人生経験において、創造的精神を持つということは、真理との合一をはかるということである。真理と自己が合一して主客合一した所にこそ、真なる創造精神の輝きがあるのである。


 本当にあると言えるもの(真実在)は、真善美聖の価値そのものである。このような本当にあるものを創造してゆくこと、発見見性してゆくことこそ、真なる哲学の営みなのである。


 真理と合一するとは、自らの思索において、真理の輝きを放つということである。真理を思索することが、真理と合一するということであり、主客合一するということである。常に真理を思索している状態こそが、純粋経験を積むということなのである。


 創造行為というものは、絶対無の意志を体現するということである。このような真なる創造行為によって発見見性された真理を、自己批判して思索しつづけてゆくと、それが客観的真理としてさらに磨き上げられてゆくのである。それは、思索によって、自己の真理を磨き上げてゆくということである。


 真理そのものによる自己創造こそが、真なる哲学の本質である。真に世界を映す鏡であることが哲学の営みであり、実人生の中に、真善美聖の価値を実現してゆくことこそが、哲学者の成すべき営みなのである。


 人生の真実とは、人生の中に発見された真理の数だけあるのである。このように、真理こそが、人生における真なる実在なのである。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 


 


 真理と一体となる時間こそ、人生における真実在である。変転してゆくものの中にあって、決して消えてしまわないものである。それは、永遠の輝きであり、永遠の創造である。


 心が平静である時にこそ、真理を正しく心に映すことが出来るのである。故に、正しい読書も出来、そこから真理を導き出すことも出来るのである。心の平静は、理性の輝きを増するために不可欠な条件なのである。


 哲学者というものは、深い瞑想状態にあって、思索を為しながら、真理を導き出してくる者である。そうして導き出された真理の輝きが、天上の輝きとなって、瞑想に輝きをもたせて、人生を永遠なるものへと昇華してゆくのである。


 そこにおいて創造されるものは、不死の実在である。永遠に読み継がれてゆく古典の創造である。人間は、真なる智恵の中に生きる時に、最高の悦びを得ることが出来るのでる。


 このように、真理の輝きを自らの輝きとして自己創造してゆくことこそが、最高の自己実現であり、究極の自己実現である。


 天上から天降ってくる所の永遠の魂の輝きというものは、哲学によって真に永遠化される。それは、人々への愛の結晶ともなる久遠の輝きである。


 このように、叡智の結晶こそ、真なるダイヤモンドの如き人生の宝石である。その輝きは、人々に観せることが出来て、久遠に朽ちることはないのである。


 諸君よ、光を掲げよ。光とは、久遠の知性の輝きである。久遠の智慧の輝きを人々に示すことが、哲学者の永遠の使命なのである。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 


 



 哲学の根本にあるものは、真理の直覚である。それは、自己の人生の中で、真理を探握してゆかんとする意志であり、信念でもある。


 人生の一つ一つの経験の中で、真理を培ってゆこうとする意志こそが、崇高なる理性の命令であり、絶対者の精神である。


 この大宇宙の根本にあるものは、「光」である。この光を洞察して認識するものこそ、哲学者の自灯である。「自灯明」と云うが、自らの認識の法灯をかざして初めて、真理が実在していることを認識し、見性し、人々に示現することが出来るのである。


 光こそ生命である。それは、過去・現在・未来を貫いて流転してゆく一条の実在であり、宇宙の意志である。この光によって綴られた生命の言葉こそ、真理の言葉である。


 故に、この真理の輝きを発見して人々に伝えることこそ、哲学者の天命であり、光のみ実在、真理のみ実在を体現してゆくことこそ、認識の光を掲げる哲学者の真なる生命であると言えるのである。


 真理こそ実在、真理こそ生命であり、その他は諸現象であり、真理の下に、全ての現象は統べられているのである。


 故に、イデアこそ実在、理念こそ実在であり、それを自覚すれば、諸現象の人生と世界が整うということを自覚し、伝えてゆくことこそ、哲学者の使命である。


 哲学者としての使命の情熱に灯をつけることも、哲学者の自覚である。真理への情熱こそ、哲学者の本懐なのである。

 

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)