ソロー 39(了) | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

ソロー 39(了)

 

「あなたは、衣服や友人も、むやみに新しいものを求め、かえって面倒を背負い込んでいないでしょうか?」

(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

「旅には、新しい出会いがある。」などという人は、

今を満足できぬ人。今の自分の立場、現状、状況に、

満足出来ぬ人であるかのようにも思われます。

 

私事、長年、

広告代理店の企画部長を務めさせていただきました。

そこには私的にも社の内外的にも、人並み以上の、

多くの出会いがあったといわれています。

 

が、結果、今は至高を、孤高を追い求め、

思考の迷宮、スパイラルに陥り浸ることに、

歓びを見出だしているようなのです。

 

「物事はそうは変わりません。変わりやすいのは自分です。服など売り払い、代わりにあなたの考えを大切にしましょう。」

(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

「あなたは、たとえ極貧に陥って身動きできず、新聞や本を買えない境遇になっても、かえって人として大切な生き生きとした経験を豊富に積めて、悪くないと考えたらいいでしょう。

 生きる糧である砂糖と澱粉に直結する肝心な事柄を、まず考えるのですから、巷でよくいわれる通り、料理も、食べ尽くして骨ばかりになって初めて、しゃぶる骨がとても美味に感じられます。

 あなたも、あちらとこちらと手を出す贅沢と時間がない分、軽薄にならずに済むでしょう。」

(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

富裕層にこそ醜い愚か者が多く、中庸である人の中にこそ、

偉人賢人が多く出現するという事実にあらためて、

思い当たる方々もいらっしゃるのかも知れません。

 

「精神の平和ないし平安こそ人生のゴールである」

(エピクロス「主要教説」)

 

「今日の糧(かて)、明日の糧」

https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/41774632.html

 

「余分なお金があれば、余分なものを買うだけです。

 魂が欲するものを買うのに、お金はいりません。」

(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

それでも、愚かで老いぼれてオンボロな僕は、

衣食住に困らぬ金と、本を買う金だけは潤沢に欲しい。

 

「いつもぴりぴりと神経質で落ち着かず、大忙しに動き回りながら、これといって取り柄のないのが今世紀です。今世紀は、立ち止まって、通り過ぎていくのを見守るくらいが、ちょうどよい世界かも知れません。」

(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

人類は、14世紀のルネッサンス、

18世紀の産業革命、そして、ソローの生きた

19世紀以降、文明文化とは逆行するかのように、

稚拙になってしまっているのかも知れませんネ。

 

「私は、磁石のように私を引きつけるものに真正面から向き合い、そこにどんな意味があるのかを問うて、静かに落ち着いていたいのです。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

僕を磁石のように引きつけるものはイデア。

知性と愛と欲望。

知的欲望と肉体的欲望に真正面から向き合い、

そこにどんな意味があるのかを問うてみたい。

 

「愛の神エロースは、

人間が『美』そのものへと近づく最大の援助者である」

(ソクラテス(プラトン「饗宴」より)

 

「イデア」

https://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/39701918.html

 

「どんな事態も、自分の想像で勝手な解釈をせず、本当の奥底を見極めます。

 私たちは、こうして自分にかなった道を取る限り、厳しい試練も克服できます。」

(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

「彼らは私に、ワインの年代と、そのヴィンテージの名声について蘊蓄を語ります。

 でも、私は、彼らが手に入れていない、買うこともできないワインについて語りたかったのです。

 より熟成し、かつ新鮮で、はるかに純粋、しかも限りなく偉大な、栄光ある年のワイン、

 すなわち、生きる哲学についてです。」

(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

「夜明けの太陽こそ、長く豊かで、喜びに満ちたまぶしい一日を導く、希望の明けの明星といわねばなりません。」

(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 

ソローの「ウォールデン 森の生活」は、

ここで終わってします。

 

ソローは、森の生活から、なにを得たのでしょう?

 

ソローは、

人も動物も、植物も、鉱物も、宇宙もみな同じ、

と考えていたようです。

 

ソローは、すべてが自然、

アタリマエである以上、

自分も限りある命の生きものとして、

本性が示すとおりに精一杯、

自分を十全に生かして楽しく生きよう

という結論に達していたのかも知れません。