フランソワ6世17 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

SNSだか

SOSだか知らないけれど、

 

IT関連で

しこたま犯罪、問題が

累積されているというのに、

 

政府はいったいいくら

IT関連企業からの

闇献金を受け取っているのか、

 

歩きスマホ、ながら運転等々、

事故も多発しているようですが、

 

愚鈍な政府と衆愚な民衆が

共存してしまっているのでは、

 

ちゃんちゃらおかしく、

いっこうに世の中は

良くならないようにも

思われなくもないのです。

 

「変わらぬ愛にも二通りある。ひとつは、愛する人のなかに、愛するための新たな理由を次々に見つけていくことであり、もうひとつは、心変わりしないことを自慢したいがために愛し続けることである。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

物事は、なんでも、

二通りというわけではない

とも考えられるようです。

 

それゆえに、

変わらぬ愛にしても、

ロシュフコーが

述べるほどに

単純ではないとも

考えられなくもないのです。

 

たとえば、

「愛するために新たな理由を次々に見つけていくこと」

だけでもなく、

 

変わらぬ運命的な愛ゆえに、

愛するための新たな理由が、

自然に、

次々に見つかっていく

ということも考えられるようにも

思われなくもないのです。

 

「自然はそれぞれの人間に、生まれたその時から、美徳においても、悪徳においても、超えることができない限界を定めているように思われる。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

自然は、自然と、

それぞれに、自然の

定めというものを

設けているようにも思われます。

 

それゆえに、

それだからこそ、

その限界に臨むのも、

その限界を超えるのも、

その限界を諦めてしまうのも、

 

我々が人間ゆえに、

与えられた特権と

定められていると、

定義しても宜しいような

気もしないでもないのです。

 

「大きな欠点があるということも、偉大な人間だけに許された特権である。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

大きな欠点であろうが、

小さな欠点であろうが、

 

それは偉大な人間だけにではなく、

そうでない人間であろうが、

なんならあらゆる生命体

なんならあらゆる生物・

非生物であろうがなかろうが、

許されて然るべきであるのが、

本来の、自然の姿であるとも

考えられるようです。

 

「我々があるひとつの悪徳に陥らずにすんでいるのは、たいていの場合、いくつもの悪徳を同時に抱えているからである。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)