皇帝ネロ17 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

「ネロのような性格の人は、極端に走りやすい。

 あわてて失地回復を図ることで醜態をさらすか、過剰に反応したあげくに攻撃的に出るか、いずれも、精神の平静を欠くがゆえの現象にすぎない。

 ネロによって残酷に処刑されたキリスト教徒たちに同情を寄せる市民を見て、ネロはあわててしまったのである。」

 (「ローマ人の物語/悪名高き皇帝たち」塩野七生)

 

 現代でも

 ネロを小型にしたような人を見かけることがある。

 

 たとえば、店員の中にも、

 これに近い反応を見せる人々を垣間見ることができるようです。

 自意識過剰で、自分に自信がないから、

誰も見ていないのに、見られていると思い込み、お客に対して敵意に満ちた対応をとる愚か者の話も、しばしば見聞きさせられます。

 

 また、お客は何のクレームもつける気がないのに、

 勝手にクレームをつけられるのではないかという疑心暗鬼・妄想に憑りつかれ、客に対して攻撃的になってしまう店員の話もよく見聞きさせられているようです。

 

 ネイティブ・イングリッシュでいうところのナイーブ。

 日本語英語では繊細・純真・素朴等と誤訳されてしまっているけど、アタリマエにネイティブでは世間知らず・無智・考えが甘い・幼稚等の意味で、相手を愚弄する言葉としてのナイーブ。

 現代の我が国では、このネイティブのナイーブな人々が増殖しているようにも思われなくもないのです。

 

 また、勝手な思い込みでストーカーになった男が、

過剰に反応して、相手の女性に暴力的犯罪行為をはたらく等というのも、ネイティブでいうナイーブに該当する輩であるとも考えられるのです。

 

「自作自演の歌手デビューを果たしたネロは有頂天であった。

 自画自賛した舞台の成功に大満足だったネロだが、28歳にもなろうとしている男が、あることに無知過ぎたのだった。

 人間というものはなかなかにやっかいな存在で、親近感と敬意は、彼らの心中では両立し難い存在であることを知らなかったのだ。」

 (「ローマ人の物語/悪名高き皇帝たち」塩野七生)

 

 日本人はアタリマエにタレントという言葉を使います。

 ネイティブでタレントといえば、

 才能のある人・偉大な才能というほどの意味。

 ネイティブでいうTV star・Movie star(主役)・Actor/actress・Comedian等々に当たる人々を日本ではタレントと誤認してしまっていますが、

 この「タレント」の中にも親近感と敬意を勘違いしているといわれる人々がいるということもよく見聞きする話です。

 要は「チャラい」ということなのでしょうか。

 

「そして、皇帝の仕事は、敬意を払われないと進めて行けないということも知らなかったのである。

 同じ年の末、歴史上では『ピソの陰謀』と呼ばれるネロ殺害の陰謀が発覚した。」

 (「ローマ人の物語/悪名高き皇帝たち」塩野七生)

 

 親近感が増せば敬意は薄れる。

 敬意が増せば親近感は薄れる。

 しかしながら

 愛情が増しても敬意も高まる場合もある。

 敬意が高まって愛情も増幅していく場合もあるのかも知れません。

 

 要は中庸、ほどほど、適度、適当、塩梅

 そのバランスがカギとなってくるのかも知れません。

 

「モンテーニュの中庸」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-11878826093.html