「水際対策『緩和すべき』47%」
という数字を、
どのように読み解けばよいのでしょうか。
47%のなかに何人の賢者が入っているのか、
47%のなかの何人が単なる愚者なのか、
「平和ボケ」「マンガ大国」
と呼ばれる国の民は、
何よりも経済を優先させる人間なのでしょうか。
残念ながら人間の記憶は、
連想記憶によって知識として
認識されてしまう場合も多いようです。
「残念ながら連想記憶は、じつはまちがいなのに主観的にはもっともらしい判断を生み出す。才能ある若手が腕前を上げる過程では、スキルがある日突然完成の域に達するわけではない。
完成に近づいた段階では、自信たっぷりにミスを犯すことがよくある。
したがってエキスパートの判断を評価するにあたっては、たとえそれが規則性の高い環境であっても、手掛かりを学習する機会が十分にあったかどうかを必ず考慮すべきである。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
アタリマエに、
どんない素晴らしい知識を大量に取得していたとしても、
アタリマエに、
それを実践で活用した経験を大量に伴わないのであれば、
その知識は知識とは呼べないような、どうでもよいような、
くだらない御託でしかないようにも思われます。
「その分野において、彼はどの程度の専門知識を持っていて、どの程度の実践を積んできたのかが問題にされるべきなのである。
そして彼が自分の決定に自信たっぷりであっても、主観的な自信などというものは、判断の確かさの指標にはならないということ、
その彼が本当に学習する機会があったのかどうか、彼が自分の判断に対して、明確かつ敏速なフィードバックをちゃんと受けてきたのかどうか、それらが精査されなければならない。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
近年わが国では、
知った風な顔をする輩が増殖している。
彼等には一度、
カーネマンの審問を受けさせねばならないのかも知れません。
「手元の材料、今ある情報から、推定することが、すでに大きな間違いなのである。
私たちは、『見たものがすべて』になっている。
だが最大の問題は、『無知に無知』だったことである。
私たちは、私たちの世界に弊害をもたらせるような出来事が次々に起こるかもしれないと予測する手段を検討し、創作するという思考をまったく持ち合わせていない。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
自分の見たもの聞いたものがすべて、
と言わんばかりに自分の知力を過大評価し、
恐ろしくバカげた自信過剰の塊になっている現代人への、
カーネマンの警鐘ともいえる文章であるのかも知れません。
現代には、「見聞きしたものがすべて」と考え、
己の「無知に無知」な輩が多すぎる。
このことが将来的に人類を
堕落、崩壊、壊滅状態へと追い込む重大因子となることを、
僕は「予測妥当」な「有効性の高い予想」として提案します。
「私たちが簡単に『見聞きした』と認知できる情報は、限られた情報であり『見たものすべて』の情報と言える。
私たちのチームはこれを『内部情報』とよび、『外部情報』つまりは私たちが簡単に『見聞きしたり』『調べ直そうとしない』情報、たとえば過去のデータを精査すること、あるいは類似のデータを比較検討すること、これら内部情報と外部情報すべてに当たって論理を組み立て、思考を積み上げていくことが重要であると結論付けた。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)