恋(歌)というものは、人生を彩る華であり、実である。これ以外に、本当の人生の華というものは、ほとんどないとも言えるのである。


 故に、一つ一つの恋歌を大切にして、それに道をつけてゆき、芸術へと昇華していって頂きたい。色とりどりの恋歌物語を、現代の源氏物語として表現し、創造していって頂きたい。


 恋歌ほど普遍的に人々の心を共鳴させるものはないのであり、それは、万葉集、源氏物語、和泉式部日記などから続くものであるのである。


 例えば、若山牧水の恋歌であっても、まさしく「ミューズの祈り」である。恋歌こそが若山牧水の本質、中核にあるのであって、それ以上の芸術は少ないとも言えるのである。


 俵万智女史の云うように、源氏物語と若山牧水は、恋歌を語り継ぐのである。

 

 源氏物語の如く、恋歌の良し悪しによって、その恋も色々なものとなるのである。また、恋歌自体も、相手によって違ってくるのである。その使い分けがなされるのである。


 歌人というものは、行かずして知るものである。言葉によって、恋心を遂げるものである。ただ歌を創るだけで、恋を成就させてゆくものである。


 一日一日、恋歌を創れば、それだけエロスの神々と共にあるということである。それだけ美と芸術のミューズに近いということである。


 永遠普遍の美の結晶こそ、恋歌の本質である。一人一人の個性の中に、無限の美の華が咲いてゆき、永遠に遺ってゆくのである。

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 


 


 よくよく心に留めておく真理というものは大切である。自らの心の支えとなる真理を様々な書から選び出し、これを書き留め、心の支えとしておくことである。その積み重ねが、やがて、大いなる知恵を育んでゆくのである。


 真理というものは、大海の如きものである。無限無数の真理が実在しているのである。この広大な世界に入っていって、自らの心に真に響く真理というものを、その都度、選んでゆくことが大切なのである。


 そして、自らの経験の中で、心の内に智慧の結晶を育んでゆくことである。その智慧の結晶を分け与えてゆくことが、真なる愛の実践である。


 自ら蓄えた真理の一片を通して、人を真に生かしてゆくことが愛である。やはり、人は人を通して育ってゆくのである。人の愛を通して育ってゆくのである。


 人として生まれたからには、自らの人生の智慧を蓄えて、それを無限に人々に供給出来るようになってゆくことが、最も望ましいのである。


 人格者というものは、真なる智慧によってなるものである。その智慧が愛に変わり、人を育ててゆく時に顕われる魂の輝きなのである。故に、真に智慧を蓄えた人は、人生の荒波小波に対しても揺れることのない不動心を持っているのである。


 故に、どのようなことがあっても、それを魂の糧にして、前進してゆこうではないか。時に、逆境に陥ることがあっても、それも己が魂の磨くためのチャンスである。悲しみにも苦しみにも楽しみにも悦びにも、魂は磨かれているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 


 


 哲学で云われる所の「主体と客体が一体である。」ということであっても、簡単に、「自他一体」という言葉で置き換えることも出来る。


 これが、西田幾多郎における「純粋経験」であるが、これは、ある面において、「無我」の境地であると言える。無我であるから、自他一体、主観と客観が一体であると言えるのである。こうした境涯において、真我、天来の叡智が湧き出てくるのである。


 「純粋経験」というものを、「無我」という観点から考えてゆけば、「自我」と「他者」の立場を止揚して、「無我」の立場へと止揚統合するということが、その真なる内容を指すとも言える。


 ある事柄(命題)とある事柄(命題)について並べて思索していて、ふと思いついた「解」を得ることが「統合」ということであり、「アウフヘーベン」(止揚)ということであり、思索して真理を得るということでもある。このように、ふと思いついた天来の思索を得ることが、「純粋経験」であるということも言えるであろう。


 このように、哲学思想と宗教を、時には芸術が統合することもあるかもしれない。芸術において、哲学と宗教が昇華され、新たな表現形式を持つということもあるだろう。


 ゲーテやエマソンなどは、哲学と宗教を、芸術という形式で統合した方であるとも言えるかもしれない。また、哲学者でありながら、真理が入った歌を作詞作曲することなども、芸術的統合のあり方の一つと言えるかもしれない。


 このように、哲学者というものの幅をさらに広げた仕事をするということも、ゲーテやエマソンやルソーのように生きる道なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)