫理的実在精神そのものであるからである。


 古代における銅像とは、現代に置き換えれば、写真集のようなものでもあろう。すなわち、現代においては、写真集という形で「理念の美」を体現せる造形的な姿を永遠の姿として遺し、世界に向けて発信してゆくということである。


 このマルクス・アウレリウスの精神は、永遠不滅の実在精神であり、あらゆる倫理哲学精神の源として、また美意識の源として、人類の最も高い精神的実在であり、また永遠普遍の道徳律の体現者であり、善のイデアの地上への実現でもあり、哲人皇帝として、プラトンの精神(『国家論』)の実践者なのである。


 また、かのカントが説く所の「最高善」とは、永遠普遍の道徳律の体現が真なる幸福と一致することである。

 

 すなわち、善を実践体現することこそが真なる幸福であるということを人類に示すことであり、また、こうした倫理的善こそが真なる美であり、真なる幸福の源であるということを示すことなのである。


 このような倫理哲学精神の源としてのマルクス・アウレリウスの『自省録』は、永遠不滅の人類のベストセラーでもあり、マルクス・アウレリウスは、人類にとって永遠不滅の守護神であり、守護天使であり、また、精神界の大師(グル)でありつづける実在精神なのである。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)