人生の本質というものは、美の発見と表現にこそある。その表現形式が、コラムにおいても、随想においても、短歌においても、人生の美と芸術を創造してゆくということは、芸術家の天命なのである。


 かの芥川龍之介の小説には、霊的世界観をもその中に数多く出てくるが、それは、真なる人生観、世界観を構築してゆく上で大切である。


 天上世界から地獄世界まで、仏界から魔界まで、全ての世界を描くということは、芸術家・小説家の大いなる使命でもあるのである。


 人生とは、芸術表現の舞台でもある。人生における一つの芸術の舞台表現として、一行一行、一言一言があるのである。


 自己の人生の中に、一つでも多くの芸術を発見創造してゆくことが出来たならば、その方の人生は芸術的に昇華されてゆくのである。


 このように、人生の一瞬一瞬、一日一日を芸術によって昇華してゆくことは大切である。また、哲学によって、道をつけてゆくことは大切である。芸術哲学の華が咲く人生それ自体が、その方にとっての心の聖華でもあるものである。


 さらに、人生の中で出会う全ての登場人物は運命的である。一人一人に役があり、一人一人に天命があり、一人一人に縁の糸がある。自分にとって唯一無二の運命の戯曲を創造するためにこそ、一人一人のかけがえのない登場人物があるのである。

 

 

 

 

 

   天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 


 



 「祈り」の中身というものは大切である。


 そのためには、自らの心の軌跡をしっかりと見つめ直すことである。因果の理法の下に、因縁の法則の下に、心の思いがどのような道筋をたどってきたのかを一つ一つ反省してゆき、真理の観点から、または、客観的な第三者の観点から見つめ直すということが大切である。


 一つ一つの反省の積み重ねによって、心が浄化され、全ての想念の記録が黄金色に記録されてゆくのである。故に、過去から現在にまで続く己が人生の様々な場面をよく省みて、内観してゆくことである。


 人生には、偶然ではなくて、必然の出会いや事件が数多くあるものである。その一つ一つに感謝して、「身・口・意」の三業を、一つ一つ見てゆくことである。自らの言葉と行いと想念を、一つ一つ点検してゆくことである。


 よく反省する者の祈りは、よく天に届くのである。心の浄化された透明な祈りは、必ずや、天に届き、天の加護を受けることが出来るのである。


 真に大いなるものの力と共にあることである。そのためには、日々、倦まず弛まず真理を学び、よく実践していることである。


 真理を実践してゆく中で培われた心の軌跡こそが、黄金の自省録として、人々の心を救いながら、後世に遺ってゆくのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 


 


 リーダーというものは、周りに合わせて流されてゆけばよいというものではない。常に意識を高く持って、「かくあるべき」姿に対して近づきつづけ、その本来の姿を実現してゆかなければならない。


 サッカーの元日本代表の本田圭佑は、神様は本当にいると言う。自分が苦しんでいる時、自分が頑張っている時に、ご褒美をくれると言う。それは、体験上の真実でもあろう。


 かの松下幸之助は、「君は運がいいか」と聞いて、「運がいい」と答えた人をこそ採用して、登用していったという。


 このように、「持っている」運というものはあるものであり、それは、数多くの仲間との絆でもあり、また、自らの自助努力によって、自然に招くものでもある。


 スーパーマンではない以上、夢の実現のためにたゆまぬ努力をして、己が好きなことをやりつづけ、我慢するべき所は我慢して、ようやくつかめるのが成功である。もちろん、好きなことであるから、努力し続けられるのであろうけれども。


 常に意識を高く持っていれば、集まる情報の質も違ってくる。意識を高く意図的に持ってゆくことで、平凡な日常にも流されないで、「かくあるべき自己のビジョン」を実現しつづけてゆけるのである。


 まず、「意識高くある」という決意の持続である。その少しの思いの強さこそが、自己の人生と世界を大きく拓いてゆくのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)