「馬鹿とハサミは使いよう」
という言葉があったようです。
近年では、
賢者と愚者の格差が拡がり、
「使いようのない馬鹿」も
堂々と存在できるようになったしまった。
この状況が
幸であるのか不幸であるのか、
どなたがどのように判断なさるのか、
考えるだけも恐ろしきことかとも思われます。
「世の中にはこういう極端に違う考え方をする人もいるのだということを、頭の隅においておくだけでも、世の中、少しずつ、しかし確実に、変わるはずです。私の言うところの『哲学革命』とは、要するに、これだけのことです。」
(「考える日々」池田晶子)
池田晶子氏は常々、
「私の生きる目的は、『哲学革命』を起こすことにある」
と、おっしゃっていました。
池田さんに限らず、
人間が生きる目的は、
なにが? なんで? どうして? 等々
論理哲学することにあるのかとも思われます。
多くの人が、このように考えるようになれば、
池田さんの「哲学革命」は成就された
ということになるのかも知れません。
だって、それこそ、みんながいうように、
「動物にはできなくて人間にだけできること」は、
論理哲学くらいのものかとも考えられなくもないからなのです。
「ところで、私の父親は東大法学部を卒業しており、兄もまた東大法学部卒である。
そういうことが、世間において、いかなる意味があるかなんてこと、これまでまったく考えたことがなかった。むろん、今でもそうである。
自分の家族が東大卒であるということと、自分が自分の人生をいかに生きるかということとの間には、いかなる関係も見いだせないからである。」
(「考える日々」池田晶子)
ときどき、こういうかたに、お目にかかります。
東大法学部云々よりも、そもそも、貧しくて
大学どころではない家庭環境にあるかたから見れば、
どうにも議論も論理も並行線を辿りそうな
格差と性格であるとも思われなくもないのです。
「『お勉強』でしかものの考え方を知らない人間が、内容のある人間になるわけがない。」
(「考える日々」池田晶子)
ところが、現状我が国においては、
おバカな世襲政治家を当選させてしまうから、
おバカな世襲政治家としては
「お勉強」でしかものの考え方を知らない裁判官、
官僚、検事、小役人等々に
判断と仕方を仰がねばならないようです。
これではいつまでたっても「内容のある」云々以前に、
マトモな国ができるわけもないとも考えられなくもないようです。
「ところで、これを根本から、改善するのは並大抵のことではない。
今の世代が立案して、そのプログラムによって育った世代との総入れ替えが完了するまでには、この国は滅んでいるであろう。」
(「考える日々」池田晶子)
この国が亡ぶという結果に関しては、
僕も池田さんとまったく同意見です。
が、僕はこの国が総入れ替えなどを
行うかどうかさえ疑問に感じていて、
今のままでも十分、この国は近々、
滅んでいくのだろうなぁとは思っています。