カイエ・フィロソフィ5 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

 V6の

 「CDTVライブ!ライブ!」が10月25日放送で

 V6の

 「学校へ行こう」が10月26日放送で、

 V6の

 解散が11月1日だと聞けば、時代の流れは感じるけど、それよりこんなジジィにV6の話をした人の洞察の凄さと、それを理解するジジィの生臭さに驚きを覚えています。

 

 僕は彼女とV6はおろか芸能の話をしたこともなく、彼女が僕とV6はおろか特定のエンタメと結び付けられるような話もしたこともないのです。

 

 それなのに彼女は僕にV6の話をした。

 それくらいV6というグループは偉大であったと言えるのかなぁとか思い、なぜか感慨に浸ってしまったり懐かしんだり、その時間だけでも、ジジィもジイィなりにV6を堪能したといえるようにも思われるような気もしないでもなかったり。

 

 V6ももはや神話となる運命を背負っているのかも知れません。

 

「神話は特有の論理をもって語られます。

 その論理は一見すると、私たちが普通『論理』と呼んでいるものとは、だいぶ異質な働きをしています。」

(「カイエ・ソバージュ/人類最古の哲学」中沢新一)
 

 そもそも倫理とは本来、

 宇宙論理・自然摂理にもとづくもので、

 愚かな男どもごときがこねくりまわすような単純なものではないのだと考えています。

 

 論理とは、

 フィシスとノモスの間にあって、

 その親和性と共鳴性を謳い上げた美しい調べの楽曲でなければならないとも思われるのです。

 

フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性

ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理

 

「世俗な哲学者たち35」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12665001602.html

 

 神話の世界の論理が

 我々の世界の論理と異質であると感じるのは、

 我々の論理が稚拙で不潔で野蛮であるからで、我々は神話の世界の論理を十分味わい堪能し、理解し納得し活用応用できるほどに学問を究めなければならないものであるとも考えられるのです。

 

「神話の活用する論理は『弁証法』という論理に似ているところがありますし、仏教などが駆使する『非即の論理』ともよく似ています。」

(「カイエ・ソバージュ/人類最古の哲学」中沢新一)
 

 多くの人々は、

 弁証法も極めず、

 仏教も仏教でいうところの「非即の論理」も理解できずに社会人として知った風なくちを聞くようになるようです。

 それでいいのかどうかはべつにして、

 そのような人間が知った風な口を聞くようになる神経の傲慢さと怠慢が大罪であると考えられるようなのかも知れません。

 

「とにかく神話の中では、ものごとは形式論理のようには進行せず、ダイナミックなねじれやひっくり返しやカタストロフィ的な飛躍がしょっちゅう起こるようにできているのです。」

(「カイエ・ソバージュ/人類最古の哲学」中沢新一)