一日のうちで、
朝昼晩のなかで、
どの時間を最も楽しむべきなのかの解は、
朝であると思われます。
昼夜ともなると日常に溢れすぎ、
疲労を蓄積させるためだけの時間が通り過ぎ、
ほんらいの、自分自身のための人生、
自分のための人生感も薄れていくようです。
そこで朝、午前中が、一日のうちで一番、
心身の充実充足を味わうことが
できるような気もしないでもないのです。
「求めることに倦み果てるより、
見出すことを私は覚えた。」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
足るを知る。
ないものねだりをするよりも、
今その時の状況に感謝するほうが、
よりいっそう幸福になれるようです。
ココの読者はココで、
すべて習得されている
まさにディオゲネス、ゼノンから
エピクロスへと受け継がれた
ギリシャ哲学の真骨頂。
「最小のもので、満足できる人は、
最大のものを有している」(ディオゲネス)
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
「ゼノン 8」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12571103652.html
ニーチェは
ギリシャ哲学に傾倒していたので、
なにかと、ココで登場した大哲人たちが
再登場してしまうようです。
「平原に留まるな!高く登り過ぎるな!
この世の眺めの至高の素晴らしさは、
高さも半ばのところからこそ。」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
ほどほどがベストという
矛盾した論理のなかにある深層。
ほどほどが最高であるという
パラドックス的幸福論とでもいうのでしょうか。
ほどほどは塩梅、
塩梅は小難しく言えば中庸。
「デルポイのアポロン神殿に現存する、
その碑文には、
『汝自身を知れ』と共に
『度を越すなかれ』と記されているらしい。」
(モンテーニュ「エセー」)
「モンテーニュの『中庸』」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-11878826093.html
自分の状況、スキルを鑑みれば、
おのずから自分の立ち位置、
「己自身を知る」ことになるし、
そこからはみ出て度を越すことがなければまさに
「中庸を生きる」を体現することに
なるのかとも強く思うのです。