アレクサンドリア16 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

 コロナも世の中も、

 甘く見ている人間が、

 多すぎるのかとも思われます。

 

 世の中全体が、

 軽くチャラく、稚拙の極みを

 実践しているようにも

 考えられなくもない

 のかも知れません。

 

「しかし、このアレクサンドロスのやり方は、師であったアリストテレスの考えとは正反対になる。

 ソクラテス、プラトンにつづくギリシア哲学の巨人とされるアリストテレスだが、少年時代のアレクサンドロスには、次のように教えていたのだった。

 『ギリシア人に対しては、自分を導いたくれる相手として接し、一方、蛮族に対しては自分が主人であるとして振舞うこと。前者には、友人であり親族であると思って接してもよいが、後者には、相手が奴隷であり動植物と同然であると思って接すること』

 なにしろギリシア哲学の巨人の口から出た言葉なので、現代の研究者の中には、『蛮族』とはただ単にギリシア語を話さない民族ということにすぎなく差別語ではない、としたがる人が少なくない。

 とはいえこれは、誰が言おうが差別語である。」

(「ギリシア人の物語Ⅲ新しき力

『アレクサンダー大王』」塩野七生)

 

 「人は人の上に人をつくらず」

 などと御託を述べた福沢何某などは、

 真の苦労を知らぬお金持ちであり、

 その思想も甘ったれの戯言に聞こえる。

 

 本当に彼の言う通りなら、

 彼のつくった慶応何某という学校は

 どうして金持ちしか入れなくて、

 貧乏人は入れないような

 高額な授業料なのであろうか。

 

 慶応何某などという学校は、

 所詮お金持ちのお坊ちゃまの学校で、

 とてもとても

 「人の上に人をつくらず」などという

 平等慈愛の精神などは持ち合わせていない

 ようにも思われなくもないのかも知れません。

 

「一般に、『神の子』がどうのこうのという問題よりも、アレクサンドロスがどのような宗教観の持主であったかが問題になる。」

(「ギリシア人の物語Ⅲ新しき力

『アレクサンダー大王』」塩野七生)

 

 僕はヤンチャな超絶極ワル時代から

 「俺は神の子」と言い続けてきたけど、

 

 一般に、「神の子」云々は、

 極私的な自己認識概念に過ぎず、

 周囲には、たいした影響力も

 示すこともなさそうではあるけど、

 

 宗教的概念、個人の宗教観と言った場合には、

 個人にも周囲にもおおいに問題と

 なってしまう可能性が大きいと思われます。

 

 というのも、これは根源に

 神だ仏だという宗教問題以前、

 フィシス・ノモスの問題に

 由来するものであると

 思われるからなのであります。

 

 フィシス

 (宇宙・地球の自然における真理摂理、論理、事実)

 

 ノモス

 (人間が勝手に作り出した人為的法則、法律、秩序)

 

「世俗な哲学者たち16」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12631388385.html