辞世7 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

人生に学びはつきもので、

余命いくばくもない僕のような

オンボロ老いぼれジジィでさえ、

いまだに日々、刻々、

新たな気づき、感動、学びは

尽きぬようでもあります。

 

これがじつに楽しい。

これがじつに嬉しい。

これがじつに感謝すべき情動であり、

 

この好奇心が喪失した時、

まさに僕の命運も尽きるものと、

考えられてもよさそうなものかと

考えられるような気も

しないでもないのです。

 

「思いおく 言の葉なきて ついに逝く 道は迷わず なるにまかせて」

(黒田官兵衛)

 

黒田官兵衛は軍師。

軍師とはアタリマエに戦略家。

 

が、今の戦略家、

マーケティング系とは違い、

 

戦国時代の軍師とは、

自らも殺し合い、自らが兵を率い、

主君のため、領地の民のため、

 

戦略を練り、これを承認されれば、

自ら戦場に明け暮れる者。

 

まさに文武両道の人。

 

黒田官兵衛は

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、

他の多くの戦国武将からも

求められ続けた人材でもあったようです。

 

また、黒田官兵衛は、

黒田如水と名乗り、茶人として、

 

「人生は水の如し、清く正しく、一点の曇りなく、流れにまかせて生きる覚悟」と、

謳えるマルチな男でもあったようです。

 

その官兵衛、死に望んでも、

「思い残すほどの言葉もないくらいに満足している。ついに死ぬけど、それもなるにまかせていよう」と、

潔く、心地よく、逝ってしまったようです。

 

まさに現代人に求められる

人物像であるのかも知れません。

 

「人間五十年、下天のうちにくらぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきか」

(織田信長/「敦盛」より)

 

どうせ夢幻の如き人生を生きるのなら、

思いっきり努力して、思いっきり志高く、

生きてこその人生でもあるようです。

 

その結果はどうでもよろしい。

めいっぱい懸命に努力した報償は、

満足感、達成感で、

そこにこそ人生の醍醐味も味わうことが、

できるとも考えられるのです。

 

信長は明智光秀の卑劣な奇襲にあったときにも、

「是非に及ばす」と、最後の言葉を残しました。

 

「是非に及ばず」という言葉の意味を

どのように解釈できるのかも、

人間スキルの表象として

見ることができるとも思われます。

 

「是非に及ばず」

 

議論の必要もない、たいした問題でもない、

たいして騒ぎ立てるほどのことでもない、と、

僕は自分が余命宣告を受けたことも、自分の命さえも、

このように解釈しています。

 

「是非に及ばず」