雪を歓迎する人、
雪の弊害に苦しむ人、
自然も人もそれぞれだけど、
そもそもは
自然ありきで、
人間なんて、所詮、
そこの居候、
自然からみれば、
邪魔者以外の
何者でもないような、
気もしないでもないのです。
フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性
ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理
「ハイデカー 9」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12590213725.html
ニーチェより、
ハイデカーのほうが
好きなのに、
ニーチェのほうが著作が
多いというだけで
僕のニーチェ関連コラムも
多くなるというのも
なんとも自分自身でも
憤懣やるかたないようにも考えています。
「私の著作は、疑惑の、さらには侮蔑の、さいわいにもまた勇気の、それどころか大胆不敵の学校とも呼ばれてきた。」
(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)
慇懃無礼(いんぎんぶれい)
──表面は礼儀正しく、
実は尊大で、相手を
見下している様子を
指し示す言葉──
僕の部署は、
慇懃無礼の、
さらには侮蔑の、
幸いにもまた勇気の、
それどころか大胆不敵の
巣窟とも呼ばれていたようです。
僕の部下たちが皆、
揃いも揃って大胆不敵、
慇懃無礼である原因の半分は、
僕の責任でもあるという
批判と示唆に満ちた
ご指摘でもあるようなのです。
「事実、かつて誰かが私と同じほど深い疑惑をもって世の中を眺めたことがあるとは、私自身も信じない、それも単に時たま悪魔を弁護する者としてのみではなく、それに劣らず、神学的に表現すると、神の敵・召喚者としてもそうしたとは。」
(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)
ニーチェの書作は、
ほぼほぼすべて
読ませて頂いてはいるけれど、
ニーチェの時代には、
認知されていなかった
紀元前の、
懐疑主義哲学の祖ピュロンの
著作をニーチェは
アタリマエに
読んではいないようです。
私見としては、
ニーチェよりもピュロンのほうが、
はるかに上をいく、
洞察と人間力に満ちた懐疑的思考を
文武両道の精神とともに、
持ち合わせていたようにも
思われなくもないのです。
「ピュロン主義哲学1」