日が短くなって夜が長くなる。
色彩的には黄色とか緑の時間が短く、
暗黒またはグレーの色が長くなる。
気温が急激に下がり、樹々が
緑から黄色や赤に変わり、
空の色も春のターコイズから
夏のスカイブルー、そして秋の
ベビーブルーへと変化を見せてゆきます。
「秋が深まる」「秋も深まる」という言葉は、
これらの変化を、濃い薄い、薄い深いという観念で、
見事に表現した言葉であるようです。
それなのになぜか「春が深まる」とか
「春も深まってまいりました」とか
なんなら「夏が深まって」とか
「夏も深まりを増してまいりました」
などという言い回しは聞いたことも
ないようにも思われなくもないのです。
それにしても、まあ、日本語というものは、
よくもまあ、美しい言葉を次々と
生み出してきたものであるなぁ…などと、
「秋の深まり」と共に、感じられる季節に
突入してきているとういのは紛れもない
事実でも真実でもあるな気も
しないでもないのです。
「最大の報復とは、自分が相手と同種の者とならないことである。仕返しの手段に不正を加えたり、害悪をはたらくことは、たとえどんな目に遭わされようとも、けっしてしてはならない。」
(プラトン「ソクラテスの弁明」)
僕は幼少期から、社会に対して、
体制に対して、自分の現状に対して、
なんだかわけもわからぬ憤怒と
被害者意識を持ち続けていました。
そこで、
社会に対して、体制に対して、
自分の現状に対しての報復、反撃
というものを、常に考え続けて
いたようにも思われなくもないのです。
しかしながら、
小学校高学年になるころに、
ソクラテスの、この言葉に出会ったことにより、
僕の報復行動、反撃の手段としては、
この社会とは真逆の人生を、
この体制とは真逆の生き方を、
現状、間近にいる人々とは真逆の生活を
送ってみようと考えたのでした。
僕の目からは怠慢にあるように映るオトナたちとは、
真逆に、真摯に、賢明に、真面目に、なんにでも、
一生懸命努力して立ち向かっていこうと、
僕の目からは理不尽で不公平で不平等に
移る体制とは真逆に、自分だけは真摯に、
自分だけでも首尾一貫、志を高く、初心を忘れず、
公平で平等な思考を心掛けて生きていこうと、
僕の目からは、貧困格差、金持ちが優位で、
貧乏人は弱者に映る現状とは真逆に、
自分だけは勤勉、努力、平等、公平、
志高く、首尾一貫、正義と誠という初心を忘れず、
生きていこうと心掛けて生きると決心し、
自分に誓いを立て、その自分だけはけっして
裏切らぬように生きていきたいと
願ったのでした、とでもいうような気も
しないでもないのです。
「精神が邪悪でまともでない者が富を成し、富を成す者は飽満と慢心により自らの精神を破壊する。」
(テオグニス「エレゲイア詩集」)
富と飽満と慢心は
邪悪への悪循環となり、
やがてはその者の精神をも
破壊するほどに
おぞましいものでもあるようです。
「飽食(ほうしょく)と安逸(あんいつ)の中で、やがて人心は放逸(ほうし)に流れる。」
(リウィウス「ローマ建国以来の歴史」)
辞書によれば、
飽食(ほうしょく)とは、
食物に不自由のないこと。
安逸(あんいつ)とは、
何もせずにぶらぶら暮らすこと。
放恣(ほうし)とは、
節度のないこと、などとあります。
現代日本社会のように、
食べる物に不自由なく、
たいしたこともしないで、
何もしないでぶらぶらと暮らすような
人々が増えれば、
やがてはこの社会全体が、
節度なき、節操もなき、品性品位なき社会へと
退廃していくのかも知れません。