世俗な哲学者たち35 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

「それはあるプラグマティズムの人々に現れるような、他の何らかの具体的な目的の単なる手段にすぎないものではない。

 それはそれ自体が全ての価値の賞揚(しょうよう)の源泉であり場所である。」

(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト)

 

プラグマティズムについてはこのシリーズのなかで

特にジェイムズのナンバーにおいて、

実践的・実用的・自然主義的哲学であると

僕は申し述べてまいりました。

 

が、ここであらためてプラグマティズムの本質は

ノモスを切り捨てフィシスに依存した実践的・個人主敵的・実用戦略的

哲学であることも申し上げておかなければならぬようです。

 

フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性

ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理

 

「早世の天才パスカル「パンセ」20」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12584841227.html

 

理性とは、それがそれ自体で己の価値感への賞賛であり、

自分が自分で自分自身を価値ある者であるという証明の源泉であり場所でもあるということのようです。

 

「理性の根源力を生きることが、人間のような存在者の最高にして唯一の善であり、人間は現実には動物であるが潜在的には理性的な生き物であるべきなのである。」

(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)

 

エチケット・マナーを守れるのは理性ある生き物の最高にして

唯一の善であるようです。逆にそれらを遵守できぬ人々は

犯罪者にももとる生き物、いや、人間以外の動物と何ら変わりもない

ようにも思われなくもないような気もしないでもないのです。

 

「人間は現実には動物であるが潜在的には理性的な生き物であるべきなのである。」

(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)

 

そうでなければ、人間が思い上がって、自分たち以外の、

人間以外の生き物たちを分類したり分析したり

挙句の果てには飼ったり買ったりの売買をしたりだのする立場にはないということになってしまうようです

 

理性を身に付けぬ者は他者を軽視する。

理性を身に付けるためには知性と知識、論理と摂理を自ら進んで学ぶようなスタンスが必要なおかつ問われているのかも知れません。

 

「学校でだけ教育を受けた子どもは、

 教育を受けていない子どもである」

(「美識論」ジョージ・サンタヤナ)