コラム・インテリジェンス -36ページ目

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

風雲急を告げる。

気候、株価、戦争、資源…、

すべての価値観が変動をきたし、

人類滅亡へと警告を告げている中、

一方で、大谷翔平の

人類史上初という偉業の両輪、

これは正負のエネルギー、正邪の混沌が

もはや極みに達していると分析するのが

正であり道理であるのかとも思われます。

そしてこの時期、まさにこの瞬間、

余命宣告を受けていた一人のジィさんが、

70歳の誕生日を迎えていたという事態は、

僕にとって、せっかく一人で、

人類史上稀にみる達成感というか、

人類史上稀にみる満足感を以て、

孤高気どりで死んで逝けると思っていたのに、

その時期が人類滅亡と重なってしまったのでは、

どうにも僕の価値観が切迫を帯びているような、

僕の死生観が揺るがされているという危機的、

侵略を受けているようで、あまり爽快とはいえぬような、

せっかく辿り着いた極地に、同伴を迫られているようで、

なんともせつない、やるせない情動を

掻き立てられている事態とも重複させられているような、

そうでもないかのようにも

思われなくもないのかも知れません。

 

「戦争の目的は平和であり、忙事の目的は閑暇である。」

(アリストテレス「政治学」)

 

だからといって、

平和のための戦争などが

許されるわけでもなく、

あくまでも、

平和を希求する手段の一つが

戦争であるのだとしたら、

その手段が間違っているか、

その手段以外の選択肢を人類が

見出すことができないという無知を

改めることが先決であると考えます。

はたまた、忙しく働く事は自分の時間を

捻出するという目的ではあるけれど、

だからといって、

その時間を有意義に過ごすのか否かは、

個人と社会にとって、

まるっきりの自由というわけでもなく、

個人的な閑暇でさえ、どのように過ごすのかは、

個人と社会にとっては

大問題とされるべき事柄であるとも

思われなくもないのです。

 

「金持ちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ」

(サルトル「方法の問題」)

 

一庶民が戦争を起こしたくても、

戦争を起こすほどの資産もないから、

一庶民の力で戦争を起こすのは

不可能であり、そもそもまともな一庶民は、

戦争を起こしたいとも思わないし、

戦争を起こしたところで一庶民には、

何の利益もないし、一庶民はまともであるから、

戦争の悲惨さも醜さも、戦争は悪いことだという

善悪の区別もしっかりと理解している。

 

コラム・インテリジェンス

「ランダム・ノート39」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12692813433.html

 

富裕層は

ろくなことは考えない。

ろくなことは考えないから

富裕層になった。

自分の富裕分が誰かの損益に

基づいているまたはつながっている

などという良心の呵責とは無縁であるから、

富裕層に留まり続けられるとも

考えられるような気も

しないでもないのです。

 

「平和は戦争よりははるかに尊いものである。」

(アイスキネス「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)

 

 

一月に一冊の本も読むことがない

という人々が、その言い訳として、

「スマホやゲーム機など

『情報機器で時間が取られる』から」

という理由を挙げているそうです。

文化庁は、

「国語力への影響が懸念される」

というコメントを出していますが、

それだけですむような問題であるとは

思われないようにも思われます。

「始めに言葉ありき」とも

「思考の基本は言葉にある」とも

いわれるように、

国語力の低下は即、知性品性に現れ、

その潮流はエチケット、マナーの低下、

行き着くところは犯罪の増加、秩序の崩壊、

無法状態へと辿り着くようです。

簡単で冷淡で極端な話、牛タンの話をすれば、

焼肉屋が恋しい季節となりました、

という話ではなく、極端な話、

スマホゲームに明け暮れて、

一冊の本も読まないという男の出現は、

仕事のノルマも果たせなかった男が、

「マンガとパチンコに時間をとられて」

と平気でヘラヘラしながら言い訳している姿を

連想したりもしてしまうのです。

 

「慣習はあらゆることの教師であるが、とりわけ隠喩の教師である。」

(「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)

 

慣習とか習慣、故事成語、ときには

史実に基づいた常識などは、

あらゆることを教え諭す機能も果たすけど、

これらは文学上の暗喩、比喩、

メタファーとしても大いに、

ためになるものでもあるようです。

 

「人間窮すれば何をすべきか、してはならないかの分別を失うのが常である。」

(デモステネス「弁論集」京都大学学術出版会)

 

人間は逆境、貧乏、困難な

情況に追い詰められれば、

何をしだすかわからない

ということなのかも知れませんね。

だから働かなくてはならない。

だから節約節制を旨とし、

清貧と清廉潔白なる志を持ち続けなければ、

自分が何をしだすのかは保証できない

ということなのかも知れません。

自分が自分であるためには、

自分が善い人間であるためには、

働かなくてはならない。

働くということは、

そういうことでもあったようです。

 

「神は初めに我々に分別を吹き込み、次いで思考の使者である言葉を与えた。」

(エウリピデス「嘆願する女たち」)

 

神でも自然でも宇宙でもいいけど、

天は初めに我々に、

善悪、倫理力、判断力、塩梅等々の

分別を与えて、次いで思考の

道具、武器、根拠、基礎たる

言葉を与えて、人間とした

ということのようです。

我々はどんな優先順位よりも

善悪の分別を最優先とし、

どんな優先順位よりも

言葉を最優先事項と心得、

清廉潔白、善なる心と言葉の鍛錬に

身を捧げなければならないのかも知れません。

 

欲がない、欲を取っ払う、欲望を捨て去る

などと簡単に、単純にいうけれど、

そもそもその欲というものが

食欲、知識欲、権力欲、

睡眠欲、性欲、健康欲等々であるであろうと

具体的に認識したうえで、

すべての欲を捨てて生きる事が、

どれだけ楽ちんになれるのかということまで、

断固としてまもりぬいて生きようと、

肝に念ずることで初めて、

自分自身の気持ちが楽になるどころか、

他者への献身、敬愛、感謝の気持ちまで

強く湧き上がってくるということまで、

実感できている人が何人くらいいるのかは、

はなはだ疑わしいことであるとも思われます。

 

僕は今、人生でそこまでの献身、感謝などは

感じたこともないくせに、ようやく今、

そこまでの気持ちに純粋になれたと思ったら、

今度は、その献身、感謝などを堂々と示せる対象を

探し追い求めなければならないという欲望に

苛まれています。

 

赤の他人の少年少女、幼子などにその愛情を

示したいと願えば、今の時代、

変態だとか小児性愛者であるとか、

あらぬ疑いの目で見られかねないし、

行政系の人々に感謝の意を示したり、

なにか小さなプレゼントを贈りたい

などと思っても、

それは賄賂汚職に結び付くだとか、

まあ今の時代は、欲望を捨て去ることも、

感謝の意を示すこともままならぬほどに、

小難しくも醜悪なる時代であるとも

考えたり考えなかったり、

感じたり感じなかったりもするような気も

しないでもないのです。

 

「軍務と政務の合間に得られる余暇を文学で楽しんでいた大スキピオは、『仕事のないときのほうが忙しい』と述べている」

(プルタルコス「モラリア」)

 

仕事とその準備整理だけで

時間をとられてしまう人は、

残念ながらそれだけの人で

終わってしまう可能性も

あるのかも知れないような気もしないようで

しているようでもあるのかも知れません。

人間はできることなら、仕事とその準備

整理以外のプライベートな時間以外にも、

いそがしく学問に勤しめるくらいの

時間と労力とその努力は

惜しみたくもないとも

考えられなくもないようです。

余暇に吸収した学問こそが、

真の仕事に役立ち、

余暇に収集した経験知識こそが、

仕事のクォーリティーに差をつける

実体であるような気も

しないでもないのです。

 

「文学になんの興味もなかった人でさえ、恋は人を詩人にする。」

(プルタルコス「モラリア」)

 

人間に、人生に、

なんの興味もなかった人でさえ、

なにかしらのことがきっかけとなって、

なぜなろう?なぜかしら?という懐疑が

人を学問の徒へと、思考の世界へと導くようです。

人間に、人生に、

真摯に立ち向かおうとする前に、

恋に興味を示してしまった人は、

学問よりも、懐疑よりも、人間そのものよりも

恋を最優先事項として誤認してしまうようです。

これではその道の険しさ、困難さを知る前に、

目の前の餌に向かって

走り出してしまうようなもので、

その先に断崖絶壁が待ち受けていても、

落とし穴が仕掛けられていても、気づかずに、

目をつぶって走り続けてしまうのと同様に、

人生の安全、保守、安寧は望めないような

気もしないでもないのです。

 

「学問には、人を楽しくさせる美しさと、人を畏怖させる美しさがある。」

(「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)

 

学問、知識はときに、

人を楽しませてくれたり、ときには、

人に畏怖を与える美しささえもある

ということなのかも知れません。

どちらにしろ学問、知識には

プラトンのいうところのイデアすなわち、

最高美が与えられている

ということのようです。