真理と一体となる時間こそ、人生における真実在である。無常で変転してゆくものの中にあって、決して消えてしまわないものである。それは、永遠の輝きであり、永遠の創造である。


 心が平静である時にこそ、真理を正しく心に映すことが出来るのである。故に、正しい読書も出来、そこから真理を導き出すことも出来るのである。心の平静は、己が理性の輝きを増すために不可欠な条件なのである。


 哲学者というものは、深い瞑想状態にあって、思索を為しながら、真理を導き出してくる者である。そうして導き出された所の真理の輝きが、瞑想に輝きをもたらして、その方の人生を永遠なるものへと昇華してゆくのである。


 そこにおいて創造されるものは、不死の実在である。永遠に読み継がれてゆく古典の創造である。人間は、真なる叡智の中に生きる時に、最高の悦びを得ることが出来るのでる。


 このように、真理の輝きを自らの輝きとして自己創造してゆくことこそが、最高の自己実現であり、究極の自己実現なのである。


 天上から天降ってくる所の永遠の魂の輝きというものは、哲学として結晶することによって永遠化される。それは、人々への愛の結晶ともなる久遠の輝きである。


 叡智の結晶こそ、真なるダイヤモンドの如き人生の宝石である。その輝きは、人々に観せることが出来、久遠に朽ちることはないのである。


 故に、叡智の光を掲げよ。真なる光とは、久遠の叡智の輝きである。久遠の智慧の輝きを人々に示すことこそが、哲学者の永遠の使命なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)
 


 よくよく人生を透徹した眼で見つめて下さい。そして、自らの人生の営みを振り返って下さい。その中の一つ一つの営みで為した心と行いと出会いを見つめて下さい。


 これは、本との出会いでもよいのであります。小説一つであっても、そこに人生が見つめられ、結晶化しているのであります。


 故に、様々な人生を味わって下さい。その中に、必ず、かけがえのない糧があります。


 識見が広くなってゆくこと自体が、愛なのであります。様々な文学を知ること自体が、大愛への道なのであります。


 人生の営みの中に文学があるだけで、どれだけ人生が豊かになってゆくことでありましょうか。


 読者が一時間で読む小説を、作家は、生命を賭けて、一年以上の年月をかけて、書くのであります。それは、人生の美学であり、人生の美の発見であり、芸術的な悟りであります。


 ですから、一時間で一生を経験出来るのですから、読む小説の数だけ転生出来るとも言えるのであります。幾転生の経験というものは、味わった小説の数だけあるとも言えるのであります。


 故に、一刻一刻を大切にして、人生を味わい深くしていって下さい。一回の人生において、幾転生もの経験を積み重ねていって下さい。


 小説を書くこと自体が、人生の創造であり、小説を味わうこと自体が、人生経験となって、自己の魂の幅を広げてゆくという視点を持つだけで、人生は何倍も豊かになってゆくのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 



 


 過去の人類の歴史における哲学者思想家達を友とするならば、孤独などはないのである。

 

 本来、自分自身の精神により近い者を親友と云うのであって、自分自身の精神に近い哲学者を真なる友とすればよいのである。


 しかも、孤独の平安の中からは、静かな読書に基づいて、深遠なる思索や思想が生まれてゆくと言えるのである。

 

 創造の時にあたっては、人は孤独でなくてはならない。そして、自分自身の内の内なる理性の声を聴き、それを叙述してゆくのである。


 そのようにして、自己の内より汲み出した思想が法則となった時、それは真理となる。この真理を、己が内の内なる智慧の泉から汲み上げてゆくには、どうしても内面的な観照的生活が必要なのである。


 そして、何よりも、自分自身の思索の過程こそが、その著作物の内で最も重要であるということにも着眼しておかなくてはならない。


 その意味で、自省録こそが一番重要なものであり、どのような読書をしている時も、常に自ら主体的な思索をなして、一定の自省録を綴ることを、自らの課題としておいた方がよいのである。


 このように、常に主体的な思索態度を持っていることが大切であって、そこから真なる創造が生まれてゆくのである。


 インスピレーションと言っても、自分自身の思索が最も肝要であって、そもそも、インスピレーションというものは、自らの思索を、さじ加減、補助しているものに過ぎないのである。


 その根底には、すべての著作物を支える作者本人の思索があるのである。この一点が見抜けなければ、その哲学者の著作物を真に理解することは出来ないと言えるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)