当ブログ
「ソフィア9」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12895732818.html
に引き続き、
女性被害者の殺人事件。
埼玉、宮崎に引き続き、
川崎でも、
女性被害者の殺人事件です。
川崎での
殺人事件については、
警察の対応も問題になっていますが、
いずれにしても、
殺人事件の被害者が
女性であるという共通項。
真剣に、
女性同士で話し合い、
そこに愚老の意見なども加えて、
真剣な
意見、議論が
求められていると考えます。
前回は
コメントを求めても、
それに応答くださるかたが
皆無でしたが、
今回も、
懲りずにコメントを求めます。
是非、真剣に、
考えていただきたい。
命の問題です。
自分の命が、
他者の手により、
終わらせられてしまうなんて、
自分の人生が、
他人の手により、
終わらせられるなんて、
こんな理不尽はない。
こんな不幸もない。
どれだけの悲しみが、
そこに集約されてしまうのかなんて、
考えたくもない話だけれど、
一人で守り切れない命なら、
一人では
どうすることもできない悲劇が
そこにあるのだから、
みんなの 真剣な 対応が
求められているのだと考えます。
「ヤコブとその十二人の息子の一族であるイスラエルの民がエジプトに移住してから長い年月(430年)が流れたが、新しいエジプト王ファラオは彼らを奴隷にしてしまった。」
(「キリスト教入門」講談社学術文庫)
いわゆる〈出エジプト記〉ですね。
出エジプト記は、旧約聖書の一節で、
旧約聖書そのものは
モーセ五書と呼ばれる
「創世記」「出エジプト記」「レビ記「民数記」「申命記」
の各節からなり、アタリマエに筆者モーセ
とされているようです。
ユダヤ人と称される人々は、聖書の中でも、
ヘブライ人と呼ばれたりへブル人と称されたり、
まあ曖昧でもあるわけですよネ。
ただ、このヘブル人、原義が、
「国境を越えて来た者」
「川の向こうから来た人々」であって、
これもなんだか曖昧ではあるようなのです。
そこで僕は個人的に、
ヘブル人と呼ばれるどこから来たのかも定かではない、
どこの馬の骨ともわからぬ人々、
なんなら本当に人類であったのか宇宙人であったのか、
なにしろそれまでの人類が見たこともない人、
「どこからか来た人々」であることから、
ユダヤ人、つまりはヘブライ人あるいはヘブル人こそが、
それまで地球上で暮らしていた「人々」とは
違った「人々」「生物」であり、
ユダヤ人の物語≒旧約こそ、ユダヤ人のものであり、
新約すなわち新約聖書から後の物語は、
のちにキリスト教徒と呼ばれる人々の、
キリスト教徒の物語であるのだと理解したいと
思ったり考えたりもしているのです。
「奴隷化された民は神に祈り、神は民を救う指導者としてモーセを選んだ。紀元前1300年頃のことだ。」
(「キリスト教入門」講談社学術文庫)
旧約聖書によれば、奴隷化すなわち
迫害を受けた受難者たちがヘブライ人、
ヘブライ人とはイスラエルの民のことであり、
イスラエルの民は迫害を受け、
その受難のなかから神は、
ヘブライ人のモーセを
指導者として選んだ、ということのようです。
しかしながらここで注目すべきは、
紀元前つまりはイエスが生まれる
1300年前には、すでに
モーセという指導者が存在し、
そのモーセはユダヤ人であり、ヘブライ人でもあり、
はたまたイスラエルの民でもあったわけです。
ユダヤ人(ヘブライ人、イスラエル)の歴史が
数千年続き、その神はモーセであったはずであるのに、
紀元前0年、ある日突然、新約聖書の物語が始まり、
神もユダヤ人のモーセではなく、
同じユダヤ人であるイエスを、
神の代理人として指名してしまっているという点に
あるのかとも考えられるのです。
「モーセに名乗った神は自分のことを〈在りて在る者〉とのみ表現した」
(「キリスト教入門」講談社学術文庫)