「ゼノンは特定の大衆に対しては、『報酬なき日常生活に必要な作務に励むことこそ快を得られる徳であるのに、彼らは報酬目当ての労働にばかり精を使い果たしている』と非難する。」
───(「精華集大三巻」ストパイオス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
まさに近代におけるこれの実践者こそ、
ソローでありルソーであるのかも知れません。
「不純を遠ざけ、どんな罪とも無縁で生きたいというなら、家畜小屋の掃除から始め、なんなりと心をこめて働くのが一番です。」
──(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)──
「ソロー 32」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12513063216.html
報酬なき自宅の家畜小屋の清掃。この労働こそが快を得られ、
不純なき美徳をも得られる最善にあるのかも知れません。
報酬目当ての労働は、所詮その報酬によって自らを
欲望の罠へと陥らせてしまうだけであるようにも思われます。
「余分なお金があれば、余分なものを買うだけです。
魂が欲するものを買うのに、お金はいりません。」
──(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)──
「ソロー 39(了)」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12520071512.html
穏やかな幸せとは、日常生活に必要な作務に無心で励み、
報酬目当ての生活とは無縁であることが
寛容であるのかも知れません。
「地位のことだとか、利益だの名声だのという不純な動機が混じったり、もしくは、他人に教える報酬目当てに学ぼうと考えたりしようものなら、この穏やかな幸せは姿を消す。」
──(「孤独な散歩者の夢想」ジャン=ジャック・ルソー)──
「ジャン=ジャック・ルソー 28」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12531682636.html
「髪を切ることと髪が伸びることは同一の自然本性である。
すなわち髪が伸びるのは動物としての肉体的自然本性であるし、髪を切るのは人間としての魂の自然本性から、髪が重くなる不快を避けたり、仕事をするときに邪魔にならぬようになどという合理性に基づく情動である。というゼノンの言葉はまったく正しい。」
───(「断髪について」ムソニオス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
文武両道と仕事に忠誠を尽くすべき男が、現代では
短髪にすべき職に就いたら髪を切るという、
仕事に対する忠義は尽くせない男もいるようです。
なんにつけても忠誠・忠義を貫けぬ男に女性を守り切れるとは
考え難いようにも思われなくもないのです。
「まったく哲学と無縁の人でさえ、『姦通は悪である』という概念くらいを持っている人も多少はいるであろう。
が、偉大な哲学者であるエピクロスも同じ結論をもち、ゼノンもまた同じ結論を導き出しているのだ。
しかし、これらの人々の間に、姦通を避けることについて、どれほどの知的考察の違いがあるのかを考えてほしい。
ゼノンを祖とするストア派にとっては、社会性のゆえであり、反合法的であり、なにより自然本性とロゴス(言語・論理・理性・倫理)の観点からして愚かであり悪であり不徳であるということになるのである。
そしてこの知的考察力の差こそがアリストテレスのいう『人間には奴隷を持つ者と、生まれながらの奴隷である者との二種類が存在する』という論理の証明となるのである。」
───(「ケルソス断論」オリゲネス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
万有・自然の摂理真理はときに残酷なようです。弱肉強食。
獣は殺傷能力により支配か隷属が決まり、
人類は文武両道知的能力により支配者側と奴隷とに分けられた。
が、現代では動物界では最下位に置かれるべき弱虫毛虫が
生れと育ち、カネと権力と卑怯なる悪徳により支配者と成り得る
のかも知れません。