常に「問う」という問題意識を持つことが、哲学者・思想家のあるべき心構えである。さすれば、常に、日々、自らの考えが進んでゆき、自己の思索が「意識の流れ」として流転して、進歩向上して、イノベーションされて、よく考えられ、練られつづけてゆくのである。


 「智徳合一」というソクラテスの美徳は、哲学者の本分である。その意味で、確かに、「無知の知」を自覚するのも知的廉直の美徳の顕われでもあるが、智慧があるということは、高貴なる美徳であり、智徳は一つの立派な「格」であり、人格の基本なのである。故に、「学問のすすめ」があるのである。


 人は、時に休む時があってもよいが、基本的に、日々、進歩してゆくものであり、たとえくり返し同じようなものを読んで思索していても、その思索の内容は、様々な人との対話や経験も相まって、より進歩発展・止揚統合されてゆくものである。


 人間の本質とは、考えるエネルギーであり、思索するということは、最高の仕事であり、哲学者思想家の天職なのである。


 確かに様々な人生を経験することも大切ではあるが、それは、人それぞれであり、人は人、自分は自分である。人生は多種多様であるから、人間の人生をひとくくりにすることは出来ないのである。


 故に、自己の唯一無二のかけがえのない人生を、「独立自尊」の気概を持って、自己信頼を持って、天道として、本性の道として、確かに歩みつづけることである。

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 

 


 


 大いに愛について語ろうではないか。何故なら、人生には孤独がつきものであるからである。だから、人生には、愛の言葉が溢れる方がよいのである。


 言葉は愛であり、愛は言葉であるのである。真に優れたものは、愛するがために創られたものである。真なる創作は、愛に始まり、愛に終わるのである。真なる哲学も、愛に始まり、愛に終わるのである。愛こそが、全ての創造の源なのである。


 何か人々に伝えたいものがあるからこそ、人は文章を綴るのであろう。そして、それを発表するのであろう。


 だから、愛の力を信じることである。人を愛しつづけることを旨として、文章を綴りつづけてゆくことである。


 愛に不可能はないのである。愛は、本当に、人を深く高く広く変えてゆくものである。人を愛して報われないことなど、何一つないのである。


 人を愛したというその愛そのものが、天上からの報いなのである。一つでも多くの愛を創造した者こそが、最も愛の報いを受け取るものなのである。


 愛は光である。愛を創造しつづける者は、光を創造しつづける者である。愛の光を言葉として創造しつづける者は、人為を超えて、天の摂理によって、自然に報われてゆくのである。


 故に、常に、愛の言葉を通して、人々を愛しつづけよ。愛を実践しつづけよ。さすれば、その方は、必ずや、幸せになってゆくのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 

 


 


 あまり過去について悔やみすぎない方がよいのである。終わったことは、しっかりと反省して、次に何を積み上げてゆくかということが大切なのである。


 故に、一つ一つ、自らの愛を智慧として積み上げてゆくことが大切なのである。自らの智慧を与えるということは、最高の与える愛なのである。


 愛は、与えれば与える程に、与え返されるのである。期待しなくとも、次々と与え返されるのである。それが人性の法則である。それを素直に受け取ればよいのである。


 あなたが与えたものは、全てあなたのものになるのである。それは、あなたが智慧を学び、蓄えたならば、その智慧はあなた自身のものになるのと同じである。


 しかし、智慧の書を綴ると言っても、それは、誰か読者に宛てた、魂のつながりに感謝する愛のメッセージなのである。このような智慧の光を与えることは、最高の愛でもあるのである。


 故に、私は学びつづけ、綴りつづける。それが、私の天職だからである。智慧を書き綴っておけば、必ず、時と場所を経て、誰かに届くのである。その智慧に誰かが触れて、自らの魂の糧とすればよいのである。


 自らの心に深く響いたことは、誰かの心にも、必ずや深く響くはずである。誰かに宛ててメッセージの智慧を与えつづけることが、哲学者の与える愛であり、与えつづける愛である。


 その言霊は不滅である。不滅の実在である。このように、真なる哲学者として、不滅の実在を与えつづけられることに、心から感謝したいと憶う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)