ボーヴォワール16 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

「性活動は複数の目的をもつ。それは複数の欲望によって形成された緊張を解消すること。

 とくに青年期においては自然的欲望の激しさを持つ緊張を解消することを目指す。

 後になると、性的領域において厳しい禁圧を感じている女性以外は、人は解放というよりはむしろ積極的な快楽を求める。

 彼女はオルガスムによってこの快楽に達する。

 オルガスムは一連の感覚やイメージや神話に先行された諸々の情動からの解放と放出による前駆快楽をもたらし、これは当人にとってオルガスムと同様、あるいはそれ以上の価値を持ち得るのである。」

(「老い」シモーヌ・ド・ボーヴォワール)

 

なんだか小難しい話になってきたようです。

が、プラトンのいうイデアが性愛と知に導かれるという説が、

ボーヴォワールによってより具体化されているようにも思われなくもないのです。

 

「我、ここに女神アフロディティの神託を告げる。

 女神はこのように述べられた。

『知の豊富な者が知の貧しき者に知を分け与え、美の豊富な者が美の乏しき者に分け与えること。それが性交であり美でありイデアとなる。』」

(神託伝道主・巫女ディオティマ──「饗宴」プラトン)

 

「アウレリウスの独り言 35」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12561424255.html

 

男女の性愛行為が

究極の知へと導かれる瞬間の描写でもあるようです。

 

「この快楽の追及が、一つの機能の単なる行使に限定されることは稀でしかない。それはふつう、当事者の各々が自己の存在と相手(他者)の実存とを独自の様態で実現する、一つのあるいは唯一の情熱的行為である。

 欲望と興奮の中で、意識は肉体としての他者に到達するために自らを肉体化する。肉体としての他者を魅惑し、所有せんがために、このように相互的で二重の肉化があり、世界の変容がある。」

(「老い」シモーヌ・ド・ボーヴォワール)

 

快楽の追及は、単なる単一の行為の行使であるだけではなく、

当事者たちの存在と実存の唯一の証明行為であり、それによって

我々は世界を俯瞰し、我々の世界観をも変容させてくれるという

効能も備えているようです。

 

「しかしながら、オルガスムに到達し、一連の行為が終結する以前に、この相互性のドラマは、抱擁の中で、その最も激烈で最も啓示多い相の下に活かされるのである。

 多くの場合、このドラマは必然的に慣れ合いを伴う闘いの場である。

 慣れ合いの闘いは慣れ合いの感情を生み、これが愛情へと導くのである。

 自己と他者を隔てていた距離が消滅するほどの愛をもって愛し合う一対にあっては、挫折さえ克服される。」

(「老い」シモーヌ・ド・ボーヴォワール)

 

オルガスムがすべてではないことは、

フロイトが明らかにしてくれています。

 

が、オルガスムの前後の抱擁が愛を育み、愛が確認され、

自己と他者との実存証明によって、その実感が両者の中に矛盾・苦悩・生きる苦痛からの解放エネルギーが派生し、両者は如何なる挫折をも克服できる力を獲ることができるようです。

 

「性愛の抱擁においては、主体は魅惑する肉体として自らを存在させるのであるから、彼らは自己に対してある種の自己愛的関係を手に入れる。

 彼の男性としての、あるいは彼女の女性としての特質が主張され、確認されるのだ。

 したがって、彼または彼女は自己を価値ある者と感じる。

 ゆえに、この、自己を価値ある者と感じたいという要求が、性愛生活のすべてを支配する場合もあり得るのである。」

(「老い」シモーヌ・ド・ボーヴォワール)