人生の本質を、自己の実人生から汲み出し、これを普遍的真理として昇華して作品へと成してゆくことが、哲学者の仕事である。
悲劇というものが、これだけ一大芸術作品として昇華されることを考えてみても、人生の様々な悲しみや苦しみであっても、それを昇華する道は必ずあると言えるし、その中にこそ、哲学的真実が深くあるとも言える。
吾々は自らの実人生を生きているのであるが、哲学的に善く生きることによって、哲学的瞑想の中に、深い高い幸福感を抱きながら生きてゆくことが出来ると言えるのである。
ショーペンハウアー哲学を深く洞察して味わう時に、静かな鋭い崇高な幸福感を実感することが出来る。これも一つの哲学的解脱体験であり、また哲学的涅槃体験であるとも言えるであろう。
理念を観照することによって、哲学者は自らの法灯を継いでゆく。ソクラテス、プラトンが見性したイデアを、ルソー、カント、ショーペンハウアー、ヘーゲル、エマソンが、理念の哲学として継承してゆく。それぞれ表現は異なっても、同種の真理が語られている。それも、時代と地域を超えてである。
この理念(イデア)哲学は、その時代その地域の一握りの哲学者思想家によって認識されて、理念哲学として表現される。それを同時代同地域の少数の人々が認識して、それを、後世の人々へと、その法灯を継いでゆくのである。
その中の後世の一人の見性体験のためにであっても、理念の哲学・思想を遺してゆく価値と使命が、真なる哲学者にはあるのである。
天川貴之
(JDR総合研究所・代表)