辞世9 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

創造主とキリストとか聖母マリアを

ごっちゃにして神と呼ぶ人もいれば、

アラーを神と崇める人もいて、

挙句の果てにはブッダの思想を

信仰とか宗教として扱い、

おカネ儲けと紐づけして贅沢三昧の

生活をしている坊主もいるようです。

 

個人的には、ブッダは思想家であり、

ソロー同様その思想は

哲学であると考えています。

 

僕にとっての神は

自然、宇宙、天と地、空と海であり、

病気も天候も、肉体も精神も

自然現象として捉え、自然に逆らわずに、

虚栄、虚飾は捨て、

飾らず驕らず生きてきたつもりには、

なっているようなそうでもないような

気もしないでもないのです。

 

「是非に及ばず」(織田信長)

 

明智光秀が信長を討ちに来た

という報告を小姓の森蘭丸から受けて、

信長が放った言葉とされているようです。

 

「是非に及ばず」

この言葉の解釈もいろいろですが、

僕としては、「仕方がない」とか

「やむを得ない」ではなく、

 

「是非に及ばず」は、

「議論の余地もない」「考える必要もない」

というように受け止めています。

 

「是非に及ばず」は、

「アタリマエ」「わかっていたこと」

くらいの意味としてとらえたいとも思っています。

 

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり。ひとたび生を得て 滅せぬものあるべきか」

(織田信長/「敦盛」より)

 

人生が何年であろうと、

大宇宙のスケールから比べれば、

すべては夢幻にすぎない。

 

ひとたび生を受けたのなら、

その時点で死はアタリマエのこととして、

受け止めなければならない。

 

生を受けたいじょう、死なないことなんて、

あるべきことでもないし、

許されるべきことでもないのだ、というくらいの

解釈でよろしいのかとも考えられるような

気もしないでもないのです。

 

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浮世のことは夢のまた夢」

(豊臣秀吉)

 

露のごとき小さき存在として

この世に落とされた我々は、

 

露の如きに消えゆく運命であり、

それが自然の、大宇宙の

アタリマエでもあるようです。

 

そこで、なにがあろうがなかろうが、

所詮、この世のことは、

夢のまた夢のような事象であるにすぎない

というようにも思われなくもないのです。

 

だけど、まだまだ余命をお持ちの人々は、

ご自身の心しだいで、

浮世もこの世も、おもしろおかしく、

幸にでも不幸にでも変えていくことができる

とも考えられるような気もしないでもないのです。

 

「おもしろき こともなき世を おもしろく 棲みなすものは心なりけり」

(高杉晋作/望東尼)