哲学的な古典的書物であっても、或いは、宗教的な教えであっても、その他の様々な伝承であっても、何を信じ、何を疑うかの批判的判別能力、選択能力を磨いてゆくことは大切である。


 疑いながら、思索と学問を積み重ねてゆく内に、真実の発見があり、発明があり、進歩があることも事実である。


 ただ単に、盲信して、名前に執われるだけであるならば、或いは、権威に執われるだけであるならば、そこに学問的進歩は止まってしまうとも言えるであろう。


 真に信頼すべきことの根本は、自己信頼であり、自己信頼の根本は、倦まず弛まず学問を積み、思索しつづける主体性にこそあるである。


 このように、独立自尊の主体性を持ちつづけて、学問に励みつづけることこそ、大切な自我であり、その自我の奥にある所の真なる自己の実現であると言えるのである。


 真理真実を押し進めて、文化文明を発展させてゆくことこそ、自己の内なる良心、理性の根本である。自らの良識というものの磨き方を、真実の学問に則って進歩向上させてゆくことこそが大切なのである。


 何ものも絶対的と思わず、相対的と思い、これに対して、批判精神をもって自説を練ってゆく精神も、真なる学問、及び、哲学の要である。


 何事においても、矛盾は、統一の前提である。疑問は、進歩統合の前提である。


 このように、常に己が批判的判別選択能力を磨きながら、進歩向上させてゆくことこそ、学問の本質なのである。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 



 

 

『般若心経』に云う所の「一切皆空」の本質とは、一切の現象を否定しながら、その奥にある所の実相を肯定することにこそ、その真なる奥義があるのである。


 例えば、一切の現象の病を「無い」と否定しながら、その奥に無限の健康長寿を観ることである。


 また、一切の現象の貧しさと執着を否定しながら、その言霊の力、悟りの妙力によって、無一物中無尽蔵の宝を湧出し、引き寄せてゆくことが出来るのである。


 このように、「空」から全ての宝は生まれ、「無」から全ての福田は生まれてゆくのである。


 「天の蔵に富を積む」ということは、悟りの力によって、無限の富を引き継いで、現象化させてゆくということである。

 

 この「空」の悟りこそが、無執着でいながら、一切の宝が無限に供給されてゆく大道なのである。故に、それを「真空妙有」、「真空実相」と云うのである。

 

 このように、真なる「空」の悟りの奥義とは、無限の光のエネルギーを引いてきて、それを現象化させてゆくことなのである。


 「色即是空」であるからこそ、無執着のままにして、自らは無限の供給を受ける器となるのである。また、「空即是色」であるからこそ、無から無尽蔵のエネルギーを引いてきて、現象化することが出来るのである。


 真なる「空」の境地こそが、想いのままに、その悟りの力によって、健康や豊かさや平安などのあらゆる善きものを無限に実現成就してゆく鍵なのである。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 


 

 

 自らの内を修めるということは、即ち、道を学ぶということである。


 道を学ぶにあたっては、ある特定の狭い世界観に執われずに、自分自身の中に、数多くの世界観を持っておくということも大切である。

 

 例えば、長年、ある一つの世界観を信じている人であっても、それを相対化するような世界観の中に生きてみた方がかえってよいこともあるのである。


 特定の狭い世界の中で限界を感じても、それは当たり前であり、そのような場合には、別の世界にこそ、大いなる収穫があったりするのである。故に、常に自分に必要な新たな世界を求めて旅をしてもよいのである。


 また、例えば三十代において別の世界に出て学んだものが、五十代以降になってから役立ってくるということもあるのである。


 特に、人間学誌「致知」の世界などは、これは朱子学から来ている名前であるが、こうした世界は、年齢を重ねてゆく程に深まってゆくが如き徳知の世界であるとも言えるのである。


 このような東洋哲学を修め、東洋思想家になる道も、大道としてあるのである。東洋哲学によって、己が人生の中軸を定める人もいるのである。

 

 このような朱子学や陽明学であっても、未だ古くはならないのである。それは永遠普遍の人間学なのである。


 故に、こうした人生学を修めることを通して、自分自身を修める道の中に楽しむということは、最高の道楽であって、年齢を経ても、大いなる楽しみとなるとも言えるのである。


 早稲田大学には東洋思想家が出る伝統があるけれども、慶應義塾大学においても、西洋思想のみならず、現代、新時代の朱子学として、もっと東洋思想家が出る伝統があってもよいと思うのである。


 早稲田の創始者・大隈重信による名著『東西文明の調和』において説かれている所の東洋思想、東洋哲学の中にも大きな真理の鉱脈があり、また、健全な人生学があるのである。


 さらには、このような東洋哲学のみならず、西洋哲学にも、また、日本哲学にも、それら全てに学び、造詣が深くあってよいのである。

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)