僕は高所恐怖症です。
だからというわけだけでもなく、
高層マンションに住む人は怖い。
高層マンションに住むとか住みたいと思う人とは
人間的に同調共鳴できるものがないようにも思われるのです。
「なぜ、人は高層階に住みたがるのか?
なぜなら、自分が醜悪なる現代社会から逃れて、人々の闘いを観察できるからなのだ。
自分が優越的な立場にいるように錯覚し、高揚した気分になれる。
が、高層階での暮らしは高くつく。
高層階での眺めは美しい、なぜ、人は高層階からの眺めが美しいと感じるのか?
それは自分が神やトランプのように街を、人を見下し、人を上から目線で見渡せるからなのである。
が、経済的闘争での暮らし、経済的立場を維持する闘いには困難が付きまとう。
安住できる地位とか立場などというものはありえないのだ。
現代人は経済的立場を維持する愚かな闘いに巻き込まれて、自分を見失っている愚かな人々であるといえるでしょう。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
高層に住む人々、住みたいと思う人々は、
その時点で経済的闘争生活に巻き込まれている。
経済的闘争生活は本来の人間的生活とは程遠く、
知性的理性品性的、文武両道的闘争生活こそが
本来の人間的生活であるはずだからであるとも
思われなくもないのです。
本来の人間的生活を見失ってしまっている人々は、
本来の人間的知性、理性、品性、やさしさ、思いやり等々の美徳をも見失っているとも考えられなくもないのかも知れません。
なので高層階に住む、住みたい人
≒ 人間的知性、理性、品性、やさしさ、思いやり等々の美徳の欠如した人という図式が成り立ってしまうような気もしないでもないのです。
ゆえに、僕が高所恐怖症であるからという個人的偏見が混じっていようといまいと、
高層マンションに住む人は怖い。
彼らが知性、理性、品性、やさしさ、思いやり等々の美徳を排除してしまった人々であるのなら、
何をしでかすのかわからぬ者ということも考えられるのかも知れないのです。
「もし、社会システムの定義に誤りがあれば、実際の経済理論も誤った理論となる。
経済モデルが人間の本性と社会を見誤れば、私たちも人生を誤り、過ちを犯し続けることとなる。
学術系シンクタンクの提言を実行すれば、社会は破壊されるのだ。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)