命か経済(カネ)か。
再三お話させていただいているように、
命はフィシスの世界観、経済(カネ)はノモスの世界観。
アタリマエのことに気付かぬ国家は滅びる。
ココの読者のかたはもうすでにお気づきのことと思われますが、
命があればフィシス的に生きられる。
が、いつまでもノモスにしがみ付いていては惨めな終焉を招き入れてしまうだけだとも思われなくもないのです。
我々は今、コロナにその真価を
試されているのかも知れません。
「彼等は不正な行いに屈して富を得る。」(ソロン「サラミス」)
我々は通常、不正に対して不快を覚えるので、
「自ら不正な行い」に屈することはない。
しかしながら政治家、官僚、公的職員、資本家等々は、
この自らの「不正な行いを自ら」が黙認または
「不正な行い」に自ら屈してしまっても自らが富を得ることで
納得、満足できてしまう人々であるのかも知れません。
「彼らは手控えることを知らず 略奪と搾取によって
各人が各様に盗み
恐れ多き正義の女神の鉄槌さえ視野に入らない。」
(ソロン「サラミス」)
無知ゆえに醜悪なる政治家、官僚等々は、
あらゆる方策と詭弁と詐欺的契約書面等々を
偽りの秩序という名のもとに平然と搾取を繰り返すような人間に成り下がってしまうのかも知れません。
「それは避けがたい悪徳として
今やポリス全体に及び 民衆と奴隷たちにまで及んだ。
いと麗しき街は敵意と憎しみに支配され
不正をなす者どもの好む策略のうちに
たちまち疲弊するであろう。」(ソロン「サラミス」)
───「西洋古典叢書断片集」京都大学学術出版会───
醜悪なる人々が管理する社会は、民衆をも巻き込み、
いつのまにか、知らず知らずのうちに、我々も悪徳の権化と化してしまわぬような考察と検証を怠れば、我々自身をも貶めてしまうような気もしないでもないのです。
「権力者が定める法は無法である。
これに対抗し得るは違法を唱えるということなのである。」
(ソロン「サラミス」)
───「西洋古典叢書断片集」京都大学学術出版会───
現代の民主主義も、この論考によって、
成り立っているはずではあるけれど、
違法を唱えるべき政治家、官僚等々自体が、
己の利権に振り回されてしまっていては、いつになっても
人間的成熟した社会は望むべくもないのかも知れません。
なのでせめて我々だけでも、醜悪なる社会の理不尽を理解し、
検証し、我々なりの超個人的「世俗哲学」にでも基づき、
智を身にまとい、我々個人個人の至幸を
目指すべきであるようにも思われます。
「超自我は、自我に敵対するときにのみ、明確な姿をとる」
(アンナ・フロイト「自我と防衛」)
───「シモーヌ・ヴェイユ」───
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12405973186.html