「社会学であれば社会を、法学なら法を、医学なら医を、工学なら工作の延長線上にあるものを学ぶだけです。
これに対して哲学は『哲』という文字の意味する『賢』を、賢さを学ぶ学問であるのです。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
なので哲学にはあらゆる学問が含まれます。
あらゆる学問の基礎であり、完結であるとも思われます。
「哲学とは世界と自分の人生についての、言葉による根源的探究であります。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
始めに言葉ありき、なのか、始めに哲学ありきなのか、
どちらにしても言葉と哲学が人生において最重要となってくる
ことに間違いはないようです。
「哲学は、歴史的には学問という意味を持ちながらも、一方では他の学問では見え難くなってしまっている人間の幸福についての根源的問題を探求しようとするものなのです。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
幼い頃、勉強が嫌いであった人は、現代日本の教育体制が
「学問が人生になんの役に立つのか」を見え難くしてしまっているからなのかも知れません。
これに対して欧米で実践されている教育体制では、
人間とは?人生とは?シェークスピアとは?ピタゴラスは何が言いたかったのか?等々、人間の人生に役にたつような「なんで?」を、対話により解き明かし、幸福な人生とは?という最終課題へと導くために存在しているようにも見えます。
「また、プラトンが、『哲学とは〈死の練習である〉』と言うのも、哲学の特徴的な意義を示す捉え方です。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
カネの計算が上手にできても、どのような人でも
死は免れられません。
このように誰もが体験するであろう事柄について、考察し、探求し、より精神的に楽ちんになれる方策を、それぞれが生み出しやすくする学問が、哲学の本質であるとも思われます。
「哲学の効能とは、世界と自分の人生を見えやすくし、私たちの視野を広げ、常に新しい視界で物事を明るく照らし出すことができるということです。
世界と自分の人生の眺めや光景が、これまでとはまったく異なった様相で姿を現してくるといったことです。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
それゆえに、誰もが一度は経験する、賢者の言葉とか格言に「ああ、そうだったのか」「なるほどね」と「目から鱗」「インスパイアされた」などという状況が訪れるのかとも考えられます。
「日々の生活の中で、私たちはしばしば自分を見失うことがあります。
しばしばどころか、いつも見失っているのかも知れません。
このような状態から抜け出させてくれるのが哲学である、とソクラテスは考えたのです。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)