天気予報では、1時間の雨量が、
1mm以下では「雨」と表示されないようです。
1mm以下だと「傘がなくても平気」
くらいの目安だそうですが、
そりゃあ、あなた、
自分たちは空調付きのオフィスで
雨風関係なく快適であるのかも知れませんが、
我々一般庶民はそうもいかない。
ちょっとそこまでの用事とか買い物で、
天気予報に雨マークがなくとも、
ものの5分も外にいれば、
けっこうな濡れ具合となってしまいます。
予報関係者のかたにはぜひともご自分で、
外に5分でも出てみて、
どのくらい不快に濡れるのか、
そこのところもご理解いただき、
心ある配慮をお願いしたいものではあります。
「自分が今直ちに人生から立ち去ることもあるとみなして、その心構えをもって一つ一つのことを行い、発言し、考察せよ。」
(マルクス・アウレリウス「自省録」)
コラム・インテリジェンス「アウレリウスの独り言 1」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12547342403.html
自分が今、死ぬと思えば、
余分なことは捨て去る以外に、
選択肢はないようです。
断捨離などという造語が
ブームになるはるか2000年以上前、
古代ローマの人々は、
すでにこの人生の教訓を
心得ていたようです。
僕は余命宣告を受けたことにより、
その実践を余儀なくされ、
そこから新たな気づきや感謝、
歓びに目覚めさせていただいたような
気もしないでもないのです。
「毎日を、何憂いなく過ごせる者こそ一番の幸せ者。」
(エウリピデス「ヘカぺ」京都大学学術出版会)
その意味において、今の僕は
一番の幸せ者であるのかも知れません。
足るを知る。
欲張らないで、小さな何気ない物事に
感謝し歓び満足できる人が、
人生の達人となれるのかも知れません。
僕は今、余命宣告以来、
何かを食べられること、排尿排便シャワーを
一人で思う存分できることにまで、
有難味を感じられています。
死を目前にするということは、
なんと幸せなのだろう、
なんと有難いことなのでしょうか。
「冥界(めいかい)の神々よ、死すべく生まれた私たちはみなこの世界へと戻ります。」
(オイディプス「変身物語」)
人は必ず死にます。
それならば、どのような生き方をしても、
どうせ死ぬなら、
正義、誠、公平、善であることくらいは、
まっとうして死にたいものではあります。
「君は乗船した。航海にも出た。そして港に着いた。では下船せよ。」
(マルクス・アウレリウス「自省録」)