イランとイスラエルの問題を
社会主義 VS 資本主義として鑑みれば、
幸か不幸か、どちらがいいのか悪いのかは
わからないけど少なくても、
その勝敗の行方は
軍用機を含む重機つまりは機械の
性能の高低にあると考えられます。
機械技術においても文明としては
資本主義のほうが発達したけれど、
その文化つまりは礼節、倫理観、
礼儀作法、善悪等々において
資本主義はどうであったのかが、
問われるところかとも思われます。
また、イランとイスラエル問題を、
イスラム圏 VS キリスト教圏という見方で
鑑みれば、
これも同様のことがいえるとも
考えられなくもないのです。
イランとイスラエルの闘いは、
社会主義と資本主義の闘いでもあり、
イスラム教とキリスト教との闘いで
あるとも言えなくもそうでもないとも
言えるようで言えないような、
それ以外の見方も鑑みて、
多くの視点からの判断が
求められるのかも知れません。
「コヘレトの言葉《伝道の書》
これもまたソロモンの言葉。といっても、権力者がおかかえの詩人に文章を注文して自分の名を冠するのは古今東西の常識だから、当然のことながら、『箴言』もこの書も必ずしもすべてがソロモンの自作だと限らない。」
(「キリスト教入門」講談社学術文庫)
コヘレトの言葉は旧約聖書の
律法書(モーセ五書)と並ぶ詩書
というカテゴリーの中にある
「伝道者の書」の中の文言であるそうな。
まあ、39巻からなる旧約聖書は、
その巻数を覚えるのも難儀であるし、
その巻名を覚えるのはさらに難儀。
挙句の果てにはそのカテゴリーの中に、
各巻名があり、その巻の中にさらに、
「コヘレトの言葉」のような「章」が
存在する。
「章」ではなく(笑)なら
わかりやすいのに……(笑)
難儀だらけの旧約聖書全体を
覚えるのはさらにさらにことさら難儀
かとも考えられます。…であるそうな…。
「『箴言』が人生における指針や知恵を授けたのに対して、『コヘレトの言葉』は人生の意味について語ったものだ。」
(「キリスト教入門」講談社学術文庫)
箴言が哲学であるなら
コヘレトは仏教であると考えます。
人生は哲学の指針、知恵を身に付け、
さらには仏教の厭世的諸行無常をも
体感してこそ、味のあるものと
なってゆくのかも知れません。
「雅歌 これもまた『ソロモンの歌の中の歌』となっている」
(「キリスト教入門」講談社学術文庫)
これもまた聖書の中でも旧約聖書、
旧約聖書のなかでも
「詩歌集」というカテゴリーの中でも
「箴言」と並列するような……。
ややこしいので旧約聖書とだけ
覚えておけば、それだけで
よろしいのかとも考えます。
要はカテゴリー分けではなく
内容を解釈することが大切で、
その意味においても
このあたりになると
本当に旧約聖書の中に含まれていたのか否か、
ユダヤ教から枝分かれしたキリスト教のための、
キリスト教を正当化するための新約聖書、
新約聖書の中に含まれているとしてしまうと、
いかにもわざとらしいので、
旧約聖書の中に含ませたと懐疑をもって
批評する学者も多いようです。
ともあれ雅歌は、聖書の中でも唯一、
といっていいほど、男と女の「愛」について、
謳われた「章」で。
学者たちの中には
読みようによってはちょっとエロティック
と評する学者も多い。
これも本当に旧約聖書内であるのか否か、
ユダヤ教とキリスト教の狭間で
学術的には非常に懐疑深い(笑)
もとい「章」でもあったりなかったり
そうでもなかったりの論争が
終結することもないようです。