SNSだか
SOSだか知らないけれど、
IT関連で
しこたま犯罪、問題が
累積されているというのに、
政府はいったいいくら
IT関連企業からの
闇献金を受け取っているのか、
歩きスマホ、ながら運転等々、
事故も多発しているようですが、
愚鈍な政府と衆愚な民衆が
共存してしまっているのでは、
ちゃんちゃらおかしく、
いっこうに世の中は
良くならないようにも
思われなくもないのです。
「変わらぬ愛にも二通りある。ひとつは、愛する人のなかに、愛するための新たな理由を次々に見つけていくことであり、もうひとつは、心変わりしないことを自慢したいがために愛し続けることである。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)
物事は、なんでも、
二通りというわけではない
とも考えられるようです。
それゆえに、
変わらぬ愛にしても、
ロシュフコーが
述べるほどに
単純ではないとも
考えられなくもないのです。
たとえば、
「愛するために新たな理由を次々に見つけていくこと」
だけでもなく、
変わらぬ運命的な愛ゆえに、
愛するための新たな理由が、
自然に、
次々に見つかっていく
ということも考えられるようにも
思われなくもないのです。
「自然はそれぞれの人間に、生まれたその時から、美徳においても、悪徳においても、超えることができない限界を定めているように思われる。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)
自然は、自然と、
それぞれに、自然の
定めというものを
設けているようにも思われます。
それゆえに、
それだからこそ、
その限界に臨むのも、
その限界を超えるのも、
その限界を諦めてしまうのも、
我々が人間ゆえに、
与えられた特権と
定められていると、
定義しても宜しいような
気もしないでもないのです。
「大きな欠点があるということも、偉大な人間だけに許された特権である。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)
大きな欠点であろうが、
小さな欠点であろうが、
それは偉大な人間だけにではなく、
そうでない人間であろうが、
なんならあらゆる生命体
なんならあらゆる生物・
非生物であろうがなかろうが、
許されて然るべきであるのが、
本来の、自然の姿であるとも
考えられるようです。
「我々があるひとつの悪徳に陥らずにすんでいるのは、たいていの場合、いくつもの悪徳を同時に抱えているからである。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)